Saturday, February 23, 2008

草間彌生など

休日の今日はなんだか盛りだくさんな日だったような気がする。
午前中EL adiósの編集。編集と言っても、何か物理的な作業というよりも私的な手記でも書いている気分に近い。実際ナレーションは書いている。書いて読んで、うまく読めなかったり語呂が悪かったら書き換える。
昼は食うものが何もなかったので、ぼくにしてはめずらしくインスタントラーメンで済ませた。冷蔵庫に残っていた水菜をオリーブオイルで炒めてのせて、微かにだけれど料理っぽくした。食後、昨夜最後まで読んでしまうつもりだったのだけれど、少しだけ残してしまったチャンドラーの『ロング・グッドバイ』を読んでしまう。もともとナレーションはハードボイルドっぽくしようと、あまり訳のわからない動機で読み始めたもの。それでナレーションはぜんぜんハードボイルドっぽくならないんだけれど、極力「心理的な」ものは排除して、あったことだけを積み重ねようという視点は共有できるんじゃないかと思う。
この小説は、訳者の村上春樹と同じように、ぼくも最初、高校生くらいに読んだと思う。友人のお姉さんに借りて読んだような記憶がある。しかし記憶に残っているのは同じ頃にテレビで観た、ロバート・アルトマンの映画の方だった。今回興味深かったのは、主人公がメキシコへ逃げて自殺したり、メキシコ系の召使いとマーロウがスペイン語で会話したり、以前はあまりよく分からなかった背景の方だった。そのメキシコ系の召使いは、じつはチリからの移民ということが後で明らかになり、そうなるとほとんど放ってあるtemblarのための資料にもなることがわかった。さらにリンチの『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』もこのロサンジェルス〜ハリウッド近郊を舞台にしていて、最近のぼくの興味と偶然にもかなり被っていたことになる。

ひと眠りして、夕方から九条のシネ・ヌーヴォで今日から始まった、『≒草間彌生 わたし大好き』観に行く。草間彌生は80年代からずっとすごいと思って来た。こんなに売れちゃうとは思わなかったけれど。喜寿を迎えてもまだ自意識の固まりのような人。色んな賞の名前をあげて、取れたことを喜んでいる様は、中井久夫が、統合失調症の人は、例外なく俗物的な権力欲に囚われているような謂のことを書いていたのを思い出させた。上映が終わると監督した松本貴子さんが挨拶した。しかしこの人の強烈な着るものの趣味の悪さはなんだ。彌生さんを少し見習うといいと思うけれど。

帰り梅田に寄って、Que ricoで、ミチェラーダとワカモレ、エンチラーダで夕食。夜になるにつれ、どんどん寒さが増してきた。

Thursday, February 21, 2008

初鶯

ブログは、基本は日記だから継続してはじめて見えてくるものもある。このブログも細々ながら一年を過ぎて、読み返すとそれなりの感慨もある。去年の今頃は、ごちゃごちゃ色々あったうえに、自転車で開いた車のドアに突っ込むなどという事件も重なって、かなりしんどい時期ではあった。そんな折り整骨院へ治療に行った帰りに鶯の声を聞いてホッとしたりもしているのだけれど、今朝偶然またその整骨院で治療を終えた帰り、また鶯の声を聞いた。今年初めてだと思う。ずっと寒い日がつづいていたのが、今日はかなり暖かくなって気分もずっと楽になったと思ったら、鶯まで鳴いた。
昨年は3月の1日にアップしていたのだけれど、それまで鶯が鳴いていたのかいなかったのか、鳴いていたのに気づかなかったのか、それはよく分からない。忙しい日々に気がつかないものが、こうした隙間のような時間にふっと聞こえてくるのかも知れない。とにかく今年は去年より早く気がついたということだ。
鶯が鳴くのだから、当然ぼくらも鳴くだろう。すべてがひとつの自然だったとしたら、ぼくらが鶯でないという理由はない。

Saturday, February 9, 2008

TVEの終了

数日前、ポストに一枚のはがきが入っていて、スカパー!からで重要なお知らせだとある。視聴しているスペイン語放送に関するもので、何だろう?また値上げかな?って読むと、3月で放送が終了するのだという。値上げならしょうがないかなって思ったが、終了は予想外で、さてこれからどうしようとあれこれ調べてみた。
このTVEの国際放送をスカパー!経由で見だしたのも、もう5年くらいになると思う。とくにこれを使って集中して勉強するということはないのだけれど、そうではなくて、逆にあまり意識せずに、なんとなくいつでも部屋にスペイン語が流れている状態にするのがよかった。脳は緊張した状態ではなく、リラックスしているときに外国語を中に入れやすい。外国語に対していつでも違和感のない状態を保つことができたのが、よかったと思う。
まぁ、この5年くらいの間に、Youtubeも出てきたし、光ケーブルやら、ネット経由で映像を見るのも普通になってきた。ぼくはスカパー!で見るスペイン語で満足していたから、ネットでどれくらいスペイン語の放送を見ることができるのかちゃんと調べたこともなかった、こんなことになって慌てて調べてみると、当のスペインのTVEが、すでに24時間ネット経由で見ることができることがわかった。さらに、Octoshapeというプラグインを入れれば、Media Playerでかなり高解像な画像で視聴可能で、終了後の問題は一挙に解決した。しかもタダ。
そもそも、スカパー!の方は、ぼくのようにスペイン語の勉強に使いたいわずかな日本人か、後は在日のラティーノたちだろうから、コスト感覚にうるさい彼らが、すぐにネットに移行したのは、容易に想像できる。それで経営もできなくなったのだろう。
アップルが、AppleTVなんかを出しても、どうやって使ったらいいのか分かんなかったし、あんまりテレビとコンピュータを繋げるという発想に興味がなかったのだけれど、そろそろそんなことも考えたりしなくてはいけないのかもね。

Saturday, February 2, 2008

el adiós #2

祐樹の二回忌で、氷上の実家までお参りに行ってきた。去年兄と一緒に、一回忌で帰ったときには行けなかったお墓へも参ってきた。
それと、お母さんがぼくが去年渡した、撮影した原テープに不満があると兄から聞いていたので、そのことを話す目的もあった。お母さんの不満は、知らなくてもいいことまで、知らされたということだった。子供にも親には知られたくないプライバシーというものがあるのだから、それは尊重してほしかったということだ。とくに女の子とのことなど、親には知られたくないだろうから。ほとんどはもっともなことだと思った。配慮も足りなかっただろう。
しかし、作品にして、何を切って何を残すのかがとても難しいのと同じで、結局のところ万人や、誰それのためでも、正確な線引きをするのはとても難しい。お母さんは、知りたくないことも知ってしまったのかも知れないけれど、でなければ、まったく知ることができなかった可能性もあった。どちらかを選べと言われるたら、果たしてどちらがよかったのか。
今回お母さんの言い分も撮影しようと、カメラを持って行っていたが、結局使わずじまいで帰った。今回ぼくはまったく福祉的な人だった。お母さんの言葉を受け止め、自分の中で消化して、馴染ませるようにして返していた。カメラは、その場にとげとげしいものを入れるような気がしてどうしても手にすることができなかった。
だめだなぁって思いながら、帰りの舞鶴道の雨降りをワイパー越しに見て車を走らせていると、これも現実だから、あえて追加に撮影などいらない気もしてくる。
このビデオは、祐樹のことを作品にしているぼくのことを語ったものにもなるし、彼に対する愛憎の物語、結局人生は愛したり憎んだりして、進んでいくのだという。