
もちろん、この『貧しさ』という本は、ハイデガーの同名の未出版のテキストに、そのもととなったヘルダーリンの「精神のコミュニズム」というテキストに、ハイデガーのテキストを批判的に読んだフィリップ・ラクー・ラバルトのテキストを合わせたものだから、ラクー・ラバルトの趣旨とはまったくの反対の読み方だけれど、まぁいいじゃないか。
深さとフラットという対比を思い浮かべていると、このハイデガーのテキストとはまったく反対の世界が、東浩紀が読み解こうとするアニメや最近のオタクのアートなんだろうと思った。しかし最近の『ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 』では、じつはそうしたフラットな枠組みに、深淵とも呼べる亀裂が入っているのではないか、と主張してもいるので、これがとても刺激的な本になっている。最近の本では必読だと思う。東浩紀はデリダについての本でデビューしたのだけれど、デリダがハイデガーを継いで自分の思想を作ったのはよく知られている。ある意味、西洋のテクノロジーが究極の形で具現したのが秋葉原的なものだとすれば、今考えなくてはならないのは、ハイデガー→東浩紀まで至るプロセスなんじゃないかと思った。<東浩紀がハイデガーについて書いたエッセー>
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