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Thursday, January 1, 2009

『歌の祭り』

あけましておめでとうございます。大掃除をしてて見つけた文章。3年ほど前にラティーナに書いたものです。ル・クレジオはノーベル賞をもらっちゃいましたね。スカパー!で久しぶりにキューブリックのシャイニングをみてます。こわいね。



 たくさんある中のたとえばこんな一節。「メキシコは都市化とテクノロジーのきわめて深刻な場所、"災害地域"ですらある場所だ。しかしその文化がうけついできたものによって、そこはまた別の道をしめす場所、自覚の場所でもある」(p.173)。ヌーヴォー・ロマンの作家というキャリアの後、その人生のほとんどをメキシコおよび、ラテンアメリカの先住民の理解に費やしてきたこの著名な作家の近著が美しく、そして同時に何とも言えぬ勇気を与えてくれるのは、それが徹底して未来へ向けて書かれているからだ。
 本書は、ル・クレジオ自身がフランス語へ翻訳した、スペイン人が到達する近代以前のメキシコの姿を伝えた『ミチョアカン報告』など先住民時代の古文書をあらためて紹介しながら、今私たちが住んでいるこの世界とは違った、自然や神々との関係の在り方、人間どうしのつながり方を探っている。文明以前の「自然」への回帰という主題は、ルソー流のロマンティシズムとも結びつきながら、ル・クレジオ自身がパナマの先住民と暮らしていた70年代までのカウンターカルチャーにも見られるものだが、本書が興味深いのはそれが、過去への回帰ではなく、回帰のベクトルがまっすぐ未来へと延びて、しかも現在のエコロジーとも違和感なく接続されているところだ。私たちは、オルタナティブな世界を求めていたずらに先へ先へと進んできたけれども、そもそも求める場所がまったく見当違いだったのではないかと思わせる。「古きアメリカの先住民たちの真実は、秘教的な秘密でもなければ、謎でもない。これらの書物はわれわれのために書かれたものでもあるのだ。すなわち証言として。今日、それを読むことを学ぼう」(p.31)。
 本書を読んでいるとき、たまたまカフェ・タクーバの最近リリースした2組のライブ盤が届き、「カフェ・タクーバ、22世紀への旅」といったことを考えていた。メキシコの民族音楽から現代音楽、マンチェスター風のベースラインを強調したロックまで。様々な方面からの影響は、まさしくメキシコを征服してきた様々な民族の足跡でもあるのだろうけれど、何かそうした虐げられたものの屈折はいささかもなく、自由に"あるもの"利用して、それをまっすぐと未来へと延ばしていく感覚は、希望を感じさせ、ル・クレジオのこの本の何よりもの裏づけでもあるだろうと思う。「メキシコは、世界の使用法における知恵と節度という長所をもち、そこに今日の若者たちはモデルを見いだそうと望んでいる」(p.173)。アメリカの次の時代の価値観を考えるには打ってつけの本だと思う。

Thursday, November 13, 2008

Huellas del padado(過去の足跡)

もうそろそろ、中米からの研修生も来るし、iPodの中もサルサやレゲトンでいっぱいにしとかなくちゃなって、物置と化している実家の元自室から持って帰ってきた一枚。1998年プエルトリコの歌手オビー・ベルムーデスのデビュー盤"Locales"だ。最近家でも外でもなんかずっと聞いちゃってる。ぼくはずっとフォローしなかったけれど、この後はサルサではなくふつうのポップスを歌って、それなりに人気が出て成功したはず。マイク・リベラとコンビを組んでこの頃のニューサルサをプロデュースしていた、ファン・ゴンサレスが単独でプロデュースして、それまでのサルサのテイストからさらにロックやポップスの味つけを濃くしていたのが特徴だった。キューバの新しいサルサが現れ、すでにレゲトンも登場していて市場は劇的に変わりつつあったから、それまでメインストリームを行っていたプエルトリコのサルサも変わらざるを得ない時期だった。音楽としてはおもしろかったし、当時もよく聞いていた一枚だったと思うけれど、どうしたら売れるかっていう「仕掛け」の部分が見えすぎていて、ぼくたちが愛していたそれまでの、身内だけで作っちゃいましたノリのサルサからどんどん離れていっているのが寂しくて表向きは批判的なことを言っていたと思う。

ふぅ、そんな頃からもう10年も経っちゃったんだ。おかげでそんなしがらみた思いからも自由になって、この音楽を楽しむこともできるわけだ。そして、やっぱりこのジャケットはインパクトがあったよなぁって思ったら、たしかぼくはこのジャケットをデザインしたアートディレクターにインタビューしたことがあったって思い出した。そんなことももう忘れちゃってた。10年だもんな。彼はミゲル・リベラと言って、ニューヨークに住むラティーノだった。連絡先はジャケットにあるクレジットにあったから簡単につかまった。当時のニューヨークの新しいサルサは彼がほとんど手掛けていたから、面白い話しがたくさん聞けた。それをラティーナに送って載せてもらったのだけれど、同じ理由でぼくはこの頃の新しいサルサに批判的だったから、このおしゃれなジャケットのことを語ることによって、そのマーケティングのされかたについて言いたかったのだと思う。記事のPDFを置いておきます。興味ある方はどうぞ。<PDF>

Friday, December 14, 2007

Gustavo Dudamel

"Gustavo Dudamel"で検索してここに来てくれる人が増えてきたようなので、この間ラティーナに載っけた記事を全文アップしておきます。
11月にメキシコへ行ったとき、あと一週間くらいでドゥダメルとユース・オーケストラが、がBellas artesでコンサートをやるという新聞広告を発見し、ただでさえ幸福なメキシコ滞在がさらに帰国が惜しくなる思いになった。
ベネズエラの状況もその後変化があった。先日、国民投票があって、大統領の任期を撤廃するなどの提案が審査されたが、否決された。報道では、チャベス大統領の指導力が低下するのではと言われているが、ぼくは逆にベネズエラの民主主義の健全さがアピールできて、ベネズエラという国に対しての信頼度は増したのではないかと思う。


月刊ラティーナ10月号

 クラシックファンのあいだでは、すでにかなり話題になっているようだけれど、ラテンアメリカに関心ある方々にはどうなのだろう。グスタボ・ドゥダメル。1981年生まれ。弱冠26歳、ベネズエラ出身の指揮者だ。
 クラウディオ・アバド、サイモン・ラトル、あるいは、ダニエル・バレンボイムといった現代の巨匠たちに絶賛され、彼らの後見のもとにデビューしたドゥダメルの、まずこれまでの経歴をざっと見ておこう。生まれはバルキシメト。カラカスから西方280キロほど行った町だ。カラカスからマラカイボへ向かうハイウェイのちょうど中間あたりにある。父親がサルサのオーケストラでトロンボーンを吹いていたというのが、いかにもベネズエラらしい。すでに幼いときから和声や対位法を学び、10歳のときに初めてヴァイオリンを持って、同時に作曲の勉強も始めている。14歳の時に指揮の勉強を始め、18歳の時に、ホセ・アントニオ・アブレウにひきつづき指揮を学び、彼が創設したシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの指揮者になっている。
 ドゥダメルが一気に世界的な名声を得たのは、2004年、南ドイツの名門、バンベルク交響楽団が主宰する第一回グスタフ・マーラー指揮者コンクールで優勝してからで、以後世界中のオーケストラから引っ張りだこの活躍。今シーズンは、ウィーン・フィルやベルリン・フィルでも指揮をする予定になっている。2009/10年シーズンからロサンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督に就任することも決定した。
 そして昨年、ドイツ・グラモフォンからベートーヴェンの交響曲第5番と7番のカップリングで、レコーディング・デビューも果たしているのだが、この録音は、彼が現在音楽監督を務めているベネズエラ・シモン・ボリバル・ユース・オーケストラとのレコーディング。このオーケストラがまたドゥダメル自身と同じくらい興味深く話題にもなっている。
 ユース・オーケストラと言うくらいなのでもちろん、25歳くらいまでの若い演奏家たちによってこのオーケストラは構成されている。しかしこれはたんなる若ものたちのオーケストラというだけでなく、今年67歳になるホセ・アントニオ・アブレウが組織した、Sistema Nacional de las Orquestas Juveniles e Infantiles de Venezuela(ベネズエラの若ものたちと子供たちのオーケストラの国家システム)のトップオーケストラということである。スペイン語で短く、「システマ」と呼ばれているこの組織は、ベネズエラ全国に散らばった「核(nucleo)」と呼ばれる地域のオーケストラから優秀な才能を持った演奏家が集められ、学費や生活費の援助をもらって英才教育を受けることができる。幼いドゥダメルもここでコーラスを始めている。キューバの音楽やスポーツ選手の育成に似ていて、一見すると現在のチャベス大統領の社会主義的な政権で作られたものかと思われがちだけれど、創立は1975年と30年以上の歴史がある。州の補助を受けて運営され、政府とはずっと一定の距離を保っていたらしいが、チャベスの時代になって、うまく彼の進める「革命」とマッチし、今では国の潤沢な資金も得ている。集められた子供たちは、家庭に問題があったり、ドラッグに手を出していたりしている場合が多く、この「システマ」は、たんに音楽を教えるだけでなく、音楽を通じて、社会的な繋がりを回復することを目的としており、音楽教育そのものが生きていくための職業訓練になっている側面もある。ブラジル人にとってサッカーが占める役割をやっているという見方もされているようで、「核」と呼ばれる各地のオーケストラは200以上もあり、そこからどんどんキャリアアップしていく様は、まさにナショナル・チームへ至るブラジルのサッカーのようだ。多くはプロになったり、音楽教育の道へ進んだりするのだが、その中には、最年少でベルリン・フィルのコントラバス奏者に合格したエディクソン・ルイスなどもいる。
 さて、そのベネズエラの俊英たちの奏でるベートーヴェン。そして今年になって発売されたマーラーの交響曲5番だが、一見して若者らしいテンポと生きのいい演奏と言っていいだろう。ただそうやって気持ちよく高校野球でも見るような気分で聴いて終わりかと言うとそうではない。彼らの速度は最終楽章に近づくにつれ、どんどんスピードを速め、これ以上行くとカオスになってしまうというぎりぎりのところまで行く。それはほとんど心地よい音楽体験とは逆の、目眩と吐き気すらを起こさせるようなもので、それだけ彼らの抱えているエネルギーの内包量の高さを思わせているだろう。このエネルギーは、明らかに現在のベネズエラの「革命」の持っているものと共振している。しかし、このオーケストラが、フランス革命の影響を受けて南アメリカの解放者となったシモン・ボリバルの名を冠されていて、21世紀のボリバリアーナ革命真っ盛りのベネズエラで、そしてやはりかつて革命の中を生きたベートーヴェンの交響曲を演奏しているというのはどういうことだろう?この状況をどう理解したらいいのだろう?ここ何年もクラシックの世界は、古楽的なアプローチが主流で、オーケストラもどんどん規模が小さくなってきていた。ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユースというのは、その中で久しぶりにオーケストラらしいオーケストラだと言え、だから、口の悪い人などは、行き詰まったクラシック界の新しいマーケティングの成果だと言ったりもするのだけれど、そういった人は、歴史の大きな流れの中、現在のベネズエラで何が起こっているかを、21世紀の革命の中で、誰と、どんなエネルギーが解放されているかをあまりよくわかっていないのだと思う。あるいは、たんにニュースを見聞きして知っていただけの私にしても、そのエネルギーの実体を、はじめて目の前にしたのだ。