この放送局のいいのは、30分毎に時報が鳴ることで、この「同期」している感覚がなんか大切なんだなって気づく。たんにスペイン語が聞きたいのではなく、今この時にやっている放送を聞いていたいという欲求だったんだなって。
何だろうそれって?
このあいだ、こんなことを書いた後に、大澤真幸の新刊『不可能性の時代』を読んでいると、「オタクという謎」という章に、こんな一節を見つけて、ああ、たぶんこんなことなんだろうと思った...
鉄民さんのこうしたオタク的情熱の前史を探るとすれば、切手マニアではないか。切手蒐集は、鉄道マニアと並んで、古典的な趣味である。郵便のネットワークは、電気・電子メディア以前には、鉄道と並んで、あるいは鉄道以上に、人々にとって広域の普遍的な世界へのつながりを実感させてくれる手がかりだったのだ。外国の切手が好まれたのは、単に意匠がめずらしかったから、だけではない。その切手が、遠隔地へと広がる社会空間への想像力を刺激したからである。
大澤真幸のこの本は、彼の最近の、ナショナリズムと多文化主義を同時に超える、という離れ業をコンパクトに新書にしたもの。あまりにコンパクトすぎて、簡単な例を引いて、論証が終わってしまうので、説得力という面では今ひとつ。ホントかな?という思いが最後まで消えない。『ナショナリズムの由来』のような大著をやはり読まなくてはならないのか。
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