Thursday, August 20, 2009

Twitter x Willie Colón


ここのところつづけて、新しいテクノロジー、とりわけiPhoneがこれまでの世界に与えている変化をかいつまんで、書いている。インターネットが開いた変化の波にはいくつかあったと思うけれど、今はその何回目かの大波が来ているのだと感じる。

ちょうど10年ちょっと前くらいだろうか、Webを巡回して情報を集めることを、コンピュータに詳しい人だけじゃなく一般の人がふつうにやり始めた頃、ウィリー・コローンが自分のホームページをファンとのインターフェースにして、まるでその後は、ニューヨークという土地の呪縛から解き放たれたかのように、メキシコのクラブを中心に拠点を移してしまったことを思い出している。もちろんニューヨークでサルサを聞く人はどんどん減っていて、メキシコを拠点にせざるを得なかったのは、多分に営業的な判断があったのだろうけれど、音楽的なキャリアを見渡してみても、この人には、「新しいこと」への独特の嗅覚があって、すぐに飛びついて、自分のものにしてしまう。

こんなことを思い出していたのは、話題のTwitterを、もちろんウィリーも始めていて(Willie Colón)、ここ数日まるで憑かれたように「つぶやいて」いる様を刻々とチェックしていると、おそらく彼が、この新しいメディアを、音楽関係者がよくやるお知らせや、宣伝的な使い方ではなく、自分の何かを「表現できる」と考えてそれを使っているとすぐに分かってきたからだ。

彼の「つぶやき」は、ときに英語ときにスペイン語、あるいはそれらが混じり合ったもの、多くは誰かか、あるいは自分で考えた警句が、間髪入れずつづいていく。それを見ながら、まるでアーティストが紙にあれやこれやと書き殴っている草稿が、目の前で書かれているような気がしてくる。
考えてみると、限られた字数で、考えやイメージを纏めるのはまさに作詞の作業と同じ、彼にはお手のものだろう。さらに、Twitterというものが、何らかの完成へ向かっているのではなく、(まるで人生のように)流れゆくプロセスそのものが刻々と移ろっていく様を表している、ということを再確認させてくれる。

iPnone x español

iPhoneには、大辞林や、ウィズダム英和・和英辞典など、物書堂のとてもiPhoneらしい辞書がいくつかあってこのためにiPhoneを買ったと言っていいくらい。

当然スペイン語の辞書も入れておくと便利だろうなと、いろいろ探してみてて、いくつかあることはあるようだけれど、満足いくものはまだ見あたらない。

探索の途中で、辞書ではないのだけれど、面白いものをひとつ見つけたので紹介しておこうと思う。RAEútilという正確には、ソフトウェアで、スペインの王立国語アカデミーのWeb辞書にとてもスムーズにアクセスできるようになっている。インターネットに繋がってないと役に立たないわけだけれど、まるでふつうの辞書をひいているよう感覚で、インターフェースがひじょうに洗練されている。

iTunesにはレビューもなく、日本語で書かれているサイトも見あたらなかったので、あまり知られていないようだけれど、とても素晴らしアプリケーションです。スペイン語学習者はぜひ手に入れてみたらいいと思う。Mac上で使うWidgetもあります。

Sunday, August 16, 2009

iPhone x Nicaragua

今回のニカラグア行きは、ぼく個人にとってはもちろん、発売日に手に入れたiPhone3GSを持ってはじめて日本の外に出るということだったのだけれど、事前に想定していたような使い方はほぼ思っていたとおりにできたんじゃないかと思う。
以下備忘録的に。海外での使用例として共有できたらいいと思う。

1)伊丹〜成田
成田では有料のWifiが複数飛んでいたけれど、国内なので3G回線で。搭乗と同時に機内モードにする。ここをはじめいろんなサイトが指摘しているとおり、海外での使用はパケット料金の割引が適応されないため、知らずに使って法外な請求が来るのを避けるため。以後帰るまでほぼ機内モードのままだった。

2)ヒューストン
到着したら、機内モードを解除。ATTの3G回線に接続されソフトバンクから海外での使用の注意書きが送られてきた。

アメリカではどこでも無料のwifiが飛んでるのかと思ってたけど、そういうわけでもなく空港ではboingoのサービスが使えた。実際には行きと帰りの数時間しか使わないのだけれど、一ヶ月$7.95のサービスに加入してみる。オンラインで決済したらすぐに繋がった。さっそくTwitterfon proで、Twitterに到着の写真をアップしてみる。

ハドソン川に不時着した飛行機のニュースを最初に報道したのはTwitterを使っていた乗客だったというのももう伝説になってるけれど、今回一番やりたかったのが、Twitterで、むこうの活動を画像・映像つきで伝えるということで、何とかすんなりとできそうな感じ。

3)ニカラグア
ニカラグアでの3G回線は、Claroという会社がキャリア。確認してすぐにまた機内モードに戻した。

ニカラグア滞在中は、ずっと首都マナグアのIntercontinentalというとってもいいホテルに泊まった。ぼくらは海外で仕事に行くときは、たいていとてもいいホテルに泊まるのだけれど、ぼくらが行くのは途上国が多く、そこで車いすに対応してくれるホテルとなるとだいたいこんなクラスになってしまうのだ。
ここでのインターネットは有料。同室の同僚と一週間$40をわけわけした。名前と部屋番号を入力すればパスワードが発行される。チェックアウトのときに料金と一緒に請求される。有線もあるし、無線がホテル全体どこでも飛んでいたので、まさにiPhone向きのホテルだった。

ホテルの前にモールがあったのだけれど、そこでは部分的に無料のWifiがキャッチできた。そういえば、打ち合わせに行ったJICAニカラグア事務所内も無線LANになっていたっけ。

Twitterは、なにか起こったらその場で送れるのがいいのだけれど、ホテル内での出来事はほぼそのとおりにできた。外に出ての活動は写真を撮っておいて、後でホテルに帰ってからアップする、ふつうにブログを書くような感覚でやった。

空港にも一部無料のWifiが飛んでいるのに帰り間際に気づいた。上の写真は出国を待っている時間にTwitterにあげたもの。

3)ふたたびヒューストン
帰りは便の関係で一泊しなくてはならず、去年泊まったEcono Lodgeというモーテルに一泊。ここのWifiは無料。ここの電話番号をパスワード代わりに入力したらすぐに使えた。この気楽さがアメリカっぽくてよかった。


一週間の滞在で、メールをチェックして返信し、いくつかのSNSを回ったり、ブログを読んだり、iPhoneがあれば日本での習慣がほぼ途切れることなく継続していた。本格的にテキストを入力したり、大きい画像を扱ったりしない以外は不自由に感じることはまったくない。iDiskやDropboxがあれば自分のパソコンを持ち歩いているのと一緒だし、むこうで知り合った人に、写真を見せて色々説明することもできる。もうちょっと便利すぎて、iPhone前の生活には戻れないよね。

Friday, August 14, 2009

中米のともだち #7


前の記事に書いたとおりニカラグアに行ってきました。

 JICA大阪が企画、うちの事務所が実施して去年からやっている、中米のコスタリカ、ホンジュラス、グァテマラ、ホンジュラス4カ国の障害当事者を日本に招いて、ゆくゆくは障害者自身が運営して自立支援や介助サービスを提供する自立生活センターを各国で作ってもらおうという研修コースのフォローのためだ。

 コスタリカ、グァテマラは去年すでに事前調査に行っているので、残りのニカラグアとホンジュラスも調査しようというのが、もともとの計画だったのだけれど、未だに解決しないホンジュラス国内の混乱のため、訪問をニカラグアだけにして、そのかわり去年と今年の研修生を全員ニカラグアに招待しようということになった。ニカラグアの去年の研修生サンドラがすでに、ニカラグア最初の自立生活センターを立ち上げたので、そこへ皆を招いて、お祝いして、さらに刺激を受けてもらおうという意図もあっただろう。

ぼくたち日本からのメンバーの一週間の滞在の真ん中3日間が、自立生活センター立ち上げに合わせてのセミナーになっており、研修生たちもそれに合わせて招かれていた。事前にグァテマラの今年の研修生の1人が仕事のため欠席であることが知らされており、直前去年の研修生の1人がお母さんの病気のため急遽来られなくなった。2人の欠席のため研修生12名+介助者2名、来られなくなったグァテマラのホセマリアの介助をする予定だった18歳の青年もやってきていたので、合計15名の大所帯だった。ぼくは、今年の研修生と別れて間もないので、どこかこのグループの一員であるような気がまだしているのが自分でおかしかった。今年のグループはたいへんだったけれど、それだけ関わりも深かったんだと思った。なるたけ色んな人と話をしたかったのだけれど、誰かと話していると誰かと話せないわけで、楽しい再会もかなりフラストレーションが溜まるものになってしまった。

研修の3日間は、自立生活運動についてと、実際の交渉のやり方。3日目は介助者についてで、演習はぼくが担当してやった。夜は夜で、研修生たちが作業が今どれくらいまで進んでいるかをインタビューして、研修生たちからの相談にものったりで毎夜遅くまで話し込んでいたので、なかなかハードなスケジュールだったと思う。

セミナーの他には、去年と今年の研修生が所属する団体の事務所を訪ねたり、障害者の家庭や施設の訪問。最終日には地方の町に行って障害者の雇用に熱心な日本とメキシコの合弁会社の工場を訪ねたり、サンドラの団体の地方支部を訪問したりした。マナグアはどこが中心か分からない、お世辞にも美しいとは言えない町だったけれど、一歩マナグアをでるとニカラグアは美しい。ゆっくり旅するときっと虜になる素敵な国だと思った。

自立生活センター立ち上げという「名目」で一連の行事は行われているのだけれど、じつはこの自立生活センターには、ちょっとなんちゃってなところがあって、サンドラの団体自身が、女性障害者の団体として始まっていることやポリオや片足切断など比較的軽度な障害者の団体であることで、どこまでぼくらが求める重度障害者のニーズやサポートが考えられているのだろうか、ぼくら自身やや疑問に思っている部分もある。開所式に行って事務所がスロープになっていなかったのが何より印象が悪かった。

しかしながら、実際に介助派遣用に、イギリスのNGOと政府から予算を取っていて、制度とはなっていないから、期間限定で介助派遣も行われることになる。こうしたことを僅か半年でやってしまったサンドラのエネルギーと政治力も侮れなく、最後空港でまた涙を見せている彼女と別れるとき、結局彼女が誰よりも情に篤いのだとも感じて帰った。

3日目のセミナーが終わって、最後に研修生全員と集まっているとき、iPhoneを持ち歩いていつでもメールチェックできるぼくのところにグァテマラのJICAの担当者からメールが来て、病気だったホセマリアのお母さんが亡くなったと知らされた。みんなが集まっているこんな時にタイミングがよすぎるなぁと思いつつ、彼と仲のいいホンジュラスの研修生に知らせた。この集まりが終わる頃には、みんなで彼を励ます言葉を書いて寸志を贈ることに纏まっていた。それまでぜんぜん見ず知らずだった人たちが、こうして集まって、もうみんな家族のようになっているから、その家族に不幸があってももうそれを自分の家族に起こったことのように感じている。そうした当たり前のことを感じた。