Saturday, March 17, 2007

自由になるには闘わなきゃだめなのよ。


Para ser livre tienes que luchar「自由になるためには、闘わなきゃだめなのよ」。こう言って呼吸器の接続をはずし死を選んだスペイン、アンダルシアの筋ジス女性インマクラーダ・エチェバリーアさんが、一昨日51歳で亡くなった。スペインでは、これをきっかけに論争が起こっている。彼女の死を扱ったグーグルニュースのリンクの数の多さでも分かるだろう。医師に倫理的な問題がなかったかという意見とともに、これでスペインでも尊厳死を認める道に一歩踏み出したと肯定的に捕らえる意見も多い。ヨーロッパだけではなく、おそらく全世界的に患者の自由を尊重する、尊厳死というのは、説得力があり、『海を飛ぶ夢』や『ミリオンダラー・ベイビー』など、すぐに浮かぶ最近の映画でも、こうした傾向を追認しているといえるだろう。
彼女は、自分が死んだら、自らのことを「戦士」だったと思い出してほしいという言葉を残して亡くなった。彼女は、11歳の時、筋ジストロフィーということが判明。17歳で父親を亡くし、その8年後母親を亡くしている。25歳の時子供を身ごもったが、父親はその後すぐ交通事故で死亡している。進行が進んでこの10年間は呼吸器をつけて生活をしていた。安楽死を担当したのはその間入院していた病院の医師だったが、その病院は、カトリックの教会が管轄する病院だったため、安楽死に反対するバチカンの許可が得られず、この処置のため病院を変わらなければならなかったという経過もあったようだ。
ぼくたちのように、身近に呼吸器をつけた人があたりまえにいる状況で生きていると、にわかに信じがたい話題であるし、呼吸器を拒む理由は、本人の自由意志と言うより、周囲の意志を患者がくみ取ってというところが大きいと主張した立岩真也のいくつかの著作を読んだりもしているのでなおさらだ。彼女の歩んできた人生を考えると、呼吸器で生活していなくても彼女は自殺を選んだのではないかとも考える。

彼女が死ぬ一週間前に受けたインタビュー
-10年も呼吸器をつけて生活をしたいたのなら、もう機械と友だちと言ってもいいんじゃないですか?

-いいえ。

-機械とはうまく行っていなかったのですか?

-これに人が慣れるなんてことはないんですよ。

今のぼくには、受けいれがたい言葉であるけれど、これもまたひとつの当事者の言葉なんだろうとは思う。

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