Thursday, November 13, 2008

aguas calientes dorados(金の湯)

夕方から、久しぶりに有馬の金の湯へ。おそらく昨年の6月以来。今日はあのときのように疲弊しきってはいない。ほんの骨休め。
車を駐車場へ停め、ドアを開けて外へ出たら、裏の山の空気がふっと流れてきて、とても心地よい。観光客が上がったり降りたりする坂を金の湯へ。
ゆっくり浸かっていようと思ったら、あいにく韓国人の団体客と同じタイミングになって、別にいやではないのだけれど、大声の外国語が側で鳴りつづけているとあまり落ち着けないので、彼らが出て行くまで、身体を洗ったりしながらしばらくやり過ごした。有馬は最近とくに新しい店も増え、彼らのようなアジアからの客もずいぶんと多くなっていると聞く。それ自体はけっこうなこと。
静かになった温泉でじっくり汗をかいて、そしてあがった。

帰りはもう暗くなっていて、帰りの坂を車で上っていると、満月の月が正面の木の陰から覗いている。真っ暗な道路がヘッドライトが照らし、これも最近またよく聞いているマデラ・フィーナアルバムの音量を上げて響かせた。ぼくはなろうと思えばいつでもラティーノになれる。

Huellas del padado(過去の足跡)

もうそろそろ、中米からの研修生も来るし、iPodの中もサルサやレゲトンでいっぱいにしとかなくちゃなって、物置と化している実家の元自室から持って帰ってきた一枚。1998年プエルトリコの歌手オビー・ベルムーデスのデビュー盤"Locales"だ。最近家でも外でもなんかずっと聞いちゃってる。ぼくはずっとフォローしなかったけれど、この後はサルサではなくふつうのポップスを歌って、それなりに人気が出て成功したはず。マイク・リベラとコンビを組んでこの頃のニューサルサをプロデュースしていた、ファン・ゴンサレスが単独でプロデュースして、それまでのサルサのテイストからさらにロックやポップスの味つけを濃くしていたのが特徴だった。キューバの新しいサルサが現れ、すでにレゲトンも登場していて市場は劇的に変わりつつあったから、それまでメインストリームを行っていたプエルトリコのサルサも変わらざるを得ない時期だった。音楽としてはおもしろかったし、当時もよく聞いていた一枚だったと思うけれど、どうしたら売れるかっていう「仕掛け」の部分が見えすぎていて、ぼくたちが愛していたそれまでの、身内だけで作っちゃいましたノリのサルサからどんどん離れていっているのが寂しくて表向きは批判的なことを言っていたと思う。

ふぅ、そんな頃からもう10年も経っちゃったんだ。おかげでそんなしがらみた思いからも自由になって、この音楽を楽しむこともできるわけだ。そして、やっぱりこのジャケットはインパクトがあったよなぁって思ったら、たしかぼくはこのジャケットをデザインしたアートディレクターにインタビューしたことがあったって思い出した。そんなことももう忘れちゃってた。10年だもんな。彼はミゲル・リベラと言って、ニューヨークに住むラティーノだった。連絡先はジャケットにあるクレジットにあったから簡単につかまった。当時のニューヨークの新しいサルサは彼がほとんど手掛けていたから、面白い話しがたくさん聞けた。それをラティーナに送って載せてもらったのだけれど、同じ理由でぼくはこの頃の新しいサルサに批判的だったから、このおしゃれなジャケットのことを語ることによって、そのマーケティングのされかたについて言いたかったのだと思う。記事のPDFを置いておきます。興味ある方はどうぞ。<PDF>

Saturday, November 1, 2008

Periódico de Ayer(昨日の新聞)

昨日、iPodに落としたスペインのラジオ局Candena SER のLa ventanaという番組を聞いていたら、Vanguardiaという新聞が、過去の新聞をすべてネットで公開しているという話しをしていて、その担当者が電話のインタビューで答えていた。おもしろそうなので早速アクセスしてみたら、なんかものすごいことになっていた。
過去の記事というのは、だんだん公開されるようになっていて、Googleでも検索できるし、登録さえすればNY Timesなども読める。Vanguardiaがすごいのは、これをPDFでやっていて、当時の新聞そのままの形で読めるということだ。確かに記事だけ読めれば、何かを調べて確認するだけだったらそれで事足りるかもしれなが、実際当時の新聞を見ていると、写真があり、他の記事と並んだ取りあげられ方のバランスが分かったりして平面的なものが立体で見えるようなリアルさがあった。しかも、それが1881年2月1日から昨日の新聞まですべてだ!

例えば、エクトル・ラボーが亡くなった、1993年7月1日の記事はこんな風だ。「プエルトリコの歌手47歳。心筋梗塞で入院していた病院で死亡...」。ねすごいでしょ。そのままYoutubeへ行って、"Periodico de Ayer"でも聞いてみたくなるよね。

しかし、こんなのに比べると日本の新聞はひどいね。金のことしか考えていないように見えちゃう。