Thursday, May 1, 2008

『移動の技法』#9

この部屋は静かすぎるので、すこし、ざわつかせてみよう、と考えた。いや、ざわついているのはむしろこの部屋だ。そう、ここはひとつのカフェで、みなが5時のお茶のために集まってきているのだった。ここはひとつのカフェであるからここはすべてのカフェであるのだ。そして無限のわたしがここにいるのである。(ヘンデルのバロック音楽がこのうえない心地よさを享受させている)。名もない女がわたしのまえにコーヒーを一杯はこんできたが、その女は《グロリア》と名づけられている。それはわたしの知っている《グロリア》と肌の色はおなじであったが、年恰好はまるで違ってまぎらわしいので、わたしはその女を《グロリアおばさん》と呼ぶことにした。グロリアおばさんがはこんでくるのは、コーヒーだけではなく日替わりの定食もはこんできていた。わたしは彼女を愛したが、わたしは《彼女》を愛したわけではない。わたしが愛したのは彼女の滑るように歩くその仕方であり、わたしが食べた後、「どうだった?」と訊ねたその口もとと目つきだった。そして、微かにしわがれたその声。、つまり、わたしは彼女を愛していたわけだ。ある日いつもするようにその声を聞きに行くとそこに居たのは若いウェイターで、わたしは二度と彼女のその声を聞くことはなかった。その瞬間から世界は崩壊しはじめた。マリアを捜しにわたしはその階段を上ってゆき、「マリアを捜しているのだが....」と言うと、そこにいた若い女は、「わたしがマリアよ」と言った。《注意》。千のマリアがわたしを待ち伏せにしている。1992年10月5日。サンティアゴ。バスはイタリア広場を回ってメルセに入る。公園の緑。ブローニュの森はこんな匂いがするのだろうかとわたしは考えている。

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