Friday, August 14, 2009

中米のともだち #7


前の記事に書いたとおりニカラグアに行ってきました。

 JICA大阪が企画、うちの事務所が実施して去年からやっている、中米のコスタリカ、ホンジュラス、グァテマラ、ホンジュラス4カ国の障害当事者を日本に招いて、ゆくゆくは障害者自身が運営して自立支援や介助サービスを提供する自立生活センターを各国で作ってもらおうという研修コースのフォローのためだ。

 コスタリカ、グァテマラは去年すでに事前調査に行っているので、残りのニカラグアとホンジュラスも調査しようというのが、もともとの計画だったのだけれど、未だに解決しないホンジュラス国内の混乱のため、訪問をニカラグアだけにして、そのかわり去年と今年の研修生を全員ニカラグアに招待しようということになった。ニカラグアの去年の研修生サンドラがすでに、ニカラグア最初の自立生活センターを立ち上げたので、そこへ皆を招いて、お祝いして、さらに刺激を受けてもらおうという意図もあっただろう。

ぼくたち日本からのメンバーの一週間の滞在の真ん中3日間が、自立生活センター立ち上げに合わせてのセミナーになっており、研修生たちもそれに合わせて招かれていた。事前にグァテマラの今年の研修生の1人が仕事のため欠席であることが知らされており、直前去年の研修生の1人がお母さんの病気のため急遽来られなくなった。2人の欠席のため研修生12名+介助者2名、来られなくなったグァテマラのホセマリアの介助をする予定だった18歳の青年もやってきていたので、合計15名の大所帯だった。ぼくは、今年の研修生と別れて間もないので、どこかこのグループの一員であるような気がまだしているのが自分でおかしかった。今年のグループはたいへんだったけれど、それだけ関わりも深かったんだと思った。なるたけ色んな人と話をしたかったのだけれど、誰かと話していると誰かと話せないわけで、楽しい再会もかなりフラストレーションが溜まるものになってしまった。

研修の3日間は、自立生活運動についてと、実際の交渉のやり方。3日目は介助者についてで、演習はぼくが担当してやった。夜は夜で、研修生たちが作業が今どれくらいまで進んでいるかをインタビューして、研修生たちからの相談にものったりで毎夜遅くまで話し込んでいたので、なかなかハードなスケジュールだったと思う。

セミナーの他には、去年と今年の研修生が所属する団体の事務所を訪ねたり、障害者の家庭や施設の訪問。最終日には地方の町に行って障害者の雇用に熱心な日本とメキシコの合弁会社の工場を訪ねたり、サンドラの団体の地方支部を訪問したりした。マナグアはどこが中心か分からない、お世辞にも美しいとは言えない町だったけれど、一歩マナグアをでるとニカラグアは美しい。ゆっくり旅するときっと虜になる素敵な国だと思った。

自立生活センター立ち上げという「名目」で一連の行事は行われているのだけれど、じつはこの自立生活センターには、ちょっとなんちゃってなところがあって、サンドラの団体自身が、女性障害者の団体として始まっていることやポリオや片足切断など比較的軽度な障害者の団体であることで、どこまでぼくらが求める重度障害者のニーズやサポートが考えられているのだろうか、ぼくら自身やや疑問に思っている部分もある。開所式に行って事務所がスロープになっていなかったのが何より印象が悪かった。

しかしながら、実際に介助派遣用に、イギリスのNGOと政府から予算を取っていて、制度とはなっていないから、期間限定で介助派遣も行われることになる。こうしたことを僅か半年でやってしまったサンドラのエネルギーと政治力も侮れなく、最後空港でまた涙を見せている彼女と別れるとき、結局彼女が誰よりも情に篤いのだとも感じて帰った。

3日目のセミナーが終わって、最後に研修生全員と集まっているとき、iPhoneを持ち歩いていつでもメールチェックできるぼくのところにグァテマラのJICAの担当者からメールが来て、病気だったホセマリアのお母さんが亡くなったと知らされた。みんなが集まっているこんな時にタイミングがよすぎるなぁと思いつつ、彼と仲のいいホンジュラスの研修生に知らせた。この集まりが終わる頃には、みんなで彼を励ます言葉を書いて寸志を贈ることに纏まっていた。それまでぜんぜん見ず知らずだった人たちが、こうして集まって、もうみんな家族のようになっているから、その家族に不幸があってももうそれを自分の家族に起こったことのように感じている。そうした当たり前のことを感じた。

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