Monday, July 21, 2008

オペラ

ふぅ。何てことだろう?人生にまだこんな楽しみを享受する糊代があったなんて。そこそこ年齢を重ねてきて、まぁこんなもんかなって感じてしまう物事も多くなってしまったけれど、まだ鳥肌が立って、涙がこぼれそうになるようなものがあった。

昨夜は、兵庫芸術センターで、約1年前からチケットを確保していたパリ国立オペラ公演。出し物はビル・ビオラの映像が付いたワーグナー『トリスタンとイゾルデ』。
午後3時に始まった公演は、2回休憩を挟んで、終わったのが8時過ぎと長丁場だったけれど、長いとはまったく感じなかった。繊細な演奏と美しい歌がつづくのは、瞬間瞬間が快楽で、最後のイゾルデの独唱が終わろうとしたときには、永遠にこの時間がつづいたらいいのにと思った。思春期になって、色んな大人の映画を夢中になって見始めた頃のどきどきした感覚が急に甦ってきて、自分の中にまだこんな部分があったんだと驚いたり、ホッとしたりしたような気分になったりしている。
終演しても拍手は鳴りやまなかった。それはほんとうに素晴らしいものを体験した後の拍手で、幕が再び開いて、独唱者たちと楽団員と客席が一体となった感覚になったとき、オペラの凄さとは、舞台のそちらでやられていることで終わるのではなく、そちらとこちらとをごちゃ混ぜにした人生そのものを感じさせるところなんだと思った。だから客席から送られる拍手は、舞台で熱演した人たちに拍手を送っているのと同時に、辛いことも楽しいこともありながらも、何とかここまで生きてきた自分自身に対する労いでもあるんだとふと感じた。

満足感の支配する雑踏を駅の方角へ向かいながら、オペラに狂う人がいるのもよくわかると思い。南米の山を越えてオペラハウスを作ろうとした男の映画があったのを思い出す。その監督ロッシーニのオペラの演出をして舞台で拍手を浴びているNHKの番組があったことなどもあわせて思い出した。

Saturday, July 19, 2008

蒔かれた種

コスタリカで最後にやったセミナーの様子が、むこうの一流紙に取り上げられて、帰る前の日に手にすることができたので、みんなちょっとした達成感を味合うことが出来た。やってる最中は夢中であまり気がつかなかったけれど、かなりハードなスケジュールだったので、こうして形に残ると単純に嬉しい。写真はインタビューの様子。
サンホセのセミナーで、おそらく今度研修で日本に来る女の子が、「今日本から来て蒔かれた種を、私たちで育てていきたい」と締めくくっていたのが思い出される。ほんとうにそうなればいいと思うし、彼女はもうすでに行動をこしてもいるので、おそらくそうなるだろう。

以下訳文です。原文はこちら


        日本人が、障害者の自立を勧める

私たち障害者は、無益であったり、用をなさない存在ではない。かわいそうに思われたり、すべてなんでもしてもらわないといけないこともない。今やこうした考えは変える時だ。私たちも人間であり、自立してある権利がある。こうしたことを広く知ってもらう必要がある。

こうして、昨日、日本の大阪にある自立生活センター代表廉田俊二氏は、エレディアにあるリハビリ審議会で数十人のコスタリカ人障害者を鼓舞した。53歳の俊二氏は、生まれ故郷で屋根から落ちて以来、39年間車椅子で生活しており、現在は日本で、身体的精神的な障害があっても、家を出て、一人で生活し、危険や不安があっても、自分自身で判断しながら生きることを主張しながら運動を率いている。

こうした中には、重度の精神的な問題があったり、脊椎が損傷した人も含まれる。

「それが本当に生きることです。多少危険があっても、その危険や自分に責任のあることを人任せにしない」。こう語り、こうした運動は日本では30年前から始まっていると言う。

俊二氏は、(*)障害者を雇用しない企業からの罰金からなる補助金で運営される、自立生活センターが各地にできることを勧め、そこでは、障害者の手足となる人たちがいて、障害者は自分の取りたいもの触れたいもの、どこへ行きたいかなどの考えを実現することができる。

「こうした人たちは、手助けをするだけで、彼ら自身が決定をすることはありません」と語った。

「目差していることは、障害があろうとなかろうと、それぞれの人が、その人の人生の主人公になるということで、障害が、その人がよく生きたり、充足して生きたりするのの妨げになったりしたらいけないということです」。こう語る俊二氏は、日本国際協力機構(JICA)の招きで、今回コスタリカを訪れている。

「もしある人が、手がなく生まれてきても、それはその人がどんな靴下を選んだらいいかといった能力や権利がないことにはならないし、裸足でいたいのに何でも適当に履かされるのを我慢しなければならないということでもありません」、こうつけ加えた。

「家族が、障害を持ったメンバーを、実際はそうではなくても見捨てたようになるのが嫌なのはよく分かります。しかしそれは、彼らが家を出て、その人に相応しい生活をして幸せそうにするのを見ることでもあるのです」と語った。

「わかりやすい言い方をすればですね。私は自立して生きています。もしここに障害をなくす薬があったとしても、私は飲まないでしょう。私は幸せですし、私のしていることや、現在あるものを楽しんでいるからです」、こう主張した。

その日本人は、自立について語ることは、生き残ることについて語ることであり、尊厳を持って生きることでもあると強調した。「変化は障害者自身が起こさなければなりません。何かよくなるかもと待っていても何も変わりません。今すぐ行動を起こさなくてはいけないし、それを障害者自身がやらなければならないのです」。

1986年俊二は、大阪~東京間の600キロの道程を、車椅子で旅しながら、駅が彼らにとってより使いやすいものになるよう訴えて歩いた。

注記)(*)「障害者を雇用しない企業からの罰金からなる補助金で運営される、自立生活センター」この部分は、コスタリカの新聞記者の勘違い。事実ではありません。ちなみに、廉田俊二氏は現在47歳。年齢も間違ってますね。

Friday, July 18, 2008

中国式ルーレット

シネ・ヌーヴォでやってるファスビンダー特集の最後の日。先週観た1本に、今日は2本、一週間毎日4本づつ上映していたが、結局3本しか観なかった。
今日は『シナのルーレット』と『哀れなボルヴィザー』。ともに1976年の作品。先週観た『少しの愛だけでも』もそうだけれど、どれもまったく救いがない。どこか生き方に不完全さを抱えた登場人物たちは、それを埋めようとじたばたはしてみるのだけれど、どちらかというと、その不全さは大きくなるばかりで埋まることはない。救いのないまま映画は終わり、残されたぼくたちが救われることももちろんない。が、それが人生だろうし、少し譲歩してみても、それも人生なんだろうと思う。
それは、もちろんファスビンダー自身が抱えていたものでもあっただろうし、ぼくが彼に惹かれるところでもある。
『シナのルーレット』を学生時代に観て、毎週のように入り浸っていたフランス語の先生のところで皆で酒を飲みながら、この映画に出てくる「シナのルーレット」の遊びをやったことを思い出す。それを発案したぼくは、おそらくこの映画の、足の不自由な娘だったのだと、今あらためて思う。他人と自分のどうしようもない悪意を直視すること。ゴダールのどこかの本に、「ファスビンダーのやり方は、オレたちはみんな最低なんだ。まずそこから話しを始めようじゃないか、というものです」と書いてあって、その箇所がぼくはとても気に入っていたことを思い出した。この言葉を、今再び、思い起こしておいてもいいだろう。

今日の昼は、母親の誕生日で、一緒に食事に行く。芦屋の三佳で鰻丼を。年月は経ち、色んなことを忘れ、様々な変化もあるということだ。

Saturday, July 12, 2008

『少しの愛だけでも』

今日は昼からお休みをもらって、京都コンサートホールへ高橋悠治さんのピアノコンサート。2年前の同じ時季に、高知の美術館のホールにゴールドベルクを聴きに行って以来だろうか。
今日のプログラムは、バッハの平均律から数曲選んで始まり、ブゾーニを3曲。休憩を挟んで、高田和子を悼んだ悠治さん自身の作品とカタルーニャ人の作曲家モンポウの『沈黙の音楽』。アンコールにはジョビンの曲をやるなど、なんてシブイ選曲。辺境なんて言葉すら浮かぶ。
クラシックの音楽家が売れてテレビに出て、ほとんどポピュラーとの境がなくなってしまった現代、悠治さんはひとりで闘いつづけている。取るに足らない人が多い中、数少ない心から信用できる人だ。曲を作りピアノを弾く。何という心許ない武器に見えるが、一度音がホールに響けば何という強力なのかと思う。これもまた闘争の最小回路だ。そういえば最近ホームページにサパティスタに想を得た合唱曲の楽譜もアップされている。

大阪へ戻り、ミンガスでカツカレーを食べて九条のシネヌーヴォ。今日から始まったファスビンダー映画祭で、75年の作品『少しの愛だけでも』観る。親子の葛藤。愛情。欲望と消費。精神分析。時代のアイテムがすべて揃っている。ぼくらがファスビンダーを見始めた頃彼はもうオーバードーズで逝ってしまったいたが、ダニエル・シュミットや同時代のドイツ映画に出てくる彼はとにかくかっこよかった。そして今でもぼくのアイドルでありつづけている。
シネ・ヌーヴォは若い人もそうでない人も取り混ぜてかなり多くのお客さんで一杯で、それがまた嬉しいところだった。

Thursday, July 3, 2008

イングリッド・ベタンクールの解放

パンナムハイウェイを、パナマの方に向けて南下して行くと、山がちの風景が、徐々に平原に変わってきて植物の葉っぱも広いものになっていく。
もうそこは、中米ではなく南米なんだという感覚が肌で感じられるようになる。運転手のラリーは、パナマはコロンビアから独立したから、中米には入らないと言っている。中米+パナマと言うんだと。
たしかにもうそこにはコロンビアがあるという匂いがしている。

今朝はびっくりするニュースが入ってきた。6年間もコロンビアのゲリラFARCに幽閉されていた、元大統領候補イングリッド・ベタンクールが解放された。コロンビア軍が展開して解放にこぎ着けたようで、ウリベ大統領にしてはしてやったりだろう。この件に関しては、ずっとベネズエラのチャベス大統領と主導権争いがつづいていたから、チャベスにとっては大きな失点となった。メキシコのウニベルサルがこの観点で論じている。