Thursday, April 9, 2009

『闘争のアサンブレア』

去年ここでも書いた(*)廣瀬純さんが、『闘争の最小回路』のついで書いた、ラテンアメリカの新しい政治・文化運動について書いた本の2冊目、続編というのとは少し違うか。むしろこの本のデータをもとに前著が書かれたという印象もある。今回はアルゼンチンの事情を、運動が起こった経緯を細かく現地の活動家へのインタビューしながら詳述している。おのずとペロンから軍事政権時代へと遡って解説せざるを得ないので、ちょっとしたアルゼンチン現代史のようにもなっています。大まかな紹介は今月のラティーナに書評を書いたので、そちらを見てほしいのですが、字数の関係で触れられなかったエスクラチェについて少し補足しておきます。

エスクラチェ(escrache)というのは辞書を引いても出てこない、アルゼンチンでの用法らしい。アルゼンチンは、1976年から先日亡くなったアルフォンシンが大統領になって民政に移管した1983年まで、軍事独裁政権時代がつづいてたのですが、その間、秘密警察に連れ去られて行方不明になった活動家や一般人が多数いました。民政移管以降裁判で訴えられて有罪になるのですが、その度に恩赦になったりで結局うやむやになるという繰り返し。エスクラチェというのは、そうして恩赦されて一般人として暮らしている犯人を、探しだし、何ヶ月も準備して付近の住民に罪を明かして、周知させていくという運動だそうです。

現在アルゼンチンでの人権活動の中心は、そのときアルゼンチンの首都の中心5月広場に集まって抗議活動を行った「5月広場の母たち」だそうで、ただ行方不明になった自分の息子・娘を捜すだけではなく、ジェノサイドというのは、資本制から生じたというその根っこから変えないといけないと主張して、ラディカルな人権活動をしています。(もともとの活動に限定すべきというグループと分裂してるらしい)。

「母たち」は、あらゆる類の妨害に抗して、ジェノサイドは、資本制を母体とするものであって、何らかの「悪い政府」がもたらした結果ではないと主張し続けてきました。「私たちは妥協しない」というスローガンは、虐殺者全員が逮捕されても平和はない、闘争は終わらないということを意味しているのです

エスクラチェの活動の中心となっているのは、逆にそのとき行方不明になった人たちの子供たち。団体の名称は、そのものスペイン語で「子供たち」をあらわす<H.I.J.O.S>。一見、ちょっと法を超えた民衆裁判のようで、ぼくらには怖いと思える部分もあるのだけれど、この本の他の部分に出てくる、失業者の運動や住民の集会などみな、経済や政治が破綻して、空白になったときに民衆が自分自身で作り上げた運動で、司法が機能しなくなっているとしたら、自分たちで機能させるしかない、という意志が、この運動には込められている。H.I.J.O.Sの活動の模様はYoububeで見ることができます。

この本を読んだ後には、おそらくぼくらを包んでいる様々な制度とか規制とかは、ほんとはほとんどフィクションなんじゃないかと思えてくる。だだ、この国は、それがぎっしり包み込まれすぎて分からなくなっているだけでね。

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