Thursday, October 25, 2007

Vamonos!

さて、パッキングも済んだ。明日の早朝からちょっと旅に出ます。2週間あまりの短いものですが、久しぶりの一人旅です。
伊丹大阪空港~成田~アトランタ~ダラスと気が遠くなるような移動。ダラスからはグレイハンドに乗ってエルパソまで。エルパソでアメリカ=メキシコの国境を越えます。月末にはメキシコシティに着きますが、それまでどのルートで行くかは未定。なんとなくの風向きとか気分で決めたいと思ってます。
メキシコはなんと14年ぶりです。自分にまだ新たな次元が残っているか。刷新できる自分があるのか。どうなるか分からないけれど、とにかく出発。Vamos!!

Thinkpad R31

旅に出る直前にこんなにバタバタする予想ではなかったのだけれど、iPodのトラブルに加えて、先週深夜のチャット中に、もう6〜7年くらい使っているThinkpadが、突然異音を発しだして、作動不可能になった件もあった。昨年の夏頃から時々、へんな音がしていて、ちょうど映像の編集を始めたこともあって、インテルになって初めてのiMacを買って、一応バックアップ態勢は作ってあった。以来、かなりハードディスクが暑くなった今年の夏も乗り切って、ちょっと油断していたこの頃だったのだけれど、やはりもう限界が来たようだった。一度強制終了させて再起動してみると、OSを読み込めないとの、文字表示。やばいなぁ。バックアップがまだな書類とかもあったのに。もう一度チャレンジするとなんとか立ち上がったので、慌てて書類だけMacへコピーし、これ以上おかしなことにならないように、終了させた。

翌朝さっそく、以前メモリーを購入したことのある中部ノートセンターというIBMとThikpadを専門に扱っている会社に電話。ハードディスクを交換し、中身をまるまるコピーするサービスを依頼する。「来週旅行に出て、しばらく家を空けるので、一週間くらいで仕上げるか、帰ってくるまで預かってほしいんですけど?」というと、明日中に送ってもらえれば出来ますよとの快諾。実際は、木曜に送り、日曜日の昼には却って来た。きれいに掃除もしてくれて、ハードディスクはとても静かになった。動作も軽快になっている。なんだか新品に戻ったようで嬉しくなった。まだまだ使えそうだ。

ここは、中小の企業で対象を限定したサービスをしているから、もちろん客との距離がとても近いことがあるのだろうけれど、アップルの巨大な迷路のような通路を前も後ろも分からず歩き回らせられるような対応と比べると、なんと心地いいんだろうと思った。もし誰かが検索してこのブログを読んでくれたなら、お勧めしますぜひ利用し見てください。

Monday, October 22, 2007

そして、iPodの顛末....

ふぅ。2代目のiPodです。今月の6日にこのブログに初めてiPodを持った感想を書いたのですが、まさにその直後、iPodのソフトウェアのアップデートがあって、それを実行してから同期をすると、Coverflowの並びがおかしい。2枚組の一枚は、ぜんぜん違うところに飛んでるし、アーティストのアルファベット順に並ぶはずが、一巡した後にまたアトランダムに数枚のアルバムが並び出す。リセットや、リカバリーなど、不具合が出たときにするとされる対処法をいくつか試しているうちに、ハードディスクがおかしな音を立て、リンゴのマークがついたり消えたりして、USBで繋いでもウンともスンとも言わなくなってしまった。

翌朝早速、アップルのサポートセンターに電話を入れ、修理を依頼した。このあたりまではふつう。通常の修理の時にたどる過程とさして変わりはない。だんだんとおかしなことになっていったのはこの後から。

だいたい必要な日数とされていた一週間が経ってiPodは戻ってきた。開封してみると「検査した結果異常が見あたらなかったので、そのまま返却します」とのこと。??。あんなにおかしな音がしていたのに異常がない?
まぁとりあえず、コンピュータと接続して同期させてみる。なーんとなくいやな予感。
案の定、Coverflowのへんな並び方は直っていない。当然だろ。修理してないんだから(笑)。

再び、サポートセンターへ電話。受付をしたお姉さんでは埒があかないので、もっと詳しいお姉さんが登場。お姉さんの指示のもと、iTunesのライブラリを一度破棄して作り直す作業を試してみる。
結果は同じ。しかもおかしな並びは並びでもまったくアトランダムに並ぶのではなく、ちゃんとそれなりの論理に従って並んでいるようで、どんな作業を試しても、おなじような並びになる。

再び修理。今度は交換してもらうことになった。だんだん日にちだけが経って、まさかとは思ったけれど念のために、旅行に行く日までに届くかどうかを確認すると、「遅くとも月曜までには届きます」との返答だった。
お姉さんはベテラン風だったし、対応もしっかりしていたので、すっかり信用して待っていたが、待てど暮らせど届く気配はない。オンラインのステータスを調べてみても、発送が保留のまま何日も止まったまま。さすがに心配になってきて、週末に再再度サポートセンターに電話。

対応に出た男性は、今は状況が分からないので分かり次第電話しますとのこと。進展がなくても途中経過をお知らせしますと言ったまま、結局その日は連絡なし。まぁもともと、アップルは自分らに分からなかったり、都合の悪いことは平気で逃げる人たちが多いから、100%信頼してたわけじゃないけれど、連絡しますと言っておいて、知らんぷりというのはあまりにもひどいんじゃないか。

で、泊まりあけの今朝、再々再度サポートセンターに電話。週末とは別の男性が対応。落ち着いて話そうとしたけれど、時間もなくなってきてるしあまりにひどいことが多いので、つい恨みがましいことも口に出てしまう。
さすがに、そういういきさつだったので、今日の男性は状況を調べて折り返し電話をくれた、しかし旅行に出るまでには届きそうもないので、返金しますとのこと。

で、手続きは別の部署になるのでと、また電話が繋がるまで待たされる。
さんざん待たされたあげくでたカスタマーサービスの女性は「返金はできないので、現物を心斎橋のアップルストアに取りに行ってほしい」とのこと。取りに行くってオレが?なんでオレがわざわざ?

でも、女性はこの方法しかないと言うばかしなので、しかたなしに在庫を確認してもらう。
それを待っていると、もう夕方じゃないか。つーか取りに行くって、間に合うのか?
コールセンターに電話してもなしのつぶて。一か八か直接アップルストアに行ってみるか?なんて考え出した頃にやっとカスタマーサービスから返答があった。在庫が確保できたので、送ることもできますが?とのことだったが、勢いで取りに行っちゃった。ふぅ。

というわけで、やっと手に戻ったぼくのiPodです(笑
同期してやっとCoverflowもまともになった。さらに今まで、低音が割れていた曲もiPodはそういうこともあるそうなので、そんなもんなのかなって思ってたら、ちゃんと鳴ってるじゃないか!
アップルの人たちは、待たしたりすることには謝ったりはしてくれたけれど、商品が不良品だとはぜったい認めなかった。今回の交換も、修理の部品がないからという名目。決して不良品だから交換するじゃないんだなこれが。

しかし、対応する人たちすべてが、自分の権限でやれることがほんの少ししか持ってなくて、だから自分のやれることが終わったらハイ終わり。考えられる限りの無責任さで対応してくれた。これも一種のアメリカ流なんだろうか?色んな人にどんどん担当が変わって、それぞれが適当なことを言って、たくさん人と話したから少しは状況が進展したかと思ったら、まったく進んでないって気がついたら、まるで自分がカフカの小説の中にいるかのような目眩を感じたね。

まぁ、ちゃんとした新しいのが戻ってきたからいいけど。こんな役所のような仕事しててアップルって大丈夫かな?逆に心配しちゃうね。アップルはオルタナティブだと思ってたけど、ホントかな?すでにそうじゃないのかも知れない。ぼくらはもっと他のオルタナティブをすでに求めてるんだよ。たぶん。

Sunday, October 21, 2007

ウィングスタジアムへ

昨日は午後から、神戸のウィングスタジアムへ、ヴィッセルと横浜FCの試合を観に。現在メインストリーム協会が中心にやっている「西宮の介助制度をよくする会」では、バリアフリーなどの‘まちづくり’に取り組んでいて、阪神や阪急の事務所や営業所に出かけていって、駅の改善やノンステップバスの導入を要望したりしている。今甲子園球場は大幅なリニューアルの最中で、よくする会も、車いす席の数を増やすことなどを提言するつもりで、今回の観戦はそのために、「よくできた」スタジアムを見学しておこうという趣旨のためのものだった。
このスタジアムは、障害者を毎試合何人か無料で招待していたりして、案内をボランティアのおじさんたちが熱心にやっている。ぼくらも昨年は何回か足を運んだ。

夕方近くから気温がだんだん下がってきて、このスタジアムはもともとどこかから風がやってくるので、寒さに輪をかけていた、今年は暑かったのでなかなか夏の気分が抜けないのだけれど、さすがにもう冬の支度をしないといけないなと感じるような気候だった。試合は、3−0でヴィッセルの快勝だった。ここのところ調子のいい大久保は無得点だったが、彼がうまくディフェンダーを引きつけていたこともあって、ミッドフィルダーとディフェンダーの選手が点を上げていた。

帰りは地下鉄を元町で降りて、いつものように、丸玉食堂でビールを飲みながら夕食。いよいよ出発の日が近いことをぼんやり思いながら、忘れている買い物のことを考える。今回の旅は、人生の流れを少しばかし変えたかったからだったけれど、いつ人は旅に出るのか?と考えてみると、それは旅に出ると決めたときだろうと思った。実際ぼくの人生も少しニュアンスを変えつつある。

以前グァテマラのプエルトバリオスという港町で、一人中華料理屋でチャーハンか何かを食べていたことを思い出した。突然停電になり、そのへんのテーブルで食事をしていたグァテマラ人たちは、闇に紛れてどんどん店から逃げようとする。店の娘さんは、なにか分からない言葉で怒鳴り声を上げてシャッターを下ろし、客が店から出られないようにして抵抗している。
どこか丸玉の娘さんがそのときの女の子にそっくりだと思いながら、チャーハンを食べた。

Thursday, October 11, 2007

オペラが来る

兵庫県立芸術文化センターができて以来、そう数は多くないけれど、折に触れてクラシックのコンサートへ行く。クイケンとラ・プティット・バンドや昨年末のアーノンクールが率いるウィーン・フィルハーモニー。初めて生のウィーン・フィルの音を聴いたとき、ぼくはあんまりワインのことは分からないけれど、古いいいワインを飲んだときこんな満足感があるのだろうかと思った。曲目はブルックナーの5番だった。まさか西宮でウィーン・フィルを聴くとは思わなかった。
佐渡裕が音楽監督をしていて、彼はオペラも積極的に取り入れ、自分で企画した『魔笛』もたしかこの夏やっていたはずだ。そして、気が早いと言えば早いのだが、来年夏、いよいよパリの国立オペラが来る。今月にはもう、電話予約が始まって、2005年パリでやったときにチケットの争奪戦となったらしいワーグナー『トリスタンとイゾルデ』が、バルトークとヤナーチェクの日、ポール・デュカスの日とともにプログラムに載っている。全部観たいところだけれど、もちろん予算が許さないとすれば、やはりワーグナーをとなるのは仕方がないだろう。
パリでの上演の話題となったのは、舞台に全編ビル・ヴィオラのヴィデオを配置して、まるで上演ではなく上映のようにしてしまったピーター・セラーズの演出。上の写真がそう。今年の春、ちょうどこれも兵庫県の近代美術館でやっていたビル・ヴィオラの回顧展で色々見ることができたばかりで、中にはオペラの演出らしくないという意見もあるようだが、彼の映像というより演劇的な映像作りがどう絡むのか、パリでのこんなレビューを読んでしまうと、期待はどんどんと膨らんできりがない。当時のニューヨークタイムスにもこんな記事が載った。
うまくチケットをゲットできればいいのだけれど。

Saturday, October 6, 2007

遅ればせながらの....

旅支度のひとつとして、遅ればせながらiPodを購入。最近でたClassicの80GBだ。すでに時代はタッチパネル方式のiPod Touchに移りつつあって、今頃mp3プレーヤーデビューというのも、あまりにも遅いと自分でも思い、今更とも思うのだけれど、さすがに半月ほど家を離れるので、その間手元に音楽がないというのもちょっと無理というわけで、先週の東京行きを契機に購入と相成った。
だいたい、電車での通勤もないし、先日みたいに長く家を空けることも少なく、家にいるときは大抵音楽を流しているので、出先や外でわざわざ音楽を聴くということもなく、ヘッドフォンで音楽を聴くという習慣も遠い昔のことになってしまっていた。じつのところ、かつてはどこでもヘッドフォンをして閉鎖的な心理状態でどこでも行っていたので、おそらくいつだったか、意識して外の騒音とか、逆に風の静かな音を聞きたいと思い出した時期があったのだったと思う。
でもまぁ、買ってしまうと、目新しく、音楽自体が嫌いな訳じゃないし、外に出るときはどこへでも持って行ってしまっている。一週間ほど使って、iPodは、たんなる携帯型の音楽プレーヤーではなく、いくつかこれまでのウォークマンなどとは決定的に違うところがあると思った。すでにアメリカの音楽市場はiPod以前と以後とは激変してしまっているので、今更改めて指摘することじゃないけれど、iPodがあれば簡単にネットを通じて音楽を買うという習慣に移行してしまう。先日から気になっていたジョニ・ミッチェルの新譜を、買おうと思ってせっかくだからiTune Storeを使うか、それともやはりジャケットがあった方がいいかな、などと考えながら近くのHMVでCDをチェックしていると2400円。ITSでは、1500円。この価格差は大きく、これに慣れると、もうジャケットがあろうとなかろうと、わざわざCDショップへ行って音盤を購入するなどとは思わなくなるんじゃないだろうか。少なくともぼくは、よほど特別なおまけがついてたりしないかぎり、ちょっともうこの値段には戻れそうもない。それに、Cover flowという技術で、手のひらの中で、ジャケットをくるくると回して探すことができるので、どこにいてもまるで、自分の部屋にいるよう。ジャケットがないという欠如感をまったくといっていいほど感じなくて済んでいる。
で、色々、ストア内をうろうろしていると、こんなものやこんなものなど、昔何回も繰り返して聴いていて懐かしいものが見つかって、思わずクリックしてしまっていてちょっとやばい。
それと、mDAのブログをみたり、色々教えてもらったりしてると、音楽がもはや、留まることのないくらい、ネットを通じて流通していってるのを知り、そろそろぼくもiPodを手に入れて、こっちの世界もチェックしないとやばいかなぁって思い始めていたのも、購入の動機のひとつだった。CDを買ってという音楽の流通形態では、もはや新しいことや意外性のあることは起きなくなっていたけれど、ネット上では、どこで何が起こっているか、起こるかが予測がつかない。少なくとも、期待するだけのわくわく感を現在は保っていてくれていると思う。

Wednesday, October 3, 2007

障害者運動の新しい波

半年ぶりの東京。呼吸器くんが、ピアカウンセリングの講座を受けに行くのに同行して、もう一人最近入ったFTMの介助者とともに、4日間国立の多摩障害者スポーツセンターの宿泊棟に、まるで缶詰にされたかのように籠もっていた。実際この施設には、門限があって夜9時から朝の8時までは出入りできない。夜も早すぎるし、朝もお腹が減ってコンビニにパンでも買いに行こうと思っても、そこに見えているのに出られない歯がゆさ。まるで幽閉されているようだった。
呼吸器くんが講座を受けている間、新しく買ったipodで音楽を聴きながら、誰もいないプールの水がゆらゆらとする様を、懐かしいような気分で眺めている。交代してぶらりと国立の駅前まで散歩して、雨に降られて慌てて帰ってきたり、部屋では、無理矢理冗談を作り出してはケラケラ笑って過ごしたり、睡眠不足で疲れてしまって、なんとなく黙りこくったりして3泊の予定は終わった。
講座が昼までで終了した昨日、呼吸器くんと一緒に埼玉の与野まで、自立生活センターくれぱすを訪ねた。このセンターの代表と事務局長は、二人とも女性で、埼玉の国立の療養所を出て自立生活を始めている。両人ともなんとも言えない素敵な笑顔ができる人たちで、呼吸器くんが自分の病院での辛い経験を話す間の、人を包み込むような微笑みが忘れられない。
呼吸器くんが、自分の所属するセンターは脳性麻痺の人が中心で、筋ジスはあまりいないから、と言うと「でも、最近筋ジスも増えてますよね」と、彼女たちのどちらかが返したとき、ふとぼくがここのとろずっと考えている「障害者運動の新しい波」というフレーズを思い出した。脳性麻痺の団体だった青い芝から始まって、日本の自立生活センターは、脊頸椎損傷の人たちが主となって牽引されて来たと思う。そしておそらく今は第3の波とも言える、さらに重度の障害を持った人たち、筋ジストロフィーやALSなど筋疾患の人たちが自立へと向かう動きが始まりだしている。
ぼくが、こうした動きが面白いと思うのは、これまで比較的閉鎖的なコミュニティー内で活動してきた障害者運動も、さらに重度になった人たちに重心が移ると、地域でのもっともっと多くのリソースと関わって行かざるを得ない、介助者はもちろん、これまで敬遠されていた医師や看護師ともそうだろうし、あらゆるところで良好なコミュニケーションとネットワークを築かなくては生きていけない、そういう意味で、地域で生きるということが、もっと本当の意味での地域で生きるという意味を持つようになるだろうし、本当の意味でノーマルな生活が始めるだろうと思うから。
彼女たちは昨日まで、神戸でまた他の団体の人たちとピアカウンセリングのサポート講座をやっていたらしく、昨日また新しく出来た、ネットワークの繋ぎ目とともに、こうしてどんどん繋がって行って結び目が増えていくことこそが、ぼくの予感を実証してくれていると思うのだけれど。こうした動きは、これまでの個人のリーダーシップに任せた力による運動ではなく、静かに静かに進んで、気がつけばそこら中に柔らかい網が張り巡らされている。運動はこうしてイメージで実現するのではないか。