Sunday, November 25, 2007

El Paso

エル・パソには早朝着いた。アメリカは移動していると、知らない間に時間帯が変わるし、サマータイムをやっている時期だったり、時計を持っていてもいったい今何時なんだか、いったい何時間バスに乗っていたのかも分からなくなってしまう。
エル・パソに着いたのは、とにかく朝の5時だったか6時だったかで、まだ夜が明けていなかった。フレッドは、「これからどこへ行くんだ?」とぼくに訊き、ぼくはホテルを探しに行く。それで明日メキシコへ降りるんだと応えると、彼は「Que bueno」と言って指を立てていた。
着いてすぐには、タクシーの客引きもいたが、どこへ泊まろうかと思案しているうちに、そうした彼らもどこかへ行ってしまって、バスターミナルの周りは、ひっそりとしてしまっていた。泊まろうと決めたホテルまでは歩いていけそうだけれど、ヤバクないだろうか?
しかし、今更タクシーを拾える時間帯でもなく、様子見がてら少し町の方へ歩き出した。
少し歩くだけで、心配する必要がないことが分かった。なんだこの安全な空気は?不思議なくらい落ちついた雰囲気が満ちていて、これがエル・パソの空気だったと思い出していた。ぼくが、かつてアメリカをバスで旅行していて、メキシコへ行こうと思ったのは、たまたまこの町へ来て、アメリカの他のどこの町にもない雰囲気が気に入り、それがかつてメキシコの領土だった町であることを知ったことからだった。
アメリカのどこの都市でも、日本と同じで、みんな信号が変わるのを待っていられないで、歩き出すのが普通だったのに、この町では違った。初老の紳士が二人、信号待ちでおしゃべりをしているのに夢中になって、信号が変わるのに気づかず、おしゃべりをつづけていた。それを見てぼくはメキシコへ行こうと思った。

ホテルは、安いところへとも考えたのだけれど、バスの長い移動で疲れていたのもあって、ホリデイインへ行った。レセプションの女性は金髪の白人。何語で話せばいいのか分からなかったので、とりあえず英語。色々やりとりを眺めていると、同僚とは英語やらスペイン語やらシチュエーションに応じて取り混ぜていることに気づく。手続きを済まして、最後に部屋の鍵のカードは、2枚いるかどうか訊かれて、一人で来ているのに、2枚もどうするのかよく分からなくなって、思わず「2枚ももらってどうするの?」ってスペイン語が口をついていた。Bienvenido a mundo hispano...。
明日は国境を越える。

Sunday, November 18, 2007

On the Road

先週宮脇書店をぶらついていたら、新しく河出書房新社から刊行が始まった、世界文学全集の第一回配本『オン・ザ・ロード』が並んでた。パラパラってめくっていくと、文章が生き生きしていてすぐに引き込まれた。青山南による新訳。もちろん買って帰った。
そもそも、20年前にぼくがアメリカを旅したいと思ったのは、当時『路上』というタイトルで同じく河出の文庫で出ていたこのケルアック小説や、同じビートニックの小説家たちに影響を受けていたからだった。ヒッチハイクやグレイハウンドでに大陸の移動、アルコールやドラッグ、あらゆる手段を使って「ハイ」になることを追求する方法、と破滅寸前の生き方etc..。デンバーは重要な登場人物ディーン・モリアーティの出身地で、ヒッチハイクをするシーンが何度も出てくるのだけれど、実際行くとそのときも目の前でヒッチハイクして見知らぬ人の車に乗っていく人が少なくないのに驚いたりした。メキシコシティも、重要な場所として登場し、ぼくもそれにならって国境を越えた。ぼくの人生は基本的に今でもこの「道」に沿って進んでいる。やはり当時読んだバロウズとギンズバーグの『麻薬書簡』も山形浩生の新訳で再版されていて、日本語が古くなるくらいの時間が経ってしまったのだと、また違った感慨も催してしまう。
さて、ダラスで一泊して一日美術館などで時間をつぶし、夕方グレイハウンドのバスターミナルからエル・パソへ向かった。前日の夜に念のためチケットを買いに行っておいたのだが、もうそこはほぼスペイン語で事が足りる世界で、すでにもういくらかはメキシコへ足を踏み入れているのだと思い嬉しくなった。そういえばグレイハウンドは、ラティーノたちへのサービスに重点をおくようにするといった意味のポスターが柱に貼ってあったりもしていた。
ロサンジェルス行きのバスは、一台では足りず、あと一台か二台増発していたと思う。列の前に並んでいたのは、黒人の若いお母さんで、サンディエゴへ行くと言ってた。ぼくに荷物を見ておいてほしいと頼み、小さい子供にあまり身体によくなさそうなフライドポテトを与えて食べさせていた。
エル・パソまで、12時間の行程で、隣に座っていたのはフレッドという名の白人の初老の男で、サンフランシスコのまだ北にあるバレホという町に行くという。ウェスト・バージニアから乗ってきたらしく、すでに72時間もバスに揺られているんだと言った。ギターを持っていて、グレイハウンドの職員がそれを粗末に扱うと言って怒っている。「ミュージシャンか?」と訊こうかと思ったけれど、妙に話が長くなっても面倒だなと思いやめた。彼は、夜遅くまで手元のライトを点けて数独にチャレンジして、時折ぼくに、このライトは迷惑じゃないかと言って訊いてくる。ぼくはその都度大丈夫だよと応える。

Saturday, November 10, 2007

De la luna llena hasta la luna nueva

昨夜帰ってきました。日本は何だか蒸し暑いです。どんどん熱帯化しているような気がします。
さて、旅の始まりと終わりはダラス。"De la luna llena hasta la luna nueva"。今回の旅は、満月から新月の間でした。出発の日が満月だと分かったとき、だったら終わりは新月にしようと思いました。たんにその方が、帰国して一日休んで仕事ってわけで都合がよかっただけですが....。

ダラスでは、ローレンスというホテルを予約して、帰りもそこに泊まって帰った。メキシコシティを昼過ぎに出て、到着しシャワーを浴びたりしていると、夕食は9時前になっていた。朝食と夕食をまったく違った環境で食べているのがとてもおかしな感じ。このFounders Grillというレストランはホテルに隣接していて、たんにどこかへ食べるところを探しに出かけるのが面倒だから手近なもので間に合わせただけのものだったのだけれど、ここがけっこうおいしかった。あまり期待していなかっただけになおさら。到着した日は分厚い豚肉をグリルで焼いたもの。帰りはオーナーがギリシア系らしく、鳥の焼いたものに、米の入ったソースをかけたもの。やはり肉の文化のところでは、おいしい肉にありつける。サラダもとても新鮮で、たっぷりそれを食べた後の肉とのコントラストがいい。最後の日は、デザートにチョコレートケーキまで頼んでしまった。これがまたおいしい。
窓から見えているのはリユニオンタワー。ビールを飲んでふぁとしながら、何とも言えない満足感に浸っている。
翌日は3時に起きて空港。ホテルに迎えに来たタクシーのドライバーは、黒人の大きな男だった。スタイリッシュなスーツを着て、帽子まで決まっていた。お喋りして空港まで行き、握手して別れる。チェックインカウンターは朝早過ぎてまだ開いていない。ラテン系の家族が大量の荷物を山積みにして開くのを待っている。またメキシコへ戻った気分。5人姉妹の娘さんが可愛らしかった。
アトランタ行きの飛行機に乗り込むと、隣はカナダ人の初老の夫婦。ぼくがパスポートを胸のパスポートケースにしまうと、旦那の方が、"You post your papers in your heart"と言って笑った。