一昨日、ある葬儀のために枚方へ行ってきた。亡くなったのは友人の父君で、葬儀に出席するかどうかは微妙な関係かと思う。友人とは1982年大学入学以来のつきあいだから、なんともう25年を超えた。友人は大学卒業して新聞社に入社して、その後いくつかの出版社を渡った後、今は誰でも一度は手にしたことのある情報誌の編集に携わっている。福岡や名古屋、東京を転々として昨年春16年ぶりに大阪に帰ってきた。転勤先を訪ねたこともあったけれど、近年はぼく自身も時間が取れなくて、何年も無沙汰をしていた。
昨年の春に転勤の知らせをもらって、これでまたちょくちょく会えるかなって思っていると、父君が癌を患って、予後があまりよくないようで、友人は仕事以外は病院へ通う日々でなかなか会えず、このゴールデンウィークも会えたらいいねって言っていたものの結局そのままになって、明けたらすぐに訃報が届いた。後になってたいへんな時期だったんだなって気づく。
父君とは、友人の家へ遊びに行くと外出から帰ってきた折りに挨拶を交わす程度だったけれど、ぼくにとって友人の父親まで知っているのは珍しいケースで、たしか最後にお会いしたのは、ちかと一緒に6年ほど前の正月に実家へお邪魔したときで、ぼくが買って行った手みやげを、友人が「お父さんこれもらったよ」と言ったときに、何か一言かけたか眼をやっただけだったかしたと思う。もの凄く寒い正月で、震えながら帰ってきたのを覚えている。
葬儀は今のパッケージになったもので、それ自体はとくにどうこう言うものではないけれど、最後に喪主の友人が挨拶をしているのを聞いて、話がとても上手で、ここ数年ずっと編集長をやってる彼のぼくがあまり見たことのない部分を知ったような気になった。自分は不肖の息子で、何年も親元を離れていたと話したとき、彼にも父君に対しての様々な思いがあったんだなと今更ながらに了解した次第だった。
そうした1時間を、やはり昨年癌を切った自分の父親のことや、2年前に胃癌を切ったと、ごくごく最近知った恩師の夫人のこと、昔遊びに行ったときのこと、色々あったけど今やはりぼくはこうしてここにいることなど思って過ごした。辛いこともあるけれど、人生のこうした実感のある手触りは、しかし愛すべきものだ。
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