Tuesday, July 31, 2007

そして、アントニオーニも

昨日ベルイマンが亡くなって、スペインのエル・パイースを開いたら、なんだまだそのまま記事が載ってると思ってよく見ると、今度はアントニオーニだった。中学生になった頃どんどん映画に興味を持つようになって、こうした巨匠たちが世界中にはいることも知った。古い映画をやる映画館に、ときに学校をさぼって観に行った。「神の死」とか戦後の現代化していく社会のぎりぎりの孤独とかを描いた作品をわけもわからず観ていた。しかしそんなものは、悩むこともなく当たり前の社会になったか?20世紀が過去になっていくような感覚。一つの時代の終焉、というには皆桁外れに長寿であった。そういえば、先日新藤兼人が90歳を越してまだ映画を撮っているという番組もやっていたね。

Monday, July 30, 2007

『こんなとき私はどうしてきたか』

敬愛する精神科医中井久夫先生の新刊。大学を退官して後、西宮と宝塚の境にある有馬病院で医師や看護師を相手に、これまで経験してきた精神科医としての体験を講義したものを纏めてある。中井久夫のエッセイは、ほとんど読んでいるけれど、この新刊もそれほど専門的ではなく、ごくごく一般的な本として読める。内容はすでに、これまで出されているエッセイの中にも散見されることも多いけれど、治療者を前にしてそれが一つの纏まりなあるものとして読むことができる。統合失調症の専門家として語ったものなので、ほとんどがその患者に関するものだけれど、人生で困難に出会ったときの処方箋として、そのまま使えそうな気もする。回復とは、山の頂上を目指すことではなく、いかに転がり落ちないかに注意しながら、麓を目指すことである、なんていう至言が、あちこちに散らばっている。
すでに70歳を越え、大病もした後なので、あとどれだけ彼の文章を読むことができるかと考えると、1行1行が、貴重なものに思える。こんな老人になりたいと思える人物の一人であり、彼が阪神間の文化について書いた文章を読んで、ここで暮らしていることに誇りと満足感を覚える。ぼくが、詩を読むことを目指して、スペイン語を勉強してきたのは、仕事の傍ら、ギリシアの詩人の翻訳を出してしまう中井久夫の姿に憧れてだろうと思う。斎藤環が、中井久夫の本の中に自分の本の引用があったのを発見して、狂喜したと書いてあったのをみてその気持ちがとてもよくわかった。自分の未熟さが恥ずかしいかぎりだけれど、少しずつでも近づきたいものだね。

Monday, July 23, 2007

蕎麦と焼酎とラボー

仕事終わりのホッとしたひととき、さっと湯がいた蕎麦に、パリッと焼いた海苔。それと焼酎とラボー。こんな夜もある。いただきます。
GRDigitalが、故障で修理中なので、久しぶりにT1で。
Entre el bien y el mal seguirá el amor...
(善と悪の間で愛はつづいていくものなんだよ)...

The Killing of a Chinese Bookie

WOWOWのカサベテスの特集で、見残していた最後の一本。『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』。今回の一連の作品では、一番気に入ったかも知れない。もともと、135分の作品が108分にカットされて公開されていたらしい。今回は135分のオリジナル版。
しかし、そもそも人生とは2時間と15分くらいに感じられるもんなんじゃないか?
そんな冗長な、何でもないことやくだらない細かい事柄が積みかさなったものが人生なんじゃないか?今回の特集の彼の2時間を超える作品を見て、いかにぼくらは切り刻まれて、適当なストーリーに仕立て上がられたものばかしいつも見せられているんだろうと思った。
生の人生そのもの。
1976年。ファニアとパンクが交差した年。
血を流しながら、自分のナイトクラブの前に立ちつくすギャザラが、
ふと、サントス・コロンのイメージと重なる。
しかし、それらが共通の価値観のもとにあったのは、間違いがない。

Monday, July 16, 2007

それで結局....

それで結局、頂点に立ったのは、ブラジルだった。今日はちょっと見れなかったのだけれど。しかも録画も忘れたのでどんな試合だったかもニュースを読む程度でしか知りようもないのだけれど、スコアが3-0?なんでこんな一方的になるのだろう?ワールドカップのとき、ノリノリで予選を突破したのはいいけど、後一つ勝っただけでそれ以上行けなかった、あの結果からあまり学んでいないような気もする。
[Goles:1-0 (min 4, Julio Baptista) 2-0 (min 40, Roberto Ayala en propia puerta), 3-0 (min 69, Dani Alves)]
ブエノスアイレスの新聞は、選手の敗戦の弁を伝えている。<Clarín>リケルメのこの深刻な表情。「こんな風であってはいけなかった。しかし結果は見てのとおりだ。サッカーというのはこういった風に気まぐれなんだよ」。オウンゴールを献上してしまった、DFロベルト・アジャラ。

しかし、ドゥンガのこのコメントも泣かせる。「我々はブラジルサポーターのプライドを保つべくここに来たんだ。(ブラジルの)労働者は朝早く家を出て、夜遅くに帰ってくる。そんな彼らが満足を得られるのは、ブラジルが勝ったときだけなんだよ」

Sunday, July 15, 2007

タパチュラ

台風一過で、晴れ間が出ているので、自転車ででかけられるのが嬉しい。外へ出ると強烈な湿気。台風が運んできたどこか南の島の空気のよう。記憶が自然と検索して、過去のデータと一致させる。そうこれはどこか国境あたりの町に行ったときの感じと一緒だ。Tapachula,la ciudad frontera..タパチュラ。国境の町。むせ返るような湿気が、身体にべっとりまとわりついている。

Thursday, July 12, 2007

そして、アルゼンチン

そして、今朝は準決勝ののこりもう1試合。メキシコとアルゼンチン。前回のワールドカップからとても完成度の高いチームを作り上げてきたメキシコは、超英雄ウーゴ・サンチェスが代表監督になってさらに完成度が高まっている。(ぼくはちょうど彼が、レアル・マドリーで活躍している頃、メキシコでスペイン語を勉強していて、人気者で色んなコマーシャルに出ていたが、そのなかでも、歯磨き粉かなんかの宣伝で、にっこり白い歯を見せて笑っている姿が忘れられない)。
アルゼンチンも相変わらずのスター揃いで、なかでもビジャレアルからボカへ帰ったリケルメが、ワールドカップやチャンピオンズリーグで敗れて、周りから色々言われたり、さらに脅しを受けたりしたのにうんざりしていたのが、かつての姿を甦らせたような活躍で、チームも予選からここまで無敗できている。
おのずと、ガチンコの1点を争うゲームが予想されたのだけれど、リケルメのフリーキックからエインセが跳び蹴りで決めた1点目、後半に入ってのメッシの人を食ったようなループシュート。そのひとつひとつが、何か格が違うんだよって言っているようで、試合自体は悪くなかったのに、メキシコはどんどん元気がなくなっていった。リケルメはその後だめ押しのペナルティも決めて、この頑張り様は、やはりまたヨーロッパでやりたいっていうアピールだなって思ってみていると、marcaにレアル・マドリーがセスクを取り損ねたらリケルメを狙ってるなんていう記事が早速載っていた。
今回あらためて、南米選手権を見てると、このカップは今一番面白い試合をやるんじゃないかと思った。
ひとつは、やはり兄弟同士の争いなので、あいつには負けられないというプライドが懸かっている。そして、南米風の技を見せるサッカーを全体的に楽しむ雰囲気があって、姑息にそれをせこい手を使って潰しに行ったり、がちがちに守ってつまらない試合をしないようみんなが意思を統一しているような見える。
チャベスのもとで国が団結し始めているベネズエラ。いい仕事ができたんじゃないかと思う。
そうそう、ハーフタイムでサルサが流れてお姉さんが腰をくねらせていたのが映って、やっぱりこれじゃなくちゃなって思ったね。

Wednesday, July 11, 2007

ウルグアイ

これも恩寵と言うべきだろう。療養中のおかげで、サッカー南米選手権の盛りあがりをスカパー!にチャンネルに入ってるG+でじっくり観戦。今朝は準決勝の1試合目、ブラジルとウルグアイ。通算の対戦成績は互角らしいが、近年はほとんどブラジルが勝っている。
ぼくももちろんブラジルのサッカーは大好きだけれど、もともと強すぎるチームとか競技者にはあまり興味を惹かれない性分で、おのずとウルグアイを応援している。ウルグアイは、去年のワールドカップまでフォサッティという人が監督で、そりの合わない選手が多く、フォルランなんかも、奴が監督のかぎり代表には入らないと喧嘩してしまった。今年になってタバレスが復帰して、ほぼベスト・メンバーが組めるようになっている。
とくに、ビジャレアルからアトレティコ・マドリーに移籍が決まったフォルランは、今大会好調で、今朝の試合でも同点のゴールを決めた。(Goles: 0-1, m.13: Maicon. 1-1, m.45+4: Diego Forlán. 1-2, m.45+8: Julio Baptista. 2-2, m.70: Sebastián Abreu)
試合は、2対2となって、PK。胃の痛くなるようなPKで、ほとんど手のひらに入っていた勝利が、パブロ・ガルシア、ルガーノがはずしてスルッと逃げてしまった
それでも、ウルグアイは、ほとんど代名詞のようになっていた汚いプレーもないし、繋がりがあるとても素敵なチームに仕上がっていた。これからが楽しみ。

ウルグアイ、ウルグアイと呟いていると、そういえばボルヘスにウルグアイを詠った詩があったと検索してみると、すぐに見つかった。やっぱり最近はすごく便利になったね。Montevideo Jorge Luis Borges

Tuesday, July 10, 2007

雪のブエノスアイレス

南半球にあるアルゼンチンは週末から寒波に見舞われているそうで、今日ブエノスアイレスでは雪が降ったらしい。なんと89年ぶりということ。これも世界のあちこちで言われている異常気象の一つなんだろうけれど、新聞の論調はざっと見たところ、そんなに悲観的なものはなく。雪がめずらしくみんな通りに出てお祭り気分になっている、なんていうのが多い。(写真はその89年前のブエノスアイレス。1918年7月22日)。
今はもう抜けてしまった利用者の人が、オハイオの大学へ留学していたことがあって、そのときのクラスメートのペルー人の人へメールを打つように頼まれたことがあった。抜けた今でもたまにメールをやり取りしているのだけれど、リマに住む彼女は、いつでも気候がおかしくなっていると、詳しい天気のことなどを書き送ってくれる。ニュースだけではなく、そうした、人が直接感じた感想を聞くと、世界の様相はまた少しちがったものになる。

Saturday, July 7, 2007

ハグの効用

昨夜の『探偵ナイトスクープ』は、「“ナイトスクープアカデミー大賞”今夜発表!」という企画で、この1年インパクトのあった放送から、様々な賞を与えるといったものだった。「主演男優賞」に選ばれたのが若い男の子で、大阪の町中で、プラカード持って、道行く人に「ハグしませんか?」と声を掛けていき、緊張していた町の雰囲気が、ハグの波が拡がっていく毎にだんだんほぐれて、ピースフルなものに変わっていくような番組になっていた。なかなか感動的で、日本の若者なかなかやるなとか、自分がこれまで「ハグ」した感覚などを思い出したりした。

それで、何とはなしにGoogleで「ハグ」と入れて検索していると、アルファ・ブロガーで有名な極東ブログの記事が引っかかった。記事は、オーストラリアから始まったFree hugsという運動?を取りあげていて、そこで紹介されてるYoutubeの映像を見ると、昨夜の番組でやっていることとほとんど同じだったので、いくぶん興ざめして、なぁ~んだ、といった感じ。




それは、さておいて、ぼくが最後にハグをしたのはいったいいつだったかと思い出していると2年前のちょうど今頃の季節、クトが京都に来て、プエルトリカン・パワーとSony Musicの内輪向けのライブをした翌朝お別れしたときだった気づく。日本にいて、日本人とハグすることは、まぁまずないだろう。クトとは電話の連絡はかなり前からあったのだが、会うのは初めてだった。しかし想像していたのとまったく同じ厚い胸板で、その抱擁感もまったく想像していたとおりだった。縁がある人との縁の必然性のようなものを感じた瞬間だった。ぼくがラテンアメリカにはまった理由のひとつは、おそらく「ハグ」の魅力だったのではないだろうかと思う。スペイン語では"abrazo"という(abrazame...)。人と人との感情を合わせる自然さがあっちにはあって、あそこで自分は生きていた感じがしていたのだとあらためて思う。それを忘れてどれくらい経つ?
疲労してしまうのも無理もないだろう。

Friday, July 6, 2007

Faces

肉離れは、なかなか遅々として、すんなりとは治ってくれないが、少しは人間らしいスムーズな動きも少しずつできるようになってきて、もうしばらくといったところか。しかしこの怪我はある意味恩寵でもあり、経年の疲労というか身体の芯に溜まった疲れを解消してくれる、いい休暇を与えてもくれている。ちょっとした人生のリセットといったところか。
録りためていたカサベテスの『フェイシズ』。1968年のアメリカ映画。今回WOWOWで特集するまで、カサベテスの作品は『グロリア』しか見たことがなくて、『グロリア』はもちろん気に入っていたのだけれど、今回の特集にはちょっと驚いている。時代が、オルタナティブなものや実験的なものを許容していたり求めていたりもしていたとはいえ、ここまで「自分」の映画を撮ることができていたというのは、ちょっとびっくり。ロッセリーニの『イタリア旅行』を思い出させるのだけれど、だとすると、ヌーベルバーグの他にもう一人の子供がアメリカに生まれていたということか。