Friday, April 23, 2010

『ウルトライスモ』

『ウルトライスモーマドリードの前衛文学運動』という本を買った。先週大倉山にあるかかりつけの漢方の先生のところへ行った帰りだ。坂田幸子という慶応の教授が書いている。国書刊行会2010年2月19日発行。
現代スペイン詩の歴史には少なからずラテンアメリカ人が関与して、節目ふしめで大きな役割を演じているーというようなことが書いてある。
ルベン・ダリオ、ビセンテ・ウィドーブロ、それからわたしの大切なホルヘ・ルイス・ボルヘス。
ウィドーブロは、チリの大学の授業で読まされた。が、覚えているのはビオレタ・パラがどこかの歌で彼の名を口ずさんでいたことだけだ。
不眠で悩んだサンティアゴの小さな部屋を出て、毎朝階下の大通りから「Macul12」というバスをつかまえる。疲労を残したままの身体は寒く霧のかかった郊外の町へと運ばれていく。職場にボランティアに来た女子学生が偶然わたしと同じ学部に通っていたことを知る。「Macul12」という懐かしい符合。
バスが轟音をたてて変わった信号を走り抜けていく。わたしはまたきれいな女の人に見とれていて、車に轢かれそうになった。

昨夜のこと。わたしはTwitterでおどろくような告白を目にしていた。わたしがその人のことを知ったのは、先日のチリの地震のとき、緊急医療の支援で詳しいレポートを現地から送ってきてくれていたからだった。ドクターだ。彼には、一緒に暮らしている実の娘のほかに、息子が一人いるというのが、話の骨格なのだが、単純な浮気で出来た隠し子というのとは少し違う。「彼女」(と彼は記していたが)は、意志してシングルマザーになることを望んでいた。彼は、それを語る「彼女」に感銘して、「彼女」のシングルマザーになる希望の手助けをしたのだという。その結果出来たのが彼の息子なのだという。
彼に、「彼女」は彼が娘のことをTwitterでつぶやいているのを見たと言った。あなたは自分のことしか考えていない、息子がTwitterを見ることもあるのだ、そうしたら自分にはまだ会ったこともない姉妹がいることを知ってしまうこともあるのだと責められたという。
チリの地震。サンティアゴ。カルメンとのコーヒーを飲みながらの延々としたおしゃべり。思春期の子供にとって両親の離婚というのは、大地震にも匹敵する出来事なのです、という河合隼雄の言葉が、わたしの人生の折々に浮かんではまた沈潜していっている。
サンティアゴを去る日、行きつけの中華料理屋へ飯を食いに行き今夜遅くここを発つんだというと、骸骨のような顔をしたウェイトレスが、意味深げな笑いを立てながら、最後にここに来たのね、と言った。わたしは冗談でそれに応える気力も尽きているほど疲弊していたのだと思う。