ちょうど4年前の今日から、日記を書きつづけている。といっても、このブログのことではなくて、モレスキンのノートを使った完璧に昔ながらのアナログなものだ。
昔旅行ばかししていたころは記録はつけていたので、その流れで帰国してしばらく日記のようなものを書いた時期はあったが、今回のように継続して何年も書きつづけるのは初めて。日記を書こうかなって思ったきっかけは、ちょうどその頃、ふっと去年の今頃って何してたっけ?って考えてみたのが最初だった。そうしたらまったく思い出せなくて、こんな風に人生が過ぎ去っていくのはあんまりなんじゃないかと思った。そんなときに、本屋をぶらついているとたまたま、昔予備校で英語を習っていた表先生が、日記の効用についての本を出しているのを発見して、立ち読みしているうちに、これは日記をつけるしかないなって思えてきた。
表さんは、ぼくが人生の中で影響を受けた人物の一人で、予備校では英語の授業はほとんどされずに、ほとんどマルクスとかフッサールとかの話ばかし聞いていた。大学で哲学をやったのもその延長線にもちろんあるし、言葉の背景にあるものが理解できずに言語を理解することは不可能だという教えは、今もスペイン語や他の言葉をやるときに、ぼく自身が実感していることでもある。
それでも、おかげで大学に合格して、予備校を卒業して別の文化圏に入ってしまい。彼の名前を口にしたり、聞いたりすることもなくなってしまった。20年以上経って、ふと手にした本はなんとなくビジネスマン向けのハウツーもののようで、その外見にちょっとがっかりもしながら読んでみると、また昔のようにちゃんと影響下にいる自分がおかしかった。
今回日記をつけるのに、はっきり決まりを作ったわけではないけれど、できるだけ余計なことは書かないでおこうと思った。自分の考えとか、何々についての考えとかはできるだけ書かない。時間が経ってその日がどんな日だったかを思い出せるように最低限のことだけ書いていく。朝何時に起きて、何を食べ、どこへ行って何をした。夕食は何を食べ、何時に就寝したか。天気も毎日は書いていない。記憶に残るくらい寒い日とか暑い日に記すくらい。
読み返すと、毎日はおそろしく淡々と過ぎて行っている。日記をつけ始めた1年後には、頭を坊主にしていてそのときはそのときでテンションも上がったのだろうが、数年前の頃のこととして振り返ると、その淡々とした日常に飲み込まれるように収まっている。最近はばたばたしていて、2〜3日分を纏めて書くこともあって、1日分はもっと簡潔になっている。だいたい筆が乗って文字の量が多い時期は、なんとなく調子がよく、逆は体調が悪かったりしている。法則がないようで、じつはちゃんとバイオリズムにそって進んでたりしている。ブログにその日あったことを書いた日は、ほんとに淡泊。
2 comments:
ぼくも表三郎に習って、影響受けました(^^)/
おかげで大学受かったというより、2回も浪人しちゃったけど。。。
昨年、ごりごりおやじたちの集結した非常に偏った左翼系シンポジウム(学習会)で、久しぶりにお会いしました。ご健在でしたよ。
おはようございます☆
へ~。やっぱりって感じもしますが(^_^;
同級生に、やっぱりすごく影響受けていた子がいて、大学入っても弟子みたいにして通ってました。大学院に行って、ほんとはヘーゲルをやりたかったのに、なんかつまらない人間関係の影響で、ポパーをやらざるを得なくなってくさってましたね。
久しぶりに表さんのことを思い出して、そういえばあいつどうしてるかなってネットで検索してみたら、河合塾で教師をしてました(笑)。同じ道を進んだわけです。やっぱり哲学の講義をしてるのかなって思います。
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