Tuesday, April 21, 2009

『中村のイヤギ』

日曜日。2年ほど前まで職場で介助の仕事をしていた男の子が原一男の指導のもとで作っていたドキュメンタリー作品ができあがって神戸で上映会をするとの知らせを、神戸映画資料館からのメールで知って午後から新長田まで行って見てきた。
その前に、新在家のトレックストア六甲へ寄ってまた自転車を少しチェックする。

彼は、張領太(チョン・ヨンテ)くん。韓国籍の在日の男の子だ。一緒に働いていた頃は日本名を名乗っていて、ぼくらはみんな名前を愛称みたいにして「ヨンテ」と呼んでいた。ぼくが彼と親しく話すようになったのは、ぼくが亡くなった祐樹の死の直前のことを介助者の人たちにインタビューしてビデオに撮っていたとき、その介助者の一人としてインタビューをお願いしたのがきっかけだった。その頃もう彼は、朝日カルチャーセンターの原一男の講座に通っていたし、この映画のために、伊丹の空港のすぐ横にある中村と呼ばれる韓国人が不法占拠してできた部落へ入ってカメラを回し始めていたと思う。

それから半年か一年くらいで、彼は隣の尼崎のやはり障害者に関わる仕事に移って、以来たまに思い出してどうしてるんだろうと思いながらも、なんとなく疎遠になってしまっていた。偶然この映画の上映を知って出掛け、数年ぶりの再会をする。

映画はよくできていたと思った。すでにこの中村地区の集団移転が決まった後、古い家屋を取り壊し、立ち退いて新しい市営住宅へ移るまでを描いている。同じ在日の彼がそこでとても受け入れられているのがよく分かり、それを彼が安心したように喜んでいるのもよく分かった。被写体との間にいい関係を築いていると思ったし、それがこの作品の成功の理由の一つでもあるだろうと思った。

上映の後、ほぼ内輪だけのような観客の中で感想を述べる会になった。ある作品を作るというのは、ほんとに怖いことで、褒められもするだろうけれど、意外なところから批判も受けもする。ヨンテも戦後60年の在日の苦しみが描けていないと批判されていた。しかもそれを言ったのは大学生の女の子だった。活動家とおぼしき人からは、これは闘争ではなくノスタルジーに過ぎないとか。こうしたマイノリティの問題に口をつっこむことっていうのは、こうしたどこから降ってくるとも分からない矢のような攻撃を一々相手にしなくてはならないんだと思うと、ほんとに消耗するだけで前に進まないんだろうな。

たしかに、これはヨンテがはじめてカメラを持って作った作品で、色んな面で未熟だろうし、批判される面もたくさんあるだろうけれど、なんというかヨンテという人のもつ独特の誠実さがあって、自分の感じたもの以上をあえて付け足したりしていないところがこの作品の美点なんだと思う。

こうしたものを見て、何か足りないなんて感じるのは、どういう感性だろう?ヨンテ自身が、みんながカメラを持って表現したらいいと言っていたのは、べつに誰かに向かって言ったのではないだろうけれど、ぼくはあえてそういう批判を向ける人に言ってみたい気分だ。何かが足りないと思うなら、それはあなたが作るべきだろう。ヨンテは無くなってしまう何かを残したいと思い、少なくともそうしたんだから。

タイトルの『中村のイヤギ』のイヤギとはハングルで「話し」という意味だそうだ。

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