tag:blogger.com,1999:blog-88186315915688631632024-02-19T22:11:30.112+09:00el documentalistaTakeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.comBlogger217125tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-7126618394577418322011-12-13T15:05:00.001+09:002011-12-13T15:21:37.425+09:00大山崎あたり<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/UM0s3jYukgk?rel=0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br />もう先々週の週末になるのだけれど、京都の中村のお母さんが、お姑さんが長く住んでいた家を処分するつもりということで、西向日の古い家に残った炭を使って皆に肉などを焼いて振る舞ってくれた。佳代ちゃんの介助者の人を中心に集まった人たちでしばし小宴。付近は閑静な住宅地で、ここに来て一挙に寒くなって庭の木々が赤くなったのが道一面に広がっていた。雨が降ってあいにくの天気だったのだけれど、慌ただしい日常から逃れてほっとした時間だった.<br />阪急の京都線に乗って高槻までは特急、あとは各停に乗り換えて行った。この路線は大学時代毎日のように行き来していたものの、このあたりをローカル線で走るのは初めてかも知れない。ちょっとした旅行気分で、通り過ぎる駅名をあらためて確認している。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-8363609092151868172010-04-23T18:48:00.004+09:002010-04-23T19:17:35.899+09:00『ウルトライスモ』<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzfr3gNs_d2VKBoetx__fcQmNpzk6xB_cdhfOplwgR8Fd0TlpjnXn3o7tmg5Af4bB3RxH-I7fuhVFzYDJfjQOmrzqyOSzSBxLf6sVarUyB0aLTzOqiaf2kOl9-qG8BP1AYj89LL9r6OKpg/s1600/41DcUyY2CPL.jpg"><img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 227px; height: 320px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjzfr3gNs_d2VKBoetx__fcQmNpzk6xB_cdhfOplwgR8Fd0TlpjnXn3o7tmg5Af4bB3RxH-I7fuhVFzYDJfjQOmrzqyOSzSBxLf6sVarUyB0aLTzOqiaf2kOl9-qG8BP1AYj89LL9r6OKpg/s320/41DcUyY2CPL.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5463274837958110338" /></a>『ウルトライスモーマドリードの前衛文学運動』という本を買った。先週大倉山にあるかかりつけの漢方の先生のところへ行った帰りだ。坂田幸子という慶応の教授が書いている。国書刊行会2010年2月19日発行。<br />現代スペイン詩の歴史には少なからずラテンアメリカ人が関与して、節目ふしめで大きな役割を演じているーというようなことが書いてある。<br />ルベン・ダリオ、ビセンテ・ウィドーブロ、それからわたしの大切なホルヘ・ルイス・ボルヘス。<br />ウィドーブロは、チリの大学の授業で読まされた。が、覚えているのはビオレタ・パラがどこかの歌で彼の名を口ずさんでいたことだけだ。<br />不眠で悩んだサンティアゴの小さな部屋を出て、毎朝階下の大通りから「Macul12」というバスをつかまえる。疲労を残したままの身体は寒く霧のかかった郊外の町へと運ばれていく。職場にボランティアに来た女子学生が偶然わたしと同じ学部に通っていたことを知る。「Macul12」という懐かしい符合。<br />バスが轟音をたてて変わった信号を走り抜けていく。わたしはまたきれいな女の人に見とれていて、車に轢かれそうになった。<br /><br />昨夜のこと。わたしはTwitterでおどろくような告白を目にしていた。わたしがその人のことを知ったのは、先日のチリの地震のとき、緊急医療の支援で詳しいレポートを現地から送ってきてくれていたからだった。ドクターだ。彼には、一緒に暮らしている実の娘のほかに、息子が一人いるというのが、話の骨格なのだが、単純な浮気で出来た隠し子というのとは少し違う。「彼女」(と彼は記していたが)は、意志してシングルマザーになることを望んでいた。彼は、それを語る「彼女」に感銘して、「彼女」のシングルマザーになる希望の手助けをしたのだという。その結果出来たのが彼の息子なのだという。<br />彼に、「彼女」は彼が娘のことをTwitterでつぶやいているのを見たと言った。あなたは自分のことしか考えていない、息子がTwitterを見ることもあるのだ、そうしたら自分にはまだ会ったこともない姉妹がいることを知ってしまうこともあるのだと責められたという。<br />チリの地震。サンティアゴ。カルメンとのコーヒーを飲みながらの延々としたおしゃべり。思春期の子供にとって両親の離婚というのは、大地震にも匹敵する出来事なのです、という河合隼雄の言葉が、わたしの人生の折々に浮かんではまた沈潜していっている。<br />サンティアゴを去る日、行きつけの中華料理屋へ飯を食いに行き今夜遅くここを発つんだというと、骸骨のような顔をしたウェイトレスが、意味深げな笑いを立てながら、最後にここに来たのね、と言った。わたしは冗談でそれに応える気力も尽きているほど疲弊していたのだと思う。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-42146472001943029242010-02-11T21:30:00.006+09:002012-10-14T11:36:29.629+09:00ぴーちゃん<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiwTsWbmImsTszjglQCJ4aXUTmBmcVuxiEeZHDo_GFXmTtrX02OPRGwKmBsExGz6hxEPAXFXUhN-_TOp14uW9ixmY2wS2A6eyzCOC-GDMR8Or7NqsWzLjprbd_swCo-Ocd3U-TQ3O7KKEFt/s1600-h/R0010384.jpg" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}"><img alt="" border="0" height="426" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5436965296748153410" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiwTsWbmImsTszjglQCJ4aXUTmBmcVuxiEeZHDo_GFXmTtrX02OPRGwKmBsExGz6hxEPAXFXUhN-_TOp14uW9ixmY2wS2A6eyzCOC-GDMR8Or7NqsWzLjprbd_swCo-Ocd3U-TQ3O7KKEFt/s640/R0010384.jpg" style="display: block; margin: 0px auto 10px; text-align: center;" width="640" /></a><br />
きのうの朝ぴーちゃんが亡くなった。出勤の仕度をしているときに妹より電話があって、たった今亡くなったというので、慌てて飛び出して実家へ向かった。ぴーちゃんはまだ温かく眠ってるようにも見えたけれど、頭を持ち上げると首はやっぱりぐったりしていた。<br />
誕生日が1月4日だったので、17年と少し生きたことになる。長生きだった。そして当たり前に家族の一員だった。震災の前の年で、寒くて雪が降って、積もった雪の上をまだおぼつかない足で走っていたのを覚えている。この頃のぼくは、最後に長期の南米での滞在を終えて帰った時期で、様々な方面で人生に完全に行き詰まっていた。日々をほぼベッドで暮らしていて、外出するのは週に一度の精神科通いといった生活だった。そうは言わなかったけれど、見かねた母親がぼくを元気づけるとか、刺激を与えるような気持ちでもらってきたようないきさつもあったかと思う。名前はぼくがつけた。サルサに狂っていたので、ソノーラ・ポンセーニャのボーカリストの名前をもらって、ピッチーとした。だからこの犬の正確な名前はエクトル・ピッチー・イノウエなんだと、会う人会う人に説明していた。17年間にはさすがに様々なことがあった。地震もそうだし。その翌年にぼくは自殺未遂事件を起こしてる。なんとかそうした状況を脱して、その後ぼくは実家を出て近くに部屋を借りることになったのだけれど、入れ替わりのように妹に子供ができて、家の中は子供中心に変わっていった。彩ちゃんはそれでも、みんながぴーちゃんばかしかわいがるのを、最後までおもしろくなく思っていた。とにかくそうした17年のすべての瞬間にぴーちゃんは立ち会っていたわけだった。<br />
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11月の終わり、ぼくがコスタリカに一月いて帰った頃、メールでだいぶ弱ってるときいていたのだけれど、じっさい歩いてもふらつくほどだった。けれどそのときはなかった食欲もしばらくしたら取り戻して、また元気になって散歩にも出だしていた。無事に年を越し、誕生日のすぐあとにぼくの大学時代の友人たちが遊びに来て、あの犬がまだ生きてるんだと驚かれもしていた。そういう間にまた体調がすぐれなくなってきて、すでにここ数年耳も視力もずいぶん衰えてきているのがさらにひどくなっていった。心配でぼくも毎日実家へ顔を出すようになったが、それでも散歩にうながすと、行きたがるので、もう数え切れないくらい歩いた道を、何倍もの時間をかけてゆっくり歩いて帰ってきた。今から考えると、そうしたことがもうすでに別れの儀式のようで、その儀式を遡るといつまでか分からないくらいで、今日の日のダメージを少しでも和らげようと少しずつ少しずつ準備をしてきていたのだと思う。<br />
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今日の祝日は、実家の家族も全員そろっていて、雨がいつ降ってもおかしくない天気だったので、朝まだもちこたえている時間に、庭の隅に穴を掘ってみんなで埋葬した。そうして昼には人が死んだときにするのと同じように、寿司を食べ、元気だった頃のぴーちゃんの話をした。家族は、悲しむというより、なにか一匹の犬を看取った、軽い達成感を感じているようにも見えた。一段落して自分の家に帰っていると、何もしていないのになんだかぐったり疲れていると感じた。ひとりになると悲しいんだろうなと思い、誰かが永遠にいなくなったときのあの独特の寂しさがやってきた。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-37429580946919968052010-02-07T22:59:00.003+09:002012-10-15T05:40:58.448+09:00シルビアさん<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAVdT6tesBLJ3eJK4EDlsTuldaRjhYIrzndBdJvaZYbGZn3n56sq5Lg7WzcQPRNP1ZEdJZQCuCjDzt9OGR8TDULPLq6_ddu3WpOQ88lDLVd9V5f4dH9dyRriwswn4EVyIuXwO9tc6rEPP8/s1600-h/R0010381.jpg" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}"><img alt="" border="0" height="426" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5435501031131325970" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiAVdT6tesBLJ3eJK4EDlsTuldaRjhYIrzndBdJvaZYbGZn3n56sq5Lg7WzcQPRNP1ZEdJZQCuCjDzt9OGR8TDULPLq6_ddu3WpOQ88lDLVd9V5f4dH9dyRriwswn4EVyIuXwO9tc6rEPP8/s640/R0010381.jpg" style="display: block; margin: 0px auto 10px; text-align: center;" width="640" /></a><br />
一昨日金曜日、コスタリカより美しい女性の来客があったので、もともと休みの日だったのだけれど事務所まで出かけていった。<br />
シルビアさんはJICAのコスタリカ事務所で働いている現地職員で、ぼくたちが毎年受け入れている研修生たちを募集して、送り出すまでを担当している。障害当事者である研修生たちは、はじめて飛行機に乗ったり海外に出るのも初めての人も多かったりするのでパスポートのとり方から教えたりしていると言っていた。ぼくらが初めてシルビアさんに会ったのは、一昨年6月にその秋から始まる中米研修の下見のためにコスタリカを訪れたとき、初日の打ち合わせでだったが、ぼくらがおもに活動しているのは彼女のいる首都サンホセではなく地方の町でが多いので、それ以後は、そんなにしょっちゅう顔を合わせているわけじゃなく、セミナーがあったときに挨拶を交わしたりする程度だった。彼女がぼくらにとってとくに印象深いのは、コスタリカ人の現地職員であるのに、かなりちゃんとした日本語が話せるからだった。<br />
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それもそのはずで、彼女は9歳から15歳にまるまで、お父さんが大学に留学していたので家族で長崎に住んでいたことがあったからだそうで、今年30歳になる彼女は忘れていたらしいのだけれど、JICAで働き出したのを機にだんだん思い出してきたと言っていた。<br />
その間、一家の中ではスペイン語は禁止だったらしく、コスタリカ人の両親と彼女と彼女の弟で日本語で会話している様子を想像すると、なんだかおかしくて笑えてきた。<br />
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シルビアさんは今週から始まる2週間の研修に参加するために来日したのだけれど、せっかくだからとその前に一週間前倒しで来ていくつか訪問したかったところを回っている。研修生を送り出す役目なのに、実際に研修所がどんなところか知らないので、それを知っておきたかったと東京と大阪の研修所を回り、そのついでにぼくらの事務所にも立ち寄ってくれた。「ここに来るのが夢だった」なんていう嬉しい言葉も言ってくれていた。午前中ときいていた訪問も、お昼ご飯を食べて、気がついたら午後3時を回っていて、ようやくかつてお世話になった人たちの待つ九州へ去っていった。今年の研修は夏になりそうで、3月か4月くらいにはテレビ回線を使った選考が始まるので、そのときまた顔を見ることができるだろう。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-67231662361107133332010-01-29T20:10:00.003+09:002012-10-15T05:41:20.469+09:00El Cantante<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVmTXyxS0y1p-k64y9WSffeU2Wn6kTfA8XZr2jbEiSM06-14oeHmh69jg98JJ6xGQIlzccqDvKYOxHS0xpjx5tm6-lxLtPQUJsoQ1bXR_-k-T_-bMppw667g0_7KOamwrBjB0r7bWAlktt/s1600-h/elcantante.jpg" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="" border="0" height="480" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5432117622959957410" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhVmTXyxS0y1p-k64y9WSffeU2Wn6kTfA8XZr2jbEiSM06-14oeHmh69jg98JJ6xGQIlzccqDvKYOxHS0xpjx5tm6-lxLtPQUJsoQ1bXR_-k-T_-bMppw667g0_7KOamwrBjB0r7bWAlktt/s640/elcantante.jpg" style="display: block; height: 300px; margin: 0px auto 10px; text-align: center; width: 400px;" width="640" /></a><br />
アメリカでの公開が2007年だから、もう3年前の映画。日本でJloはともかく、エクトル・ラボーって言っても誰も知らないから、一般の映画館ではなくアートシアターでの上映となる。<br />
時代の考証はよくできているし、ラボーに関して誰もがよく知ってる出来事が織り交ぜられて、それにマーク・アンソニーが歌うラボーの名曲が続々と流れて、ぼくはまぁふつうに楽しんで帰ったのだけれど、帰ってちょっと調べてみると、色々批判もありとくに身近にいた人たちの評判はあまりよくないようだ。<br />
その筆頭がウィリー・コロンのものでもともと彼のサイトに公開直後に載せられたもの(<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/El_Cantante#Criticism">*1</a>)が、様々に引用されて残っている。全文が載っているページを見つけられなかったのだけれど、引用は「映画の作者は、われわれのコミュニティを適切に扱っていない」と始まり、結局ラティーノ=ジャンキーと言ったに過ぎない。芸能界とドラッグとの結びつきはラティーノに限らずブリトニー・スピアーズなどなど多くの例があるのにと皮肉たっぷりで終わってる。ウィリーは、最近でもメディアに登場するラティーノのイメージが変わっていないことを批判する文章を発表したりしているので、ラボーの扱いについてはとくに彼の琴線に触れる部分だったのだとも思う。他にもラボーの父親役で出演したイスマエル・ミランダやチェオ・フェリシアーノ、ミュージカル『誰がラボーを殺したのか』でラボー役をやったドミンゴ・キニョネスの感想を載せた文章がネット上では流通しているようだ(<a href="http://drp.ly/iEn6L">*2</a>)<br />
何を見たいかによってこの映画はまったく違ったものに見えるのだろうけれど、ラボーが「エル・カンタンテ」という曲そのものに、自らの虚像に苦しみながらも、どこか進んでそれを生きるところもあって、最終的にそれにのまれてしまったような人生を生きてしまったのなら、そんな虚像の部分は十分楽しめたのではないかと思う。<br />
ぼろぼろのブロンクスの風景と摩天楼がそびえ立つニューヨーク。そして自然豊かで人情がまだ残るプエルトリコ。まるでお伽話の中の決まった役割のようにそれぞれがちゃんとそんな風に表れてくれる。ジャンキーのラボーはぼくらの期待どおり病んで、破滅していく。ウィリーがどう思っても、イメージの方がときにはずっと強力であったりするのだ。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-38641050536897176012009-12-12T23:28:00.010+09:002009-12-12T23:39:17.037+09:00Pe=Po<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjvjJgbJmtIh9tORLAkAwhEENvHxszkEaDV6EfaX4wBOOj2AHtHZoM4633JS0wXdnr7YdOSpi6IR9sECedMhY_-YC8yIH26n7vV0BGvmQUmxQHuUp9uPwO-fGDTnr29uywJCUneTIKIBVFF/s1600-h/pepo1202.jpg"><img style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left; cursor: pointer; width: 141px; height: 200px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjvjJgbJmtIh9tORLAkAwhEENvHxszkEaDV6EfaX4wBOOj2AHtHZoM4633JS0wXdnr7YdOSpi6IR9sECedMhY_-YC8yIH26n7vV0BGvmQUmxQHuUp9uPwO-fGDTnr29uywJCUneTIKIBVFF/s200/pepo1202.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5414356884346674194" border="0" /></a>最近あんまり更新してないですね。<br />Twitterばかしやってるからかも。Twitterには色んなマイノリティーの運動をやってる人がいてそういう人たちの活動をみるのも楽しみのひとつです。<br />そんななかから、面白い動きと思ったものを転載します。<br /><br /> ******************************<br /><br /><br />The Personal is Politicalをテーマにしたインディペンデント・マガジンpe=po<br /><span style="font-weight:bold;">2010年1月創刊記念パーティ開催</span><br /><br />【日時】1月17日(日)午後2時〜5時<br />【場所】京都千本 Colori Cafe コローリ・カッフェ<br />京都市上京区千本通出水下る十四軒町394-1-113<br /> JR・地下鉄東西線 二条駅より徒歩10-15分<br />【会費】1500円 1ドリンク付き( 2杯目からはキャッシュオン) アルコールもあります。簡単なスナックはありますが、ご飯はありません。<br /><br /><詳しくは<a href="http://www.pepomagazine.com/">こちら</a>>Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-53161203706736012552009-11-09T01:57:00.003+09:002012-10-15T05:41:36.713+09:00Costa Rica (2)<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjruB0hJFCG1tlHPPSi26LGIIvfr1LKnlzStsbea6HJ_WScy_d5UjO1SAKOwItueNoMW0Q052rbVgaA-rviMyLVvqkiWJ_FxjOink9UJwvTszfxtyktrUBt49iobazwfxbGyrJhZMD_ZzRZ/s1600-h/R0015192.JPG" style="clear: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"><img alt="" border="0" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5401778558550861026" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjruB0hJFCG1tlHPPSi26LGIIvfr1LKnlzStsbea6HJ_WScy_d5UjO1SAKOwItueNoMW0Q052rbVgaA-rviMyLVvqkiWJ_FxjOink9UJwvTszfxtyktrUBt49iobazwfxbGyrJhZMD_ZzRZ/s400/R0015192.JPG" style="display: block; height: 267px; margin: 0px auto 10px; text-align: center; width: 400px;" /></a>サンホセでの1日目は、こちらのリハビリ審議会での意見交換会。期せずして、ここの事務局長とまるで行政交渉のようになった。臆せず対等に話すのを見て、ウェンディ、アイーダらの成長が著しいのが一見してわかりちょっと感動ものだった。こうしたときこの仕事がやめられないと心の底から思う。<br />
その後の三日間は、ここHotel Heradurradでの国際セミナー。初日の歓迎パーティでは昨年グァテマラに行って行ったセミナーに来てくれたチョー小さい女の人や、見学させてもらったリハビリ病院の院長先生に再会。こちらを覚えてくれていたのがとても嬉しかった。パナマ、ドミニカ共和国、ペルー、エルサルバドルから招かれてきた当事者たちはみんなとてもエネルギッシュで明るくいつも笑っていて、いつもはパーティといっても何を話していいのか分からなくて居心地の悪い思いもするのだけれど、この夜はほんとに楽しかった。<br />
セミナーの初日は、畑くんの話、2日目の分科会では自立生活センターの介助派遣についてぼくと畑くんと松島くんで話した。金曜の最終日は朝から代表が全体会議で自立生活運動について話した。<br />
自立生活運動に関しては、とてもみんな関心を持ってくれていると強く感じた。パナマから来た当事者もぜひパナマでも展開したいと言ってくれていた。閉会式がそれを象徴していて、専門家集団がCBRを発展させる目的でつづいてきたこのプロジェクトにもはや彼らの姿は後ろに隠れて、まるで当事者たちの決起集会のようになっていた。<br />
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昨日今日はここサンホセのホテルでゆっくりしている。明日からまた地方の町を回って来週またここへ戻ってくる予定。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-9368224790461982272009-11-03T00:49:00.004+09:002012-10-15T05:42:01.884+09:00Costa Rica (1)<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiE2Ngv8USukJ4sL4DHPUd_mVmAAMEzl4_zFUrh73qqPA2HXGWB1u6tcvDu6ldHwNKpZvumDKNBqZOy77HdrFE29er3oTAP1X_vo4SPl42jRwJ2H9-j1C_mME37yADLe3LkPdzxYCPIJjaE/s1600-h/hojancha.jpg"><img alt="" border="0" height="480" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5399560638911043074" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiE2Ngv8USukJ4sL4DHPUd_mVmAAMEzl4_zFUrh73qqPA2HXGWB1u6tcvDu6ldHwNKpZvumDKNBqZOy77HdrFE29er3oTAP1X_vo4SPl42jRwJ2H9-j1C_mME37yADLe3LkPdzxYCPIJjaE/s640/hojancha.jpg" style="display: block; margin: 0px auto 10px; text-align: center;" width="640" /></a><br />
オハンチャ、サンタクルースのセミナーを終えて、昨日首都サンホセに戻って来ました。<br />
昨日は、移動だけだったのでやっとゆっくりできて、時差ぼけもほぼ解消した感じ。オハンチャは6月に研修に来たウェンディと介助者のカレンの故郷。少し南に車を走らせると海岸に出る暖かい町だ。人口は1万に満たない。<br />
エアコンのない会場は暑く、声も通らないのでこちらの集中力はどんどん落ちて行く。なんとかこなして、ウェンディの家で一服。急な依頼で夜はカレンの高校でぼくと松島くんとが、介助者の仕事について話す。最高に疲れたけれど、同じくらいの達成感があった。<br />
翌日は、近くのサンタクルースという町で、当事者だけのセミナー。バスでオハンチャから道すがら障害者の人たちを拾いながら行ってだんだん増えて賑やかになっていくのが楽しい。<br />
ニコヤという町で一泊。夕食を食べて、夜遅くまでペレスセレドンから来てずっとぼくらと同行しているアイーダ、ジゼルと話す。けっこう深い活動の話になって時間を忘れるくらいだった。<br />
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昨日の日曜日、日中の移動でコスタリカの豊かな自然を堪能しながらサンホセまで。もうすっかり忘れていたような生命力のようなものが自分のなかで呼び覚まされていくのを感じる。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-19345743975672905352009-10-25T10:28:00.004+09:002012-10-15T05:42:26.610+09:00介助者たちは、(2)<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjW0xtiIOh8LNboi99yi5ZE8rQzRvD9sHJz9ghdh7ZhHStGAURNUpRP0GN6lg4_blWL7z00WeDBM7cROQwGxEyDNaiH73XYDPyTRLu4S7z53y2eANbd23HixZ3ihLi5T_kLt0It3RbL9o3x/s1600-h/R0014636.jpg" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}"><img alt="" border="0" height="426" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5396343689166931042" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjW0xtiIOh8LNboi99yi5ZE8rQzRvD9sHJz9ghdh7ZhHStGAURNUpRP0GN6lg4_blWL7z00WeDBM7cROQwGxEyDNaiH73XYDPyTRLu4S7z53y2eANbd23HixZ3ihLi5T_kLt0It3RbL9o3x/s640/R0014636.jpg" style="display: block; margin: 0px auto 10px; text-align: center;" width="640" /></a>前トピックでお知らせしたかりん燈イベント昨夜無事終了しました。50人くらいの来場。身内の人が介助者・友人含めて10人近く来てくれていて、とても面白かったと言ってくれたのが何より嬉しかった。<br />
東京の第1回イベントは150人くらい集まったというから、それに比べると少ない気はするけれど、お互いの顔が見えるくらいのちょうどいい規模じゃなかったんじゃないかと思う。前半の山下さんのグループ・ゴリラの話には、生き残り?である障大連細井さんのフォローが入って、話に立体感が出てさらに膨らんでよかった。今の介助者という横の繋がりだけじゃなくて、こうした縦の繋がりっていうのも面白いなぁって思う。<br />
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自分の持ち時間は15分、時間はあっという間に過ぎるので慌てて、いつものことだけれど、言おうとしていたことをいくつか言い忘れてた。ここでちょっと補足しておこうと思う。ぼくは、介助者の話となると、仕事がきついとか給料が安いとか悲惨な話になることが多いのであえて逆の話をしようと思った。<br />
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話と言っても、自分の介助者としての略歴を話しただけ。介助者になったきっかけ、TRYのイベントに参加して少し自立生活センターというものに少し近づいたこと。それから支援費制度導入にあたって政治の季節がやってきて、障害者運動自体の面白さに目覚めていったこと。さらに職員となって働き出して海外支援に関わりだして、より仕事をするモチベーションが保てるようになっていったこと。ざっとこうしたことを通して、自分の「介助者としてのアイデンティティ」が、登録介助者が抱える不安定さや不安感からだんだん安定していったことを話そうと思っていたのだけど、肝心なところが抜けちゃったような気がする。<br />
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繰り返して強調しておきたいのは、「〜のため」という動機では、この仕事だけじゃなく、多くの仕事っていうのはつづかないんじゃないかと思う。とくにこの分野は「恵まれない障害者の人のため」という風な動機で始まりそうなことが多いだろうから、その重点をなんとか自分の中に捉え直していった方がいいんじゃないかということ。ぼくはたぶん幸運なんだと思うけれど、大学時代からずっと読んでいる、ドゥルーズやフーコーの思想や、それ以降のラテンアメリカでの経験がすべて、今の仕事に重ね合わせることができている。こんなことは幸運すぎる例だと思うけれど、運動に介助で関わる人たちがそれぞれ自分のバックボーンを持って、それを運動に反映できればこの運動自体ももっともっと「イケている」ものになるんじゃないかな。(「立岩さんは障害者運動、とりわけ自立生活運動を「社会科学をする人間として、この四十年間の日本社会でいちばんイケてる運動だと思う」と言いきった」こちゅかる子氏Mixi日記より)。<br />
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ただ、参加してくれた人たちの多くの意見には、やはり依然としてずっと続いている介助者の経済的な問題や健康のことなどほぼまったく解決できないまま置き去りになっていることが分かった。こうしたことも昔はもっとシンパシーを持って聞けたのに、自分はこうした介助者からかなり遠くに来ちゃってるなぁとも感じた。どうしたらいいんだろう?すぐにはうまく考えられない。もっと実態を知らないと。個人的には、これを介助者の横断的な問題と捉えなくても、それぞれの自立生活センターだったり事業所だったりで解消できるレベルのこともあるんじゃないかと思った。うまく運営できていない事業所をできているところがサポートするだけで、そこに属する介助者の生活は多少ましになるんじゃないかな?って。<br />
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ひとまずニーズはあることはわかったので、こうした集まりはまたやった方がいい。今度はもっと介助者のひとたちが直接話をできるような機会を。そこでうまくやれている事業所の話を聞けばそれを自分のところに持って帰ることもあるだろうし。<br />
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それでは、そろそろ荷物纏めてコスタリカへ行ってきます。<br />
コスタリカからはTwitterで中継します。<br />
<a href="http://twitter.com/tksh21">http://twitter.com/tksh21</a>Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-29520336823011072402009-10-14T13:17:00.005+09:002012-10-15T05:42:34.024+09:00介助者たちは、<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi-x46cU4SZSyXGkB0eqdfccYP_EpfBjnHj9rN6AAOlQ95SZWmXOCXu_XAFCcFkAAeEHSBgg1K2_fPunCmzrCW7ajZrHSuhXuxWIcvpP_gRRQhz4UFPX7Ds9zdJactpKwfA9Z5uCWJ-6MJT/s1600-h/41xfIaekPUL.jpg" onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}"><img alt="" border="0" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5392305434546355058" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi-x46cU4SZSyXGkB0eqdfccYP_EpfBjnHj9rN6AAOlQ95SZWmXOCXu_XAFCcFkAAeEHSBgg1K2_fPunCmzrCW7ajZrHSuhXuxWIcvpP_gRRQhz4UFPX7Ds9zdJactpKwfA9Z5uCWJ-6MJT/s320/41xfIaekPUL.jpg" style="cursor: hand; cursor: pointer; float: left; height: 320px; margin: 0 10px 10px 0; width: 219px;" /></a>今月24日に、以下のような企画で少し話すことになりました。いくつかのポイントで話せることがあると思うのですが、さてどこポイントで話そうかな?って感じです。企画の前半でお話しされる山下さんの『健常であることを見つめる』は、青い芝時代に存在した介助者の会、グループ・ゴリラについて実際にゴリラに所属していた人たちにインタビューした力作です。一読して、障害者と介助者には、なんというか愛憎のドラマツルギーみたいなものがあって、お互い離れては生きていけないはずなのに、まるで夫婦が行うようなトラブルを繰り返しながら歴史を作ってきた。この時代に起こった問題は、ほぼそのまま現在にまでも持ち越されてるんじゃないんだろうか?と思ったのがまずの感想。<br />
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たとえば、ゴリラが青い芝本体によって潰された原因となったのは、施設から出てきたばかしの障害者たちが、なかなかすぐには、シャバの速度について行けず、社会性が身につかないままなのを健常者がカバーしているうちに、実権を健常者が持ってしまったことに対して、障害者側の怒りを買ったためと指摘されているが、自立生活センターが、とくに支援費以降事業所としての性格を強くしたのと同時に、事務を任される健常者に乗っ取られてしまったなどというのは、噂ではよく聞くし、実際JILなんかでも問題になっている。もっと身近に介助現場でも、介助のペースを介助者が決めてしまうなんてことは、目の前で起こってることでもある。<br />
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こういうことを介助者のぼくが言うと、障害者の人たちには、利用者の人にもっと能力を高めて欲しいっと言ってるようにすぐ取られてしまうのだけれど、そうじゃなくてたぶんそのときにぼくが言いたいのは、自立生活センター自身が自己決定という看板の下で、どこか能力主義的なところがあって、内部にも差別構造がある。介助者は、むしろその構造を内在化しているだけかも?って考えることもできる。青芝の時代にはそういうのってなかったのかな?って遡って見直してみることもいいかもしれない。原因はともかく、自立障害者の背後に自立できない膨大な数の障害者がいるのは事実だし、何となくそういうことに疚しさを感じながら、日々の活動をしていたりする。何か別な道、そういう構造を無効にしたり、障害者・健常者という区別自体を無効にしたりしてしまう方法とか、を夢想しながら。<br />
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以下企画のお知らせです。<br />
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介助者の生き方・働き方を考える集い in 大阪<br />
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「介助者たちは、どう生きていくのか?」パート2 <br />
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これから、介助者・介護者の生き方、働き方が問われてきます。これまで、地域で自立生活を送る障害者の介助の多くは無償でした。無償の中でも介護に入り続けてきた健常者はいました。その人たちはどのような思い、気持ちで障害者の介助に入り続けたのでしょうか?<br />
2000年代に入り、介助が明確に仕事として位置づけられるようになりました。そして、障害者の地域生活が進展すると同時に介助者の数も増加しました。ボランティア感覚の人もいます。次の仕事が見つかるまでの腰掛け気分の人もいます。障害者の地域生活を支えることにやりがいを感じている人もいます。また、見えないところでしんどい思いをかかえている人もいます。介助・介護が仕事化していく中で、私たちにとっての課題は何でしょうか? 私たちには何か置き忘れたものはないでしょうか? 私たちが仕事を続けて行く上で必要なものは何でしょうか? そして、私たちは、どのような思いや気持ちでこの仕事を続けていくのでしょうか?<br />
今回の企画では、介助者・介護者のこれまで、今、これからについて、介助者・介護者として生き、働く人たちの声を聞きながら、いろいろな意見交換をしていきたいと考えています。<br />
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前半 <br />
トーク 「介助者・介護者たちはどう生きてきたか?」<br />
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山下 幸子<br />
(障害学、介助者 著書に『「健常」であることを見つめる 1970年代障害当事者運動/健全者運動から』)<br />
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後半<br />
トークセッション 「介助者たちは、今どう生きているか? そして…」<br />
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〈出演予定〉<br />
井上武史 (メインストリーム協会)<br />
佐々木彩 (画家、介助者、陽のあたる毛の会)<br />
廣川淳平 (JCILコーディネーター)<br />
渡邉 琢 (かりん燈)<br />
他ご来場の参加者のみなさん<br />
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日時:2009年10月24日(土) 18:30〜21:30(18:00開場)<br />
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場所:ドーンセンター (5階特別会議室)<br />
(地図 http://www.dawncenter.or.jp/shisetsu/map.html)<br />
・京阪「天満橋」駅下車。 東口方面の改札から地下通路を通って1番出口より東へ約350m。<br />
・地下鉄谷町線「天満橋」駅下車。 1番出口より東へ約350m。<br />
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参加費:500円<br />
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お問い合わせ:かりん燈 mail:karintoukaijo(a)yahoo.co.jp (←(a)を@に変換してください。いたずらメール対策です)<br />
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協力:コマイナーズTakeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-62734047946255242142009-09-27T23:07:00.005+09:002009-09-27T23:28:12.674+09:00『介助現場の社会学』<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEicqGkT6WNyFGYRUk87qZ0Zjso1CDvynLhZx_yIrREtGwThvL9kMspmPh_hku2PZT-FObd24_zQFYSFnOqFz8eE_1NjSerfkCU031d_Vg61wVCcSLvASLqZExKF6Jg2TzHPu6_ZurhtrunO/s1600-h/cover045-f.jpg"><img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 219px; height: 320px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEicqGkT6WNyFGYRUk87qZ0Zjso1CDvynLhZx_yIrREtGwThvL9kMspmPh_hku2PZT-FObd24_zQFYSFnOqFz8eE_1NjSerfkCU031d_Vg61wVCcSLvASLqZExKF6Jg2TzHPu6_ZurhtrunO/s320/cover045-f.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5386149247058097826" /></a>長くうちの自立生活センターで、介助の仕事をしていて、この春から神戸学院大学で教鞭をとっている前田くんが本を出しました。『<a href="http://www.seikatsushoin.com/bk/045%20kaijogenba.html">介助現場の社会学</a>』というタイトルから想像できるように、前田くんが実際に介助の仕事から得た様々な体験がもとになっています。昨年出版された山下幸子さんが、青い芝の時代の介助者グループ「ゴリラ」について書いた『<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%81%A5%E5%B8%B8%E3%80%8D%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%82%81%E3%82%8B%E2%80%95%E4%B8%80%E4%B9%9D%E4%B8%83%E3%80%87%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E5%BD%93%E4%BA%8B%E8%80%85-%E5%81%A5%E5%85%A8%E8%80%85%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%8B%E3%82%89-%E5%B1%B1%E4%B8%8B-%E5%B9%B8%E5%AD%90/dp/4903690253">健常であることを見つめる</a>』もそうだけれど、立岩さんが95年に書いた『<a href="http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%AE%E6%8A%80%E6%B3%95%E2%80%95%E5%AE%B6%E3%81%A8%E6%96%BD%E8%A8%AD%E3%82%92%E5%87%BA%E3%81%A6%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6-%E5%AE%89%E7%A9%8D-%E7%B4%94%E5%AD%90/dp/489434016X">生の技法</a>』に影響を受けた研究者たちの研究の成果が、そろそろ形になり始めたのかなとも思う。<br />アマゾンにはまだあがってませんが、10月発売とあります。ぼくはこの週末の障害学学会で一足先に手に入れてきました。とりいそぎお知らせと宣伝。ゆっくり読んでまた感想など。BK1は<a href="http://www.bk1.jp/product/03163427">こちら</a>。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-52011329173742209352009-08-20T21:36:00.007+09:002009-08-21T11:22:41.423+09:00Twitter x Willie Colón<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiHyMdlDquvjAzjaseBQGLei7dXIzBc_Yw9rdgECeI60eC1EcgxIEjCkz85_I6qbkw9RpfEAgveZ6LEeQR2mtfwRvpJSLt3f03nMryYwtMKmGN3VaebZ3U4KFC7kYkuoANWfNLg3_xbr7wJ/s1600-h/Willie-Colon.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 275px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiHyMdlDquvjAzjaseBQGLei7dXIzBc_Yw9rdgECeI60eC1EcgxIEjCkz85_I6qbkw9RpfEAgveZ6LEeQR2mtfwRvpJSLt3f03nMryYwtMKmGN3VaebZ3U4KFC7kYkuoANWfNLg3_xbr7wJ/s400/Willie-Colon.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5372024367971338258" /></a><br />ここのところつづけて、新しいテクノロジー、とりわけiPhoneがこれまでの世界に与えている変化をかいつまんで、書いている。インターネットが開いた変化の波にはいくつかあったと思うけれど、今はその何回目かの大波が来ているのだと感じる。<br /><br />ちょうど10年ちょっと前くらいだろうか、Webを巡回して情報を集めることを、コンピュータに詳しい人だけじゃなく一般の人がふつうにやり始めた頃、<a href="http://www.williecolon.com/">ウィリー・コローン</a>が自分のホームページをファンとのインターフェースにして、まるでその後は、ニューヨークという土地の呪縛から解き放たれたかのように、メキシコのクラブを中心に拠点を移してしまったことを思い出している。もちろんニューヨークでサルサを聞く人はどんどん減っていて、メキシコを拠点にせざるを得なかったのは、多分に営業的な判断があったのだろうけれど、音楽的なキャリアを見渡してみても、この人には、「新しいこと」への独特の嗅覚があって、すぐに飛びついて、自分のものにしてしまう。<br /><br />こんなことを思い出していたのは、話題のTwitterを、もちろんウィリーも始めていて(<a href="http://twitter.com/thewilliecolon">Willie Colón</a>)、ここ数日まるで憑かれたように「つぶやいて」いる様を刻々とチェックしていると、おそらく彼が、この新しいメディアを、音楽関係者がよくやるお知らせや、宣伝的な使い方ではなく、自分の何かを「表現できる」と考えてそれを使っているとすぐに分かってきたからだ。<br /><br />彼の「つぶやき」は、ときに英語ときにスペイン語、あるいはそれらが混じり合ったもの、多くは誰かか、あるいは自分で考えた警句が、間髪入れずつづいていく。それを見ながら、まるでアーティストが紙にあれやこれやと書き殴っている草稿が、目の前で書かれているような気がしてくる。<br />考えてみると、限られた字数で、考えやイメージを纏めるのはまさに作詞の作業と同じ、彼にはお手のものだろう。さらに、Twitterというものが、何らかの完成へ向かっているのではなく、(まるで人生のように)流れゆくプロセスそのものが刻々と移ろっていく様を表している、ということを再確認させてくれる。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-42402741229924726362009-08-20T13:37:00.006+09:002009-08-20T14:02:19.395+09:00iPnone x español<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgEMzyMg4JcM0JfSTNqxm1lLwWExlZpLWUvn6Zf7WnEmFlhSIuqOng3-fYvf1rIzumMVjxSfCs3z4TNz-z0gal94NCLPAiagtWwDHVa_b7R5SX7nmQZuj0o-DDYQ6BwkehUMpPmNE4Lu5Xs/s1600-h/988265.jpg"><img style="float:left; margin:0 10px 10px 0;cursor:pointer; cursor:hand;width: 222px; height: 320px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgEMzyMg4JcM0JfSTNqxm1lLwWExlZpLWUvn6Zf7WnEmFlhSIuqOng3-fYvf1rIzumMVjxSfCs3z4TNz-z0gal94NCLPAiagtWwDHVa_b7R5SX7nmQZuj0o-DDYQ6BwkehUMpPmNE4Lu5Xs/s320/988265.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5371901502408062386" /></a>iPhoneには、<a href="http://itunes.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewSoftware?id=299029654&mt=8">大辞林</a>や、<a href="http://itunes.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewSoftware?id=284350526&mt=8">ウィズダム英和・和英辞典</a>など、物書堂のとてもiPhoneらしい辞書がいくつかあってこのためにiPhoneを買ったと言っていいくらい。<br /><br />当然スペイン語の辞書も入れておくと便利だろうなと、いろいろ探してみてて、いくつかあることはあるようだけれど、満足いくものはまだ見あたらない。<br /><br />探索の途中で、辞書ではないのだけれど、面白いものをひとつ見つけたので紹介しておこうと思う。<a href="http://web.me.com/eludens/proyectos/htmls/raeutiles.html">RAEútil</a>という正確には、ソフトウェアで、スペインの王立国語アカデミーの<a href="http://buscon.rae.es/draeI/">Web辞書</a>にとてもスムーズにアクセスできるようになっている。インターネットに繋がってないと役に立たないわけだけれど、まるでふつうの辞書をひいているよう感覚で、インターフェースがひじょうに洗練されている。<br /><br />iTunesにはレビューもなく、日本語で書かれているサイトも見あたらなかったので、あまり知られていないようだけれど、とても素晴らしアプリケーションです。スペイン語学習者はぜひ手に入れてみたらいいと思う。Mac上で使うWidgetもあります。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-75800746295343892922009-08-16T15:41:00.007+09:002009-08-17T11:49:00.469+09:00iPhone x Nicaragua<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmTiT-L5kMRj6OT7q2b7brRFJZR9TmMQzFuOoSO_bro7wDYO_SAmgRYFMABpsAKeSTZPiHatGcOKyiejdZPaMI14yPVTPsW9xl4R3WZyI8VPwYM6BFW947EfkvmpXtyk_yhOQ0dF8C2MPJ/s1600-h/IMG_0170.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 300px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhmTiT-L5kMRj6OT7q2b7brRFJZR9TmMQzFuOoSO_bro7wDYO_SAmgRYFMABpsAKeSTZPiHatGcOKyiejdZPaMI14yPVTPsW9xl4R3WZyI8VPwYM6BFW947EfkvmpXtyk_yhOQ0dF8C2MPJ/s400/IMG_0170.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5370448492406585074" /></a>今回のニカラグア行きは、ぼく個人にとってはもちろん、発売日に手に入れたiPhone3GSを持ってはじめて日本の外に出るということだったのだけれど、事前に想定していたような使い方はほぼ思っていたとおりにできたんじゃないかと思う。<br />以下備忘録的に。海外での使用例として共有できたらいいと思う。<br /><br />1)伊丹〜成田<br />成田では有料のWifiが複数飛んでいたけれど、国内なので3G回線で。搭乗と同時に機内モードにする。<a href="http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0901/mobile424.htm">ここ</a>をはじめいろんなサイトが指摘しているとおり、海外での使用はパケット料金の割引が適応されないため、知らずに使って法外な請求が来るのを避けるため。以後帰るまでほぼ機内モードのままだった。<br /><br />2)ヒューストン<br />到着したら、機内モードを解除。ATTの3G回線に接続されソフトバンクから海外での使用の注意書きが送られてきた。<br /><br />アメリカではどこでも無料のwifiが飛んでるのかと思ってたけど、そういうわけでもなく空港では<a href="http://www.boingo.com/">boingo</a>のサービスが使えた。実際には行きと帰りの数時間しか使わないのだけれど、一ヶ月$7.95のサービスに加入してみる。オンラインで決済したらすぐに繋がった。さっそくTwitterfon proで、<a href="http://twitter.com/tksh21">Twitter</a>に到着の写真をアップしてみる。<br /><br />ハドソン川に不時着した飛行機のニュースを最初に報道したのはTwitterを使っていた乗客だったというのももう伝説になってるけれど、今回一番やりたかったのが、Twitterで、むこうの活動を画像・映像つきで伝えるということで、何とかすんなりとできそうな感じ。<br /><br />3)ニカラグア<br />ニカラグアでの3G回線は、<a href="http://www.claro.com.ni/">Claro</a>という会社がキャリア。確認してすぐにまた機内モードに戻した。<br /><br />ニカラグア滞在中は、ずっと首都マナグアの<a href="http://www.intercontinental.com/intercontinental/en/gb/locations/overview/managua">Intercontinental</a>というとってもいいホテルに泊まった。ぼくらは海外で仕事に行くときは、たいていとてもいいホテルに泊まるのだけれど、ぼくらが行くのは途上国が多く、そこで車いすに対応してくれるホテルとなるとだいたいこんなクラスになってしまうのだ。<br />ここでのインターネットは有料。同室の同僚と一週間$40をわけわけした。名前と部屋番号を入力すればパスワードが発行される。チェックアウトのときに料金と一緒に請求される。有線もあるし、無線がホテル全体どこでも飛んでいたので、まさにiPhone向きのホテルだった。<br /><br />ホテルの前にモールがあったのだけれど、そこでは部分的に無料のWifiがキャッチできた。そういえば、打ち合わせに行ったJICAニカラグア事務所内も無線LANになっていたっけ。<br /><br />Twitterは、なにか起こったらその場で送れるのがいいのだけれど、ホテル内での出来事はほぼそのとおりにできた。外に出ての活動は写真を撮っておいて、後でホテルに帰ってからアップする、ふつうにブログを書くような感覚でやった。<br /><br />空港にも一部無料のWifiが飛んでいるのに帰り間際に気づいた。上の写真は出国を待っている時間にTwitterにあげたもの。<br /><br />3)ふたたびヒューストン<br />帰りは便の関係で一泊しなくてはならず、去年泊まった<a href="http://www.econolodge.com/">Econo Lodge</a>というモーテルに一泊。ここのWifiは無料。ここの電話番号をパスワード代わりに入力したらすぐに使えた。この気楽さがアメリカっぽくてよかった。<br /><br /><br />一週間の滞在で、メールをチェックして返信し、いくつかのSNSを回ったり、ブログを読んだり、iPhoneがあれば日本での習慣がほぼ途切れることなく継続していた。本格的にテキストを入力したり、大きい画像を扱ったりしない以外は不自由に感じることはまったくない。iDiskやDropboxがあれば自分のパソコンを持ち歩いているのと一緒だし、むこうで知り合った人に、写真を見せて色々説明することもできる。もうちょっと便利すぎて、iPhone前の生活には戻れないよね。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-20776266872940765732009-08-14T11:06:00.006+09:002009-08-14T16:32:01.000+09:00中米のともだち #7<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgjZmGe2TJs5ARul-syX-Q253mKAKm4IKHnLS_1KnyAwRwUZWGgKg3dm2JajwlWnURScwW8GKgjrbjdQtudTjiAf6Ur9aevMMZ0mUe9zvTu7ob5m6fFxuQ3M23VmKpf086D1qaZSYZ6HUbj/s1600-h/R0014088.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgjZmGe2TJs5ARul-syX-Q253mKAKm4IKHnLS_1KnyAwRwUZWGgKg3dm2JajwlWnURScwW8GKgjrbjdQtudTjiAf6Ur9aevMMZ0mUe9zvTu7ob5m6fFxuQ3M23VmKpf086D1qaZSYZ6HUbj/s400/R0014088.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5369642336545157954" /></a><br />前の記事に書いたとおりニカラグアに行ってきました。<br /><br /> JICA大阪が企画、うちの事務所が実施して去年からやっている、中米のコスタリカ、ホンジュラス、グァテマラ、ホンジュラス4カ国の障害当事者を日本に招いて、ゆくゆくは障害者自身が運営して自立支援や介助サービスを提供する自立生活センターを各国で作ってもらおうという研修コースのフォローのためだ。<br /><br /> コスタリカ、グァテマラは去年すでに事前調査に行っているので、残りのニカラグアとホンジュラスも調査しようというのが、もともとの計画だったのだけれど、未だに解決しないホンジュラス国内の混乱のため、訪問をニカラグアだけにして、そのかわり去年と今年の研修生を全員ニカラグアに招待しようということになった。ニカラグアの去年の研修生サンドラがすでに、ニカラグア最初の自立生活センターを立ち上げたので、そこへ皆を招いて、お祝いして、さらに刺激を受けてもらおうという意図もあっただろう。<br /><br />ぼくたち日本からのメンバーの一週間の滞在の真ん中3日間が、自立生活センター立ち上げに合わせてのセミナーになっており、研修生たちもそれに合わせて招かれていた。事前にグァテマラの今年の研修生の1人が仕事のため欠席であることが知らされており、直前去年の研修生の1人がお母さんの病気のため急遽来られなくなった。2人の欠席のため研修生12名+介助者2名、来られなくなったグァテマラのホセマリアの介助をする予定だった18歳の青年もやってきていたので、合計15名の大所帯だった。ぼくは、今年の研修生と別れて間もないので、どこかこのグループの一員であるような気がまだしているのが自分でおかしかった。今年のグループはたいへんだったけれど、それだけ関わりも深かったんだと思った。なるたけ色んな人と話をしたかったのだけれど、誰かと話していると誰かと話せないわけで、楽しい再会もかなりフラストレーションが溜まるものになってしまった。<br /><br />研修の3日間は、自立生活運動についてと、実際の交渉のやり方。3日目は介助者についてで、演習はぼくが担当してやった。夜は夜で、研修生たちが作業が今どれくらいまで進んでいるかをインタビューして、研修生たちからの相談にものったりで毎夜遅くまで話し込んでいたので、なかなかハードなスケジュールだったと思う。<br /><br />セミナーの他には、去年と今年の研修生が所属する団体の事務所を訪ねたり、障害者の家庭や施設の訪問。最終日には地方の町に行って障害者の雇用に熱心な日本とメキシコの合弁会社の工場を訪ねたり、サンドラの団体の地方支部を訪問したりした。マナグアはどこが中心か分からない、お世辞にも美しいとは言えない町だったけれど、一歩マナグアをでるとニカラグアは美しい。ゆっくり旅するときっと虜になる素敵な国だと思った。<br /><br />自立生活センター立ち上げという「名目」で一連の行事は行われているのだけれど、じつはこの自立生活センターには、ちょっとなんちゃってなところがあって、サンドラの団体自身が、女性障害者の団体として始まっていることやポリオや片足切断など比較的軽度な障害者の団体であることで、どこまでぼくらが求める重度障害者のニーズやサポートが考えられているのだろうか、ぼくら自身やや疑問に思っている部分もある。開所式に行って事務所がスロープになっていなかったのが何より印象が悪かった。<br /><br />しかしながら、実際に介助派遣用に、イギリスのNGOと政府から予算を取っていて、制度とはなっていないから、期間限定で介助派遣も行われることになる。こうしたことを僅か半年でやってしまったサンドラのエネルギーと政治力も侮れなく、最後空港でまた涙を見せている彼女と別れるとき、結局彼女が誰よりも情に篤いのだとも感じて帰った。<br /><br />3日目のセミナーが終わって、最後に研修生全員と集まっているとき、iPhoneを持ち歩いていつでもメールチェックできるぼくのところにグァテマラのJICAの担当者からメールが来て、病気だったホセマリアのお母さんが亡くなったと知らされた。みんなが集まっているこんな時にタイミングがよすぎるなぁと思いつつ、彼と仲のいいホンジュラスの研修生に知らせた。この集まりが終わる頃には、みんなで彼を励ます言葉を書いて寸志を贈ることに纏まっていた。それまでぜんぜん見ず知らずだった人たちが、こうして集まって、もうみんな家族のようになっているから、その家族に不幸があってももうそれを自分の家族に起こったことのように感じている。そうした当たり前のことを感じた。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-40408465979663483452009-07-31T21:54:00.005+09:002009-07-31T23:11:01.189+09:00中米のともだち #6<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj_q0KHkjAgUGDL7zkFvR-JgIlgIJ5Syj6RJCFo8aHjwQk7T93DXvZVAwkmHxlXPUQob_vNCSWbOvwyBwZmsvuOv__8FUE6bCJui80okX1V0uutpAsRA4lpaJQI8W4_iCoTgQgNTN4FfPAS/s1600-h/R0013037.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj_q0KHkjAgUGDL7zkFvR-JgIlgIJ5Syj6RJCFo8aHjwQk7T93DXvZVAwkmHxlXPUQob_vNCSWbOvwyBwZmsvuOv__8FUE6bCJui80okX1V0uutpAsRA4lpaJQI8W4_iCoTgQgNTN4FfPAS/s400/R0013037.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5364606993243672146" /></a>研修生たちが帰って、考えるとまだひと月もたってないのに、彼らがいるときと今の日常とがあまりに差違がありすぎるので、なんだかずっと昔の話か、あるいはもともとなかったことのようにすら思えたりする。<br /><br />彼らが帰る間際、6月の28日にホンジュラスでクーデターがあり、研修できていたメンバーのうち2人の女の子がホンジュラスから来ていることもあり、夜ネットで知った事態を朝事務所で伝えると、そのひとりのお父さんが警察で働いていることもあってずいぶんと心配していた。ちょうど彼女らが帰国するとき、クーデターで隣国コスタリカに追い出された前大統領セラヤが、飛行機で強行帰国しようとしたところ、クーデター派が軍隊を使って閉鎖。彼女らは一晩マイアミで足止めを食らう羽目になった。<br /><br />以来、コスタリカのアリアス大統領が仲介して、話し合いで決着を付けようとしてはいるのだが、なかなか両者が譲り合うことなく現在まで膠着状態がつづいている。今日入ったニュースでは前大統領支持派と軍隊が衝突して、けが人と逮捕者が出ている。<br /><br />そういうわけで、本当だったらすでに今頃はホンジュラスとニカラグアへ調査へ行っていたはずだったのだけれど、こちらの予定も変わり、一週間遅れで明日からニカラグアだけの調査とセミナーに行ってくる。そのかわりじゃないけれど、去年と、先日お別れしたばかりの今年の研修生たちが、マナグアに集合することになった。ホンジュラスで待っていた研修生たちには可愛そうだけれど、またみんなと会えるのが嬉しい。<br /><br />今回は、iPhone持参で行くので、Twitterをチェックしてもらえれば、Wifiを拾えるところで、むこうの様子も伝えられると思う。Twitterfonでは、ビデオもアップできるようになったしね。<br /><a href="http://twitter.com/tksh21">http://twitter.com/tksh21</a>Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-67526843983088825282009-07-07T21:16:00.005+09:002009-07-07T21:42:30.394+09:00中米のともだち #5<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgcSx-82owCTnS_CwQFugA9MjkCZEKhwBpASJCEmQkpD1-bjBuz0hzCEFN5cePCQiiz-MOhjGX-HOUaTarFTLcb01SNaiZ1qdvAoX8ySYHl1xsSiPGakDlr1Pp2BQ7m0HLs4YcbZtGTJsyK/s1600-h/R0013433.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgcSx-82owCTnS_CwQFugA9MjkCZEKhwBpASJCEmQkpD1-bjBuz0hzCEFN5cePCQiiz-MOhjGX-HOUaTarFTLcb01SNaiZ1qdvAoX8ySYHl1xsSiPGakDlr1Pp2BQ7m0HLs4YcbZtGTJsyK/s400/R0013433.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5355691515637629842" /></a>5月の25日から始まった、中米の障害当事者を集めて自立生活運動を教える2年目の研修も、先日日曜、ひとりだけ残っていたグァテマラの女の子を見送ってやっと終わった。<br />土曜日の見送りの日には5時に起きなくてはならないのに、最後の夜ということもあって朝の4時までみんなで飲んでいた。最後にはみやげ用にトランクに収まっていた日本酒まで登場して、起きるとふらふらしていたけれど、6時に宿舎出発に遅れるわけには行かず、同室のグスタボの介助をしながら大急ぎで支度をする。2年目でそれなりにやることは分かっているはずだったけれど、やはりそのときになると色々不測の事態も起きる。<br /><br />なんとか空港には間に合い、最後の別れとなった。今年はメンバー間で、いくつか揉め事もあって、それでかなりエネルギーを割かれた。直前に喧嘩していた女の子2人が、涙を流しながら仲直りしていたのを見て、ほんとに今年のグループは中学か高校生みたいだったなと思った。<br /><br />今年は、介助者を連れて来た障害者が2人いて、それはどんな重度な障害者でも介助を使えば誰でもどこでも生活できるという自立生活運動のもっとも根本の考え方に近い研修になったと思う。その2人のコスタリカから来た男の子と女の子が誰よりもたくさん涙を流していたのが面白かった。<br /><br />おそらく、障害当事者は、自分で書類を送り、それにパスして来日という、ある程度自分の予想した範囲で物事が起こったのだろうけれど、介助で来た2人は、その当事者に付き添うという、ある意味受け身な立場で来たので、起こった物事がすべて自分のことのようで自分のことじゃない、介助者独特の感覚で過ごしていたのではないかと思う。<br /><br />多くの人が自分の人生を変えたと言っていたけれど、それがいっときの感情ではなく、引き続いて持ち続け、ほんとに人生を変えるような体験にしてもらったら嬉しいのだけれど。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-91398731028939599642009-06-17T13:05:00.004+09:002009-06-18T07:10:38.637+09:00中米のともだち #4<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-h0l2XGNSV170OVLV5UiNfaM2SlpHaCqJFDrdFvXIc5uBEg1oG4lffxLvbcRKOp5PcQL2FKwzMafAH28H8RweUfSdSs7uH5xXQzdRmvCdD8Jtc4nrvM122e7cOv6Ttm4XfYSNfir164r1/s1600-h/R0012710.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-h0l2XGNSV170OVLV5UiNfaM2SlpHaCqJFDrdFvXIc5uBEg1oG4lffxLvbcRKOp5PcQL2FKwzMafAH28H8RweUfSdSs7uH5xXQzdRmvCdD8Jtc4nrvM122e7cOv6Ttm4XfYSNfir164r1/s400/R0012710.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5348142975980865506" /></a>先週の月曜から一週間、東京での研修を終えて、今週からやっと西宮へ帰っての本番。今年は西宮に帰ってくるまで3週間もあって、ここまでに結構疲弊した。体調を崩す人が多かったり、メンバー間のコミュニケーションがうまくいかないのでその仲介をしたりで、予想外の労力がかかった。たいへんだけど、それだけ「関わっている感」も高く、やりがいも感じている。<br />西宮に帰ると、こちらのスタッフががっつり関わってくれるので、やっとホッとして一休み。<br />写真は1986年設立、日本で初めての自立生活センターヒューマンケア協会での中西正司さんの講義。グァテマラから来たロレーナの食いつきぶりが見ていて面白かった。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-26700903246555392792009-06-05T13:51:00.004+09:002009-06-05T15:46:22.021+09:00中米のともだち #3<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhbRRp1A3IwLp2nH0dsrj3nYupANJXeGrT3qmLNTnP_veTwDxNRG3c1pLdlly2k7R2E2lGYIMZdxENByGHiE3OqJ2TgRXA5_hElOajzB91I-5h-gL7azl3PhcpO2-Ms7tNiT7DX0ipU8u2v/s1600-h/R0012253.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhbRRp1A3IwLp2nH0dsrj3nYupANJXeGrT3qmLNTnP_veTwDxNRG3c1pLdlly2k7R2E2lGYIMZdxENByGHiE3OqJ2TgRXA5_hElOajzB91I-5h-gL7azl3PhcpO2-Ms7tNiT7DX0ipU8u2v/s400/R0012253.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5343701758533458018" /></a>2週目に入った今週、研修生たちは、午前と午後一日使って、日本語の勉強をしている。去年の研修生たちがあまりにも日本のことを知らないということが反省として残ったので、今年から加わったプログラムの一つだ。名前と出身を話す自己紹介や店に入って困らないように料理を覚えたりしている。もちろん、一週間でちゃんと話せるようになんかはならないので、どれだけ効果が期待できるかは分からないけれど、少しずつ片言のことでも毎日口にしているのが見ていて可愛らしい。<br />今は授業中だ。昼間の宿泊棟は誰もいなくて静か。昨日、カレンが甲状腺を腫らしていたので、同行して千里中央のクリニックまで行ってきて、さっきまたロレーナが熱があると言うと、発熱外来まで連れて行かれた。インフルエンザじゃないかと、ちょっとした騒ぎになって、部屋を変えたりしてばたばたしている。少し休息できるはずだった、今週の日中が何か慌ただしいまま週末になってしまった。<br /><br />今日は授業が終わったら、キッチンルームを借りているので、みんなで国の料理を作ることになっている。ロレーナが来れなかったらちょっとかわいそうだけど。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-43924933949817538942009-06-04T00:15:00.003+09:002009-06-04T00:29:38.150+09:00中米のともだち #2<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWq-LTz_KMEfVFC5_UBDsez-HUl6ICrqU9mZoEqpi9ZMmUWCUIgBi6BPCJLdglcd8PKs8-Dv91nzr3zf4YcRAa0RQukMZR0B_E7Rn1wUX8O6jEkNOTly5mWD1ifc-Uq_fJ-j-yDp2CK-YM/s1600-h/R0012158.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhWq-LTz_KMEfVFC5_UBDsez-HUl6ICrqU9mZoEqpi9ZMmUWCUIgBi6BPCJLdglcd8PKs8-Dv91nzr3zf4YcRAa0RQukMZR0B_E7Rn1wUX8O6jEkNOTly5mWD1ifc-Uq_fJ-j-yDp2CK-YM/s400/R0012158.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5343120764552963778" /></a>JICA大阪宿泊10日目。毎日があっという間に過ぎていくので、数えて10日も経っているのでびっくりする。昨日は、同僚と交代で日中少し西宮に帰って気分転換。帰りにデパ地下で、葛まんじゅうを買って帰って、研修生たちと一緒に食べる。なんとなく「帰ってきた」という感覚でいる自分に気づいておかしい。<br /><br />今年のグループは去年のグループほど纏まりがない。けれど、それはでもいいこと何じゃないかって思っている。何かを作っているというプロセスが、毎日目の前で繰り広げられていて、これはどこかのリアリティーショーじゃないのかと錯覚するほどだ。今日は先ほどまで、この建物にいかにバリアーが多いかを、所長に訴えに行く相談をみんなでしていた。話は脱線して、様々な方面へ流れていくのだけれど、それのひとつひとつがお互いを知る手がかりになっているのだろうと思う。<br /><br />写真は、先週土曜日海遊館へみんなで出掛けたところ。どこを歩いていても、カルガモの親子みたいに見える。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-31002286356805141342009-05-29T23:09:00.003+09:002009-05-29T23:28:56.590+09:00中米のともだち #1<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi8bzEHFWDqMv5doTE5USQTawWAAKfENDQLwuoXu7uLDS53IUYbh7-aq4wSFbqBJFzGDIa1ndsmZTM7gtBDIK2DGXa0jC3Zg5GBdGpR3I5s8VoRgP3fJDCBV6EeqkBckepzJBsx9gJxh_WP/s1600-h/R0012120.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi8bzEHFWDqMv5doTE5USQTawWAAKfENDQLwuoXu7uLDS53IUYbh7-aq4wSFbqBJFzGDIa1ndsmZTM7gtBDIK2DGXa0jC3Zg5GBdGpR3I5s8VoRgP3fJDCBV6EeqkBckepzJBsx9gJxh_WP/s400/R0012120.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5341248506073482194" /></a>たぶん自宅以外の出先かブログを書くという初めての経験だと思う。<br />中米4カ国からの障害当事者を研修生として迎えて、中米での自立生活運動の促進をすすめるJICAのプログラムで、今週の月曜日から大阪吹田の万博公園の近くにある大阪国際交流センターに宿泊中。<br />今年は3年の予定の2年目。昨年と同じように、コスタリカ・グァテマラ・ホンジュラス・ニカラグアの4カ国から7人の研修生が来ている。研修生と同じ部屋で寝起きを共にして、ここと東京と西宮での研修でのサポートをする生活が約一月つづく。なかなかヘビーだけれど、とてつもない喜びも感じることも出来る希有な仕事だ。まだ5日目が終わったところだけれど、もうすでにかなりの喜びを感じながら毎日暮らしている。<br /><br />写真は昨日、雨にもかかわらず梅田まで出掛けた様子。ほぼ全員電車は初めての図。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-16258873033881765632009-05-25T13:00:00.002+09:002009-05-25T13:03:07.792+09:00涼宮ハルヒ<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/x5POd0caktA&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/x5POd0caktA&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>Twitterでフォローしてるコロンビアの女の子経由で知った。<br />ちゃんとスペイン語字幕版がyoububeにあがってるんですねぇ。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-69130124650281385832009-05-25T00:12:00.003+09:002009-05-25T08:07:22.902+09:00レゲトン<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/ffjT3Iktma8&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/ffjT3Iktma8&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>明日からまた中米4カ国から障害当事者の研修生が来るので、ぼくはほぼ一月付きっきりになる。ラティーノだから、やはり音楽が好きで、ちょっとしたパーティにiPodを持参しておくとほんとに便利で、適当にそのへんのテレビとかに繋ぐと即席のDJが出来る。<br />レゲトンは無敵で、まるで魔法のようにすぐに盛り上がる。ということで、今日の午後はCDからいっぱいiPodにレゲトンを追加しておいた。また楽しみだね。<br />それで、ジャケ写をつけたりするのにネットで色々探してるとこんなオールドスクールなレゲトンの動画を見つけて、しばし見入っていた。レゲトン創世記の熱気にやられて、久しぶりにレゲトンブログも更新しちゃった。<br /><<a href="http://bloggerreggaeton.blogspot.com/">BloggerReggaeton</a>>Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-56313566210798834452009-05-21T18:28:00.008+09:002009-05-21T20:58:29.299+09:00葬儀<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiP2quZOpIbwpjIBWsQFslbobt96XNycjreSkwdfkAV2QL69F4dUgqzUEe2ueJZEuz8D_Pt-kNevreiQAU8XWkXHvAOoTsr2XEcghDGNBBz1KoYOCU1yo7mrz2n7w8_b0doKihBTu0XWBQc/s1600-h/R0012051.jpg"><img style="display:block; margin:0px auto 10px; text-align:center;cursor:pointer; cursor:hand;width: 400px; height: 267px;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiP2quZOpIbwpjIBWsQFslbobt96XNycjreSkwdfkAV2QL69F4dUgqzUEe2ueJZEuz8D_Pt-kNevreiQAU8XWkXHvAOoTsr2XEcghDGNBBz1KoYOCU1yo7mrz2n7w8_b0doKihBTu0XWBQc/s400/R0012051.jpg" border="0" alt=""id="BLOGGER_PHOTO_ID_5338208517996830338" /></a>一昨日、ある葬儀のために枚方へ行ってきた。亡くなったのは友人の父君で、葬儀に出席するかどうかは微妙な関係かと思う。友人とは1982年大学入学以来のつきあいだから、なんともう25年を超えた。友人は大学卒業して新聞社に入社して、その後いくつかの出版社を渡った後、今は誰でも一度は手にしたことのある情報誌の編集に携わっている。福岡や名古屋、東京を転々として昨年春16年ぶりに大阪に帰ってきた。転勤先を訪ねたこともあったけれど、近年はぼく自身も時間が取れなくて、何年も無沙汰をしていた。<br /><br />昨年の春に転勤の知らせをもらって、これでまたちょくちょく会えるかなって思っていると、父君が癌を患って、予後があまりよくないようで、友人は仕事以外は病院へ通う日々でなかなか会えず、このゴールデンウィークも会えたらいいねって言っていたものの結局そのままになって、明けたらすぐに訃報が届いた。後になってたいへんな時期だったんだなって気づく。<br /><br />父君とは、友人の家へ遊びに行くと外出から帰ってきた折りに挨拶を交わす程度だったけれど、ぼくにとって友人の父親まで知っているのは珍しいケースで、たしか最後にお会いしたのは、ちかと一緒に6年ほど前の正月に実家へお邪魔したときで、ぼくが買って行った手みやげを、友人が「お父さんこれもらったよ」と言ったときに、何か一言かけたか眼をやっただけだったかしたと思う。もの凄く寒い正月で、震えながら帰ってきたのを覚えている。<br /><br />葬儀は今のパッケージになったもので、それ自体はとくにどうこう言うものではないけれど、最後に喪主の友人が挨拶をしているのを聞いて、話がとても上手で、ここ数年ずっと編集長をやってる彼のぼくがあまり見たことのない部分を知ったような気になった。自分は不肖の息子で、何年も親元を離れていたと話したとき、彼にも父君に対しての様々な思いがあったんだなと今更ながらに了解した次第だった。<br /><br />そうした1時間を、やはり昨年癌を切った自分の父親のことや、2年前に胃癌を切ったと、ごくごく最近知った恩師の夫人のこと、昔遊びに行ったときのこと、色々あったけど今やはりぼくはこうしてここにいることなど思って過ごした。辛いこともあるけれど、人生のこうした実感のある手触りは、しかし愛すべきものだ。Takeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-8818631591568863163.post-79920535238817332112009-05-19T07:29:00.000+09:002009-05-19T07:30:39.488+09:00primavera<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/8DmnwVuHzNY&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/8DmnwVuHzNY&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>primaveraTakeshi Inouehttp://www.blogger.com/profile/13984942500384379312noreply@blogger.com0