Tuesday, March 11, 2008

病棟

後先になるけれど、先週金曜日、呼吸器部門が三田の兵庫中央病院を訪問するというので、便乗して着いていった。
ここはいわゆる国立療養所と言われているところで、筋ジストロフィーや神経難病の患者の養護学校と療養所がセットになった施設。人によるけれど、小学校から入ると、ほぼ人生すべてをそこで過ごすことになる。
西宮北口から阪急に乗って、宝塚でJRに乗り換え、三田からはタクシーを使った。今どき車いすはめずらしくもなくなったけれど、さすがに呼吸器2人で電車に乗り込むとかなりの存在感がある。
小一時間で到着。病院と聞いて、もっと立派な建物を想像していたのでけれど、平屋のかなり年季の入った建物。最初に作業室を見学させてもらったが、そこはとくに病院という感じでもない、どこでもある障害者の施設の雰囲気。作業をするというより、何か時間をつぶしているような倦怠感が支配している。
その後呼吸器くんと病棟の友人を訪問。古い木造の学校が病室になったような独特な雰囲気。どこかの病室で繰り返して何かを叫んでいる人がいるが、誰も気にとめない。友人も呼吸器装着。ほぼ全身が麻痺して動かないが、あごでコンピュータを操作してあちこちとコミュニケーションしている。比較的元気で快活な精神を保っていたが、気になったのは、逆に呼吸器の必要もなく、彼よりもずっと軽度の身体障害に見える人たちが、死んだような目をして、一点を見つめたままベッドに座って動かない様子で、何か、純粋な形の絶望の状態を見たような気がした。ふと昔読んだ、アウシュビッツで生き延びるためにはどうしたらいいかを書いた文章を思い出したりしていた。
帰りは雨になっていた。残してきた人に感じなくてもいいような罪悪感すら感じた。やらなくてはならない仕事はたくさんある。
昨日は、泊まりあけで聴覚部門のパソコンテイクで通訳をした。障害者運動もどんどん多様化していっているのが実感できる毎日ではある。

Saturday, March 8, 2008

京都

障害者の生存権と介助システムを検証する』というシンポジウムがあったので、久しぶりに京都へ行ってきた。去年秋に、呼吸器くんと障害学会へ行って以来だから、ほぼ半年ぶりくらいか。日本自立生活センターの主催で、おなじみの立岩さんや夢中センターの平下さんがシンポジストとして並んでいた。
自立生活センター立川の加藤みどりさんの基調講演が午前にあり、昼食を挟んで午後からシンポジウム。今日の特徴は、障害当事者からだけではなく、労働者としての介助者という問題を、当事者としての介助者の立場からの発言が多かったこと。シンポジストとして来ていた杉田俊介さんと主催者でもある、かりん燈の渡邊さんらが、その立場から発言していた。
ちょうど真ん中へ座っていた立岩さんが、まさしく両者のバランスを取ったという形だった。

介助者の待遇が悪ければ、どんどん介護の現場から介助者が逃げていくという悪循環が簡単に言えば、今日のテーマだったと言うことができる。ぼくが勤めている事業所も今年は赤字で来年度から給料が下がるし、介助料の単価が据え置きだったらじり貧になるのは目に見えているので、人事ではない話だった。
障害者と介助者はお互い理解し合ってという話にはなるのだけれど、なかなかそう簡単なことでは終わらない。

終わって、大学時代の恩師と食事でもしようと思って電話してみたらあいにく大阪のご実家へ行っているようで入れ違い。小学校3年生のときから知ってる娘さんに子供ができてもう2歳だと聞いた。長らく連絡もしていなかったしなぁ。凍っていた時間が急に溶けて動き出したようだった。
夕方になった京都は、どんどん冷えて寒くなる。この季節はいつもこんな感じ。遠い昔にあったことと、ここ数日のことをごっちゃにして思い出す。淋しすぎて吐き気がしそうだ。いつまでつづくんだろうこんな人生。

Saturday, March 1, 2008

患者学・生存の技法

すでに店頭に並んで発売中の『現代思想』3月号は、「患者学・生存の技法」という特集。病や障害に纏わる経済学や、権力関係、テクノロジーとの関係等々などの論文が並んでいる。その中に、去年立命館で行われた障害学会第4回大会で、呼吸器くん共同発表した伊藤佳世子さんの論文「筋ジストロフィー患者の医療世界」も一緒に載っていて、呼吸器くんが雑誌に寄せた文章や直接交わした会話からの引用もある。

立岩さんは、この伊藤論文についてこんな論評をしている(全文はこちら):
伊藤佳世子「筋ジストロフィー患者の医療的世界」は、「メディア」に載る文章としてはたぶん筆者の最初のものだが、しかしそれは、医療や看護の学界・業界全体においても――その世界にとってもまったく残念なことに――正面から書かれることのなかったことを書いていて、その意味でも最初のものになっている。

内容はまさに、立岩さんの言うとおりで、伊藤さんが当事者と会って話したことや、実際に全国の国立療養所を回って見聞きしたことが下敷きになっていて、学者が調べて書いたこととは一味も二味も違っている。執筆の動機は「怒り」であり、知ってしまったことは伝えなければならないという使命感だと思う。
願わくば、この論文が学者や知識人の世界だけで留まるのではなく、ぜひ国立療養所や病院などの現場の人に広く知ってもらい、なんらかの動きが出てそれが変化へと結びついてくれたらと思う。そしてさらにそこに収容されている人たちの当事者運動へとなってくれたらと。

それにしても、ぼくは大学時代哲学なんてものをやってたもので、この雑誌は以来、その時々にチェックしているものなんだけれど、こんな身近な人が関わるなんてのは、はじめてで何かおかしな感じ。

Saturday, February 23, 2008

草間彌生など

休日の今日はなんだか盛りだくさんな日だったような気がする。
午前中EL adiósの編集。編集と言っても、何か物理的な作業というよりも私的な手記でも書いている気分に近い。実際ナレーションは書いている。書いて読んで、うまく読めなかったり語呂が悪かったら書き換える。
昼は食うものが何もなかったので、ぼくにしてはめずらしくインスタントラーメンで済ませた。冷蔵庫に残っていた水菜をオリーブオイルで炒めてのせて、微かにだけれど料理っぽくした。食後、昨夜最後まで読んでしまうつもりだったのだけれど、少しだけ残してしまったチャンドラーの『ロング・グッドバイ』を読んでしまう。もともとナレーションはハードボイルドっぽくしようと、あまり訳のわからない動機で読み始めたもの。それでナレーションはぜんぜんハードボイルドっぽくならないんだけれど、極力「心理的な」ものは排除して、あったことだけを積み重ねようという視点は共有できるんじゃないかと思う。
この小説は、訳者の村上春樹と同じように、ぼくも最初、高校生くらいに読んだと思う。友人のお姉さんに借りて読んだような記憶がある。しかし記憶に残っているのは同じ頃にテレビで観た、ロバート・アルトマンの映画の方だった。今回興味深かったのは、主人公がメキシコへ逃げて自殺したり、メキシコ系の召使いとマーロウがスペイン語で会話したり、以前はあまりよく分からなかった背景の方だった。そのメキシコ系の召使いは、じつはチリからの移民ということが後で明らかになり、そうなるとほとんど放ってあるtemblarのための資料にもなることがわかった。さらにリンチの『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』もこのロサンジェルス〜ハリウッド近郊を舞台にしていて、最近のぼくの興味と偶然にもかなり被っていたことになる。

ひと眠りして、夕方から九条のシネ・ヌーヴォで今日から始まった、『≒草間彌生 わたし大好き』観に行く。草間彌生は80年代からずっとすごいと思って来た。こんなに売れちゃうとは思わなかったけれど。喜寿を迎えてもまだ自意識の固まりのような人。色んな賞の名前をあげて、取れたことを喜んでいる様は、中井久夫が、統合失調症の人は、例外なく俗物的な権力欲に囚われているような謂のことを書いていたのを思い出させた。上映が終わると監督した松本貴子さんが挨拶した。しかしこの人の強烈な着るものの趣味の悪さはなんだ。彌生さんを少し見習うといいと思うけれど。

帰り梅田に寄って、Que ricoで、ミチェラーダとワカモレ、エンチラーダで夕食。夜になるにつれ、どんどん寒さが増してきた。

Thursday, February 21, 2008

初鶯

ブログは、基本は日記だから継続してはじめて見えてくるものもある。このブログも細々ながら一年を過ぎて、読み返すとそれなりの感慨もある。去年の今頃は、ごちゃごちゃ色々あったうえに、自転車で開いた車のドアに突っ込むなどという事件も重なって、かなりしんどい時期ではあった。そんな折り整骨院へ治療に行った帰りに鶯の声を聞いてホッとしたりもしているのだけれど、今朝偶然またその整骨院で治療を終えた帰り、また鶯の声を聞いた。今年初めてだと思う。ずっと寒い日がつづいていたのが、今日はかなり暖かくなって気分もずっと楽になったと思ったら、鶯まで鳴いた。
昨年は3月の1日にアップしていたのだけれど、それまで鶯が鳴いていたのかいなかったのか、鳴いていたのに気づかなかったのか、それはよく分からない。忙しい日々に気がつかないものが、こうした隙間のような時間にふっと聞こえてくるのかも知れない。とにかく今年は去年より早く気がついたということだ。
鶯が鳴くのだから、当然ぼくらも鳴くだろう。すべてがひとつの自然だったとしたら、ぼくらが鶯でないという理由はない。

Saturday, February 9, 2008

TVEの終了

数日前、ポストに一枚のはがきが入っていて、スカパー!からで重要なお知らせだとある。視聴しているスペイン語放送に関するもので、何だろう?また値上げかな?って読むと、3月で放送が終了するのだという。値上げならしょうがないかなって思ったが、終了は予想外で、さてこれからどうしようとあれこれ調べてみた。
このTVEの国際放送をスカパー!経由で見だしたのも、もう5年くらいになると思う。とくにこれを使って集中して勉強するということはないのだけれど、そうではなくて、逆にあまり意識せずに、なんとなくいつでも部屋にスペイン語が流れている状態にするのがよかった。脳は緊張した状態ではなく、リラックスしているときに外国語を中に入れやすい。外国語に対していつでも違和感のない状態を保つことができたのが、よかったと思う。
まぁ、この5年くらいの間に、Youtubeも出てきたし、光ケーブルやら、ネット経由で映像を見るのも普通になってきた。ぼくはスカパー!で見るスペイン語で満足していたから、ネットでどれくらいスペイン語の放送を見ることができるのかちゃんと調べたこともなかった、こんなことになって慌てて調べてみると、当のスペインのTVEが、すでに24時間ネット経由で見ることができることがわかった。さらに、Octoshapeというプラグインを入れれば、Media Playerでかなり高解像な画像で視聴可能で、終了後の問題は一挙に解決した。しかもタダ。
そもそも、スカパー!の方は、ぼくのようにスペイン語の勉強に使いたいわずかな日本人か、後は在日のラティーノたちだろうから、コスト感覚にうるさい彼らが、すぐにネットに移行したのは、容易に想像できる。それで経営もできなくなったのだろう。
アップルが、AppleTVなんかを出しても、どうやって使ったらいいのか分かんなかったし、あんまりテレビとコンピュータを繋げるという発想に興味がなかったのだけれど、そろそろそんなことも考えたりしなくてはいけないのかもね。

Saturday, February 2, 2008

el adiós #2

祐樹の二回忌で、氷上の実家までお参りに行ってきた。去年兄と一緒に、一回忌で帰ったときには行けなかったお墓へも参ってきた。
それと、お母さんがぼくが去年渡した、撮影した原テープに不満があると兄から聞いていたので、そのことを話す目的もあった。お母さんの不満は、知らなくてもいいことまで、知らされたということだった。子供にも親には知られたくないプライバシーというものがあるのだから、それは尊重してほしかったということだ。とくに女の子とのことなど、親には知られたくないだろうから。ほとんどはもっともなことだと思った。配慮も足りなかっただろう。
しかし、作品にして、何を切って何を残すのかがとても難しいのと同じで、結局のところ万人や、誰それのためでも、正確な線引きをするのはとても難しい。お母さんは、知りたくないことも知ってしまったのかも知れないけれど、でなければ、まったく知ることができなかった可能性もあった。どちらかを選べと言われるたら、果たしてどちらがよかったのか。
今回お母さんの言い分も撮影しようと、カメラを持って行っていたが、結局使わずじまいで帰った。今回ぼくはまったく福祉的な人だった。お母さんの言葉を受け止め、自分の中で消化して、馴染ませるようにして返していた。カメラは、その場にとげとげしいものを入れるような気がしてどうしても手にすることができなかった。
だめだなぁって思いながら、帰りの舞鶴道の雨降りをワイパー越しに見て車を走らせていると、これも現実だから、あえて追加に撮影などいらない気もしてくる。
このビデオは、祐樹のことを作品にしているぼくのことを語ったものにもなるし、彼に対する愛憎の物語、結局人生は愛したり憎んだりして、進んでいくのだという。