Saturday, May 10, 2008

コスタリカ

昨夜、第七藝術劇場へ入ろうと、ビルの下へ向かっていると、ふと隣にコスタリカという喫茶店があるのに気づく。コーヒーがうまそうな昔ながらの喫茶店風。七藝には何度も来ているのに、この喫茶店がコスタリカという名前だったとは知らなかった。あるいは、気にしなかった?
やはり、来月仕事で、コスタリカへ行くことになったから、無意識にアンテナを張っていて、こうしたものは引っかかるんだなぁって思いながら、一枚。付近は風俗の呼び込みのお兄さんであふれている。

職場では、もう何年もアジアから障害者の研修生を受け入れていて、そこで学んだ研修生が伝える形で、韓国、台湾、ネパール、パキスタンにどんどん障害当事者による支援団体が生まれている。今回はじめて、中米からも受け入れることになって、来月その事前の調査に通訳がてら行くことになった。
ぼくの人生には、いくつかの段階があって、映画ばかり見ていた思春期。大学へ入って、ポストモダン系の哲学を勉強したこと。大学を出たあと長いことラテンアメリカをぶらぶらしたこと。などなど。

こんな下地を持って、あんまりこれといった考えもなく今の障害者の世界に関わりだして10年。とりわけ職員になったここ数年は、自分は今までやってきたことをここで総合しているんだという意識を強く持つようになって、実際、映画を作ってみたり、一時あまり読まなくなっていた本をもう一度取り出して、そのアイデアを再確認したりしてみるなんてことをつづけていた。ふしぎなもんで、そういう風に思い出すと、自然と向こうから流れはやってくるようで、職場ではアジアから研修生が来てるから、こんな風にラテンアメリカから来たら面白いなって思ってたらホントになってしまった。これまでやってきたことは、一時まったく自分の中から消えていたものもあるけれど、スペイン語だけは忘れちゃいたくないなって思ってたから、細々とでも継続的に触れてきた。インターネットの時代になって、そんなに苦労せずとも毎日習慣のように向こうのサイトにアクセスできるようになったのも大きい。何でも続けておくもんだなって、普通に思う。語学というのは、仕事になると緊張感があるから、それでやったことでまた一段上達するので、今回もまたうまくなれればいいね。

Friday, May 9, 2008

おそいひと

十三の七藝に、西宮の障害者、住田さんが主演している『おそいひと』を見に行って来た。
9時からのレイトショーなので、やまもとで、すじネギ焼きでビールを一杯やってから行く。卵が多めの生地がやわらかくおいしい。ふだんは西宮市内で暮らしているので、たまにこんな時間に大阪へ出てきて、隣の方で、ドラマに出てくるようなサラリーマンの人たちが、会社や仕事の話しをしているのが妙に新鮮に感じる。

じつはこの映画のエキストラとして、おそらく5~6年前くらいだったと思うけれど、利用者の男の子と一緒に狩り出されて行ったことがあって、その後完成したという話しも聞かなかったし、なんとなく時間とともに忘れてたのが、先日七藝のサイトをチェックしているといきなり上映の予告があってびっくりした。
主演の住田さんは、ぼくが働いている団体とはまた別の西宮の障害者団体の事務局長で、ぼくはこの映画にも出てくる、そこの代表の福永さんの介助に1年くらい入っていたから、住田さんにも何回か会ったことがあった。

エキストラに行ったときは、どんな映画を作っているのかまったく分からなく、たぶん少し寒い時期で、早く終わってくれないかなって思って待っていたくらいだったと思う。今日はじめて、仕上がった作品を見ると、想像していたものとまったく違っていて驚いた。
まず、色彩がぜんぶ落とされて、モノクロームになっていて、所々最近のデジタル技術を使ったギミックで、映像がデフォルメされている。住田さんの特徴的な顔がクールでうまく仕上げてあると思う。障害者の映画というのは、無意識にドキュメンタリーか、それに類するものと思いこんでいるから、これだけでも、なかなかじゃないかと思った。
映画は、住田さんと大学生の介助者の女の子との交流が、恋心めいたものへと移る前半と、それが叶わず通り魔になって、殺人を繰り返す後半に別れる。なぜそれがいきなり人殺しってことになるのか?よくわからなかったのだけれど、最後の最後、友人たちが住田さんを驚かせようと誕生日の準備をしているところに、血みどろの住田さんが帰って来るところで、なんか監督の意図はよく伝わっていて、それはとても説得力があったと感じた。
つまり、ぼくらの団体はそれほどでもないと思っていたけれど、それでも普段かなり「いい人」モードで生きてるよなって思わされた。なんかあればケーキを用意してしまうような。まぁ、それはとてもいいことなんだけど、そんな白い感情ばかりだけじゃなくて、血みどろなものとか、どす黒いもんがあったり、そうした色んなものがあって、自然なんだろうと思う。これは、障害者をノーマルに描くという、最近の潮流とじつは、そんなに違いはないのだけれど、そこに監督流の「表現」が加わっているところが新しいと言えるか。

Thursday, May 8, 2008

『移動の技法』#10

そのときカフェは心おきなく思考を爆裂させることのできる場所となる。なぜなら誰にもわたしは見えず、わたしはそこに流れている音楽にすぎず、たとえば街のどこででも聞こえる流行歌のワンフレーズであるからだ。そしてわたしはこっそり下宿をぬけだしカフェにおもむき、わたしの思考を誰も盗みはしないことを確認しているのだ。そこでわたしは宛名のない手紙を何通も書き、それが湿った曇り空の西風にふッと飛ばされていく様を目にしたりもするのだ。ウェイターは手を前に組んだまま何事もなかったかのようにそこに立っており、“camarero!” という声に反応してくるりと歩みを進ませるのだった。そのときだ。「どうしたの?これは、いったいどうしたことなの?」そんな女性の戸惑いの叫びを聞いたのは。しかし、音楽のように微かに響いてくるその声がどこから届いてきたのかと考えていると、それは、ジル・ドゥルーズロッセリーニの『ストロンボリ』について語ったくだりからだった。テーブルが砕けて、冷房の部屋から夏の光へと粒子となって飛びだしてゆく。ふせてある10個のグラスが融けて店主の声のあたりを、すッと流れ落ちてゆく、大理石の床がぐっしょり波立って、老人が三人りサーフしている。南洋の観葉植物には「取扱注意」のラベルが、、。、さあ、時間だ。(しかしいったい何の?)

Wednesday, May 7, 2008

オタクという謎

この放送局のいいのは、30分毎に時報が鳴ることで、この「同期」している感覚がなんか大切なんだなって気づく。たんにスペイン語が聞きたいのではなく、今この時にやっている放送を聞いていたいという欲求だったんだなって。
何だろうそれって?

このあいだ、こんなことを書いた後に、大澤真幸の新刊『不可能性の時代』を読んでいると、「オタクという謎」という章に、こんな一節を見つけて、ああ、たぶんこんなことなんだろうと思った...

鉄民さんのこうしたオタク的情熱の前史を探るとすれば、切手マニアではないか。切手蒐集は、鉄道マニアと並んで、古典的な趣味である。郵便のネットワークは、電気・電子メディア以前には、鉄道と並んで、あるいは鉄道以上に、人々にとって広域の普遍的な世界へのつながりを実感させてくれる手がかりだったのだ。外国の切手が好まれたのは、単に意匠がめずらしかったから、だけではない。その切手が、遠隔地へと広がる社会空間への想像力を刺激したからである。

大澤真幸のこの本は、彼の最近の、ナショナリズムと多文化主義を同時に超える、という離れ業をコンパクトに新書にしたもの。あまりにコンパクトすぎて、簡単な例を引いて、論証が終わってしまうので、説得力という面では今ひとつ。ホントかな?という思いが最後まで消えない。『ナショナリズムの由来』のような大著をやはり読まなくてはならないのか。

Tuesday, May 6, 2008

病院(2)

すぐ退院のはずが、体調はそれほど悪くはないそうなんだけれど、血液検査の値がなかなか平常値に戻ってくれないようで、入院はつづいている。で、今週は病院での泊まり介助。夕方6時に入って、翌朝10時まで。けっこうな長さ。
5時に、病院近くの洋食屋さんが、開く時間に行って、カツカレーを食べて病院へ行く。日付がかわる前にはお休み態勢に入ったが、呼吸器の高圧設定が、低めに設定してあるらしく、眠ったらすぐアラームが鳴り出す、本人は気にせず気持ちよく眠っているみたいだが、そうなればなるほど、アラームは鳴りつづけこっちはたまらない。ほとんど、一睡もできないまま朝。
洗面して、買っておいたサンドイッチを食べ、カーテンを開けて、曇り空の朝の空気を感じると、どこかの旅先で目覚めたような気分になった。案外気分はよく、眠っていないようで、どこかで眠っていたんだと思う。

10時に終わって、大倉山から歩いて、降りる。新開地、西元町、元町と歩き、途中本屋へ寄っていたりすると、昼近くに。うどんでも食べて帰ろうかなと思っていたが、三宮で通りがかった洋食屋さんがおいしそうだったので、入って食べることに、また揚げ物で、疲れてなんだかそんなものが欲しいのかとも思う。ミンチカツの定食に、昼間からワインを一杯やって帰る。
昨日もそうだけれど、神戸の洋食屋さんは仲のいい家族で経営されてて、そのチームワークが見ていて楽しい。どこか懐かしい雰囲気と味。

Saturday, May 3, 2008

時報

そういうわけで、スカパー!のTVEは終了し、最近はiPodにダウンロードしたBBCやNHKのスペイン語ニュースを聞いたり、インターネット経由で、スペインの国営放送を見たりして、スペイン語に触れるようにしているんだけれど、コンピュータのモニターに画面がちらちらするとどうも気になるので、ここのとろ同じ国営放送のラジオを聞き流していることが多い。
どうも、スペイン語を聞くということに関して、オンデマンドというのは、ぴったり来なくて、なんとなくお勉強している感じになってしまうし、目の前に画面があると見てしまう。ながらでやる方法はないかなぁって思っていて、結局ラジオを流しっぱなしにしている。部屋のテレビの音を消して、つけっぱなしにして、ネットのラジオでスペインの放送を流して、コンピュータに向かうというスタイルに落ちついた。
この放送局のいいのは、30分毎に時報が鳴ることで、この「同期」している感覚がなんか大切なんだなって気づく。たんにスペイン語が聞きたいのではなく、今この時にやっている放送を聞いていたいという欲求だったんだなって。
何だろうそれって?

Thursday, May 1, 2008

『移動の技法』#9

この部屋は静かすぎるので、すこし、ざわつかせてみよう、と考えた。いや、ざわついているのはむしろこの部屋だ。そう、ここはひとつのカフェで、みなが5時のお茶のために集まってきているのだった。ここはひとつのカフェであるからここはすべてのカフェであるのだ。そして無限のわたしがここにいるのである。(ヘンデルのバロック音楽がこのうえない心地よさを享受させている)。名もない女がわたしのまえにコーヒーを一杯はこんできたが、その女は《グロリア》と名づけられている。それはわたしの知っている《グロリア》と肌の色はおなじであったが、年恰好はまるで違ってまぎらわしいので、わたしはその女を《グロリアおばさん》と呼ぶことにした。グロリアおばさんがはこんでくるのは、コーヒーだけではなく日替わりの定食もはこんできていた。わたしは彼女を愛したが、わたしは《彼女》を愛したわけではない。わたしが愛したのは彼女の滑るように歩くその仕方であり、わたしが食べた後、「どうだった?」と訊ねたその口もとと目つきだった。そして、微かにしわがれたその声。、つまり、わたしは彼女を愛していたわけだ。ある日いつもするようにその声を聞きに行くとそこに居たのは若いウェイターで、わたしは二度と彼女のその声を聞くことはなかった。その瞬間から世界は崩壊しはじめた。マリアを捜しにわたしはその階段を上ってゆき、「マリアを捜しているのだが....」と言うと、そこにいた若い女は、「わたしがマリアよ」と言った。《注意》。千のマリアがわたしを待ち伏せにしている。1992年10月5日。サンティアゴ。バスはイタリア広場を回ってメルセに入る。公園の緑。ブローニュの森はこんな匂いがするのだろうかとわたしは考えている。