Thursday, February 11, 2010

ぴーちゃん


きのうの朝ぴーちゃんが亡くなった。出勤の仕度をしているときに妹より電話があって、たった今亡くなったというので、慌てて飛び出して実家へ向かった。ぴーちゃんはまだ温かく眠ってるようにも見えたけれど、頭を持ち上げると首はやっぱりぐったりしていた。
誕生日が1月4日だったので、17年と少し生きたことになる。長生きだった。そして当たり前に家族の一員だった。震災の前の年で、寒くて雪が降って、積もった雪の上をまだおぼつかない足で走っていたのを覚えている。この頃のぼくは、最後に長期の南米での滞在を終えて帰った時期で、様々な方面で人生に完全に行き詰まっていた。日々をほぼベッドで暮らしていて、外出するのは週に一度の精神科通いといった生活だった。そうは言わなかったけれど、見かねた母親がぼくを元気づけるとか、刺激を与えるような気持ちでもらってきたようないきさつもあったかと思う。名前はぼくがつけた。サルサに狂っていたので、ソノーラ・ポンセーニャのボーカリストの名前をもらって、ピッチーとした。だからこの犬の正確な名前はエクトル・ピッチー・イノウエなんだと、会う人会う人に説明していた。17年間にはさすがに様々なことがあった。地震もそうだし。その翌年にぼくは自殺未遂事件を起こしてる。なんとかそうした状況を脱して、その後ぼくは実家を出て近くに部屋を借りることになったのだけれど、入れ替わりのように妹に子供ができて、家の中は子供中心に変わっていった。彩ちゃんはそれでも、みんながぴーちゃんばかしかわいがるのを、最後までおもしろくなく思っていた。とにかくそうした17年のすべての瞬間にぴーちゃんは立ち会っていたわけだった。

11月の終わり、ぼくがコスタリカに一月いて帰った頃、メールでだいぶ弱ってるときいていたのだけれど、じっさい歩いてもふらつくほどだった。けれどそのときはなかった食欲もしばらくしたら取り戻して、また元気になって散歩にも出だしていた。無事に年を越し、誕生日のすぐあとにぼくの大学時代の友人たちが遊びに来て、あの犬がまだ生きてるんだと驚かれもしていた。そういう間にまた体調がすぐれなくなってきて、すでにここ数年耳も視力もずいぶん衰えてきているのがさらにひどくなっていった。心配でぼくも毎日実家へ顔を出すようになったが、それでも散歩にうながすと、行きたがるので、もう数え切れないくらい歩いた道を、何倍もの時間をかけてゆっくり歩いて帰ってきた。今から考えると、そうしたことがもうすでに別れの儀式のようで、その儀式を遡るといつまでか分からないくらいで、今日の日のダメージを少しでも和らげようと少しずつ少しずつ準備をしてきていたのだと思う。

今日の祝日は、実家の家族も全員そろっていて、雨がいつ降ってもおかしくない天気だったので、朝まだもちこたえている時間に、庭の隅に穴を掘ってみんなで埋葬した。そうして昼には人が死んだときにするのと同じように、寿司を食べ、元気だった頃のぴーちゃんの話をした。家族は、悲しむというより、なにか一匹の犬を看取った、軽い達成感を感じているようにも見えた。一段落して自分の家に帰っていると、何もしていないのになんだかぐったり疲れていると感じた。ひとりになると悲しいんだろうなと思い、誰かが永遠にいなくなったときのあの独特の寂しさがやってきた。

Sunday, February 7, 2010

シルビアさん


一昨日金曜日、コスタリカより美しい女性の来客があったので、もともと休みの日だったのだけれど事務所まで出かけていった。
シルビアさんはJICAのコスタリカ事務所で働いている現地職員で、ぼくたちが毎年受け入れている研修生たちを募集して、送り出すまでを担当している。障害当事者である研修生たちは、はじめて飛行機に乗ったり海外に出るのも初めての人も多かったりするのでパスポートのとり方から教えたりしていると言っていた。ぼくらが初めてシルビアさんに会ったのは、一昨年6月にその秋から始まる中米研修の下見のためにコスタリカを訪れたとき、初日の打ち合わせでだったが、ぼくらがおもに活動しているのは彼女のいる首都サンホセではなく地方の町でが多いので、それ以後は、そんなにしょっちゅう顔を合わせているわけじゃなく、セミナーがあったときに挨拶を交わしたりする程度だった。彼女がぼくらにとってとくに印象深いのは、コスタリカ人の現地職員であるのに、かなりちゃんとした日本語が話せるからだった。

それもそのはずで、彼女は9歳から15歳にまるまで、お父さんが大学に留学していたので家族で長崎に住んでいたことがあったからだそうで、今年30歳になる彼女は忘れていたらしいのだけれど、JICAで働き出したのを機にだんだん思い出してきたと言っていた。
その間、一家の中ではスペイン語は禁止だったらしく、コスタリカ人の両親と彼女と彼女の弟で日本語で会話している様子を想像すると、なんだかおかしくて笑えてきた。

シルビアさんは今週から始まる2週間の研修に参加するために来日したのだけれど、せっかくだからとその前に一週間前倒しで来ていくつか訪問したかったところを回っている。研修生を送り出す役目なのに、実際に研修所がどんなところか知らないので、それを知っておきたかったと東京と大阪の研修所を回り、そのついでにぼくらの事務所にも立ち寄ってくれた。「ここに来るのが夢だった」なんていう嬉しい言葉も言ってくれていた。午前中ときいていた訪問も、お昼ご飯を食べて、気がついたら午後3時を回っていて、ようやくかつてお世話になった人たちの待つ九州へ去っていった。今年の研修は夏になりそうで、3月か4月くらいにはテレビ回線を使った選考が始まるので、そのときまた顔を見ることができるだろう。