Monday, August 13, 2007

Sirocco

昼下がりの道を自宅まで歩いていると、風がまるでドライヤーの口から吹いてくるような熱さで顔にあたり、これはまるでシロッコのようだと、体験もしたこともない風の名前がふと口について出た。
今日は、ほんとうなら泊まり明けの月曜なのだけれど、日曜夜のいつもの泊まりが休みとなっているので、お盆休みらしい休みとなって嬉しい。朝から、姪っ子を連れて、父方の墓参り。霊園横の服部緑地で姪っ子を遊ばせて、帰りに伊丹の空港でお昼。飛行機が飛び立つのを眺めながらアイスを食べて帰ってきた。帰りの道路に標示される温度計はずっと35℃。エアコンをがんがん利かせても、室温はあまり下がらなかった。
そうして、実家から歩いて帰っていると、まるでシロッコ。甲子園球場の声援が、どこか次元の違う場所から来るように聞こえる。
おそらく、ぼくがシロッコという言葉を覚えたのは、ヴィスコンティの『ベニスに死す』を観てからなんじゃないかと思う。地中海から吹くシロッコにのって疫病が蔓延しているベネチアで、少年に恋するエッシェンバッハは構わず避難もせず滞在をつづける。流れるマーラーの5番の4楽章。そういえばマーラーを知ったのもヴィスコンティ経由だった。ヴィスコンティは映画を通じて色んなことを教えてくれた。アブノーマルな性愛とか、一見貞淑な女性の恐ろしさとか。

最近手にしたゲオルグ・ショルティの最後の録音であるマーラーの5番はとても素晴らしいと思った。長く在籍したシカゴのオーケストラを退任し、スイスのトーンハレ管弦楽団とやっている。初録音もこの楽団だったらしい。この曲は、誰がやっても曲の持つヒステリックさのようなものに翻弄される部分が出てくるのだけれど、この録音は全編まったく落ちついている。曲の細部をまるで自分の庭を歩くように周遊する。この交響曲はマーラーのキャリアの真ん中くらいに位置しているのだけれど、すべてのキャリアを終えて、最後からまたこの曲を眺め直しているようだと言ったらいいだろうか。まるで昨日生まれた曲のように演奏したドゥダメルの演奏を最近聞いたばかしだったので、この二つのコントラストがまた興味深かった。

Friday, August 3, 2007

Gustavo Dudamel, revolución

久しぶりに、雑誌用に記事を書いていて、これはそのメモ的なリンク集。記事はベネズエラの26歳の指揮者。グスタボ・ドゥダメルのもの。ドゥダメルは、ベネズエラのバルキシメトに生まれて子供の頃から音楽教育を受け、14歳の時から指揮の勉強を始めている。2004年に、バンベルクで行われたグスタボ・マーラー指揮者コンクールで優勝したときから一気に注目を集めることとなった。
スペイン語のプロフィール
英語のプロフィール
日本語のプロフィール
Wikipedia
Gustavo Dudamel
最近のガーディアンにあったドゥダメルについての記事。
Orchestral manoeuvres

彼が音楽監督をしているベネズエラ・シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ。
Sinfónica de la Juventud Venezolana Simón Bolívar
このオーケストラの育成システムを取材したガーディアンの記事
Land of hope and glory

BBCの記事→Más allá de los acordes
BBCの→ビデオニュース

高松宮殿下記念世界文化賞
若手芸術家奨励制度

Tuesday, July 31, 2007

そして、アントニオーニも

昨日ベルイマンが亡くなって、スペインのエル・パイースを開いたら、なんだまだそのまま記事が載ってると思ってよく見ると、今度はアントニオーニだった。中学生になった頃どんどん映画に興味を持つようになって、こうした巨匠たちが世界中にはいることも知った。古い映画をやる映画館に、ときに学校をさぼって観に行った。「神の死」とか戦後の現代化していく社会のぎりぎりの孤独とかを描いた作品をわけもわからず観ていた。しかしそんなものは、悩むこともなく当たり前の社会になったか?20世紀が過去になっていくような感覚。一つの時代の終焉、というには皆桁外れに長寿であった。そういえば、先日新藤兼人が90歳を越してまだ映画を撮っているという番組もやっていたね。

Monday, July 30, 2007

『こんなとき私はどうしてきたか』

敬愛する精神科医中井久夫先生の新刊。大学を退官して後、西宮と宝塚の境にある有馬病院で医師や看護師を相手に、これまで経験してきた精神科医としての体験を講義したものを纏めてある。中井久夫のエッセイは、ほとんど読んでいるけれど、この新刊もそれほど専門的ではなく、ごくごく一般的な本として読める。内容はすでに、これまで出されているエッセイの中にも散見されることも多いけれど、治療者を前にしてそれが一つの纏まりなあるものとして読むことができる。統合失調症の専門家として語ったものなので、ほとんどがその患者に関するものだけれど、人生で困難に出会ったときの処方箋として、そのまま使えそうな気もする。回復とは、山の頂上を目指すことではなく、いかに転がり落ちないかに注意しながら、麓を目指すことである、なんていう至言が、あちこちに散らばっている。
すでに70歳を越え、大病もした後なので、あとどれだけ彼の文章を読むことができるかと考えると、1行1行が、貴重なものに思える。こんな老人になりたいと思える人物の一人であり、彼が阪神間の文化について書いた文章を読んで、ここで暮らしていることに誇りと満足感を覚える。ぼくが、詩を読むことを目指して、スペイン語を勉強してきたのは、仕事の傍ら、ギリシアの詩人の翻訳を出してしまう中井久夫の姿に憧れてだろうと思う。斎藤環が、中井久夫の本の中に自分の本の引用があったのを発見して、狂喜したと書いてあったのをみてその気持ちがとてもよくわかった。自分の未熟さが恥ずかしいかぎりだけれど、少しずつでも近づきたいものだね。

Monday, July 23, 2007

蕎麦と焼酎とラボー

仕事終わりのホッとしたひととき、さっと湯がいた蕎麦に、パリッと焼いた海苔。それと焼酎とラボー。こんな夜もある。いただきます。
GRDigitalが、故障で修理中なので、久しぶりにT1で。
Entre el bien y el mal seguirá el amor...
(善と悪の間で愛はつづいていくものなんだよ)...

The Killing of a Chinese Bookie

WOWOWのカサベテスの特集で、見残していた最後の一本。『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』。今回の一連の作品では、一番気に入ったかも知れない。もともと、135分の作品が108分にカットされて公開されていたらしい。今回は135分のオリジナル版。
しかし、そもそも人生とは2時間と15分くらいに感じられるもんなんじゃないか?
そんな冗長な、何でもないことやくだらない細かい事柄が積みかさなったものが人生なんじゃないか?今回の特集の彼の2時間を超える作品を見て、いかにぼくらは切り刻まれて、適当なストーリーに仕立て上がられたものばかしいつも見せられているんだろうと思った。
生の人生そのもの。
1976年。ファニアとパンクが交差した年。
血を流しながら、自分のナイトクラブの前に立ちつくすギャザラが、
ふと、サントス・コロンのイメージと重なる。
しかし、それらが共通の価値観のもとにあったのは、間違いがない。