ペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』をシネ・ヌーヴォまで見に行く。新作『コロッサル・ユース』のプロモーションのために監督が来日するのにあわせての再映。明日の日曜はコスタも顔を出すらしいのだけれど、ちょっとこっちは時間的に無理。
『ヴァンダの部屋』は、DVDがレンタルされたときに借りて見ようとしたのだけれど、なにせストーリーらしいものもないまま、3時間ひたすらリスボン郊外のゲットーの日常が映されるだけだから、うちのブラウン管テレビの前にはソファもないし、だんだん前に横たわって枕なんか持ってきて見ているうちに途中で寝てしまってそれ以来。朝一番の上映に行ったのだけれど、やはり前回と同じぐらいのところで、眠気がやって来たのがおかしかった。
それは、ヴァンダの男友達が花を持ってやって来るシーンで、会話が延々とつづいている。
しかし、映画はそれまで、閉じられた部屋の中に閉じこめられたような圧迫感に息苦しさすら感じていたのが、そのシーン以降、少しずつ動きが出てきて、それは立ち退きを強いられたそのゲットーがさらに、取り壊されて行って、その足音が隣の家にまで来ているのだけれど、それにもかかわらず破壊されて空が見えるようになったときに感じる開放感を感じさせている。
映画を見ながら、二つの連想をした。一つはブニュエルの『忘れられた人々』。もう一つは中上健二の路地を描いた作品群。作品のドライさはブニュエルに近い。路地の崩壊というテーマは中上健二と重なる部分が多いけれど、中上健二がとても甘ちゃんに見えさえする。
感想の断片だけで、うまく言葉が見つからないけれど、撮影の仕方も、物語の作り方も、決定的に新しい。イタリアのネオ・リアリスモを刷新しているという表現が一番ぴったりかも知れない。何かを「見る」ためにはそれはいつでも刷新されなければならないものなんだと思う。
4月から休みの日が土曜から金曜に移動。今日は最後の休日らしい休日だった。梅田に帰ったのは2時前くらい。お腹がすきまくっていたので、久しぶりに新喜楽でかきあげおろし丼食べて帰る。
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