あけましておめでとうございます。大掃除をしてて見つけた文章。3年ほど前にラティーナに書いたものです。ル・クレジオはノーベル賞をもらっちゃいましたね。スカパー!で久しぶりにキューブリックのシャイニングをみてます。こわいね。
たくさんある中のたとえばこんな一節。「メキシコは都市化とテクノロジーのきわめて深刻な場所、"災害地域"ですらある場所だ。しかしその文化がうけついできたものによって、そこはまた別の道をしめす場所、自覚の場所でもある」(p.173)。ヌーヴォー・ロマンの作家というキャリアの後、その人生のほとんどをメキシコおよび、ラテンアメリカの先住民の理解に費やしてきたこの著名な作家の近著が美しく、そして同時に何とも言えぬ勇気を与えてくれるのは、それが徹底して未来へ向けて書かれているからだ。
本書は、ル・クレジオ自身がフランス語へ翻訳した、スペイン人が到達する近代以前のメキシコの姿を伝えた『ミチョアカン報告』など先住民時代の古文書をあらためて紹介しながら、今私たちが住んでいるこの世界とは違った、自然や神々との関係の在り方、人間どうしのつながり方を探っている。文明以前の「自然」への回帰という主題は、ルソー流のロマンティシズムとも結びつきながら、ル・クレジオ自身がパナマの先住民と暮らしていた70年代までのカウンターカルチャーにも見られるものだが、本書が興味深いのはそれが、過去への回帰ではなく、回帰のベクトルがまっすぐ未来へと延びて、しかも現在のエコロジーとも違和感なく接続されているところだ。私たちは、オルタナティブな世界を求めていたずらに先へ先へと進んできたけれども、そもそも求める場所がまったく見当違いだったのではないかと思わせる。「古きアメリカの先住民たちの真実は、秘教的な秘密でもなければ、謎でもない。これらの書物はわれわれのために書かれたものでもあるのだ。すなわち証言として。今日、それを読むことを学ぼう」(p.31)。
本書を読んでいるとき、たまたまカフェ・タクーバの最近リリースした2組のライブ盤が届き、「カフェ・タクーバ、22世紀への旅」といったことを考えていた。メキシコの民族音楽から現代音楽、マンチェスター風のベースラインを強調したロックまで。様々な方面からの影響は、まさしくメキシコを征服してきた様々な民族の足跡でもあるのだろうけれど、何かそうした虐げられたものの屈折はいささかもなく、自由に"あるもの"利用して、それをまっすぐと未来へと延ばしていく感覚は、希望を感じさせ、ル・クレジオのこの本の何よりもの裏づけでもあるだろうと思う。「メキシコは、世界の使用法における知恵と節度という長所をもち、そこに今日の若者たちはモデルを見いだそうと望んでいる」(p.173)。アメリカの次の時代の価値観を考えるには打ってつけの本だと思う。
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