Saturday, April 28, 2007

Babel

HAT神戸にある109シネマズに『バベル』を見に行ってきた。
公開初日を待って行くなんていうのは、ぼくにはかなりめずらしいこと。でもアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの3年ぶりの新作で、菊池凛子がアカデミーにノミネートされたこともあって話題にもなってなので、ずっと楽しみにしていた。混むといやなので、最近はネットで席を予約するシステムもあって前日に席もキープしておく。
なんだけれど、そんなみんなが押しかける映画じゃないっていうのはよく考えればわかることで、初日一回目の上映は、2割くらいしか客席は埋まってなかった。団塊の世代の夫婦らしいカップルが多かった。
『バベル』は、イニャリトゥの映画にしては解りやすくなったと言えるんじゃないかと思う。それとも3つのストーリーが時間が前後して同時進行するというギジェルモ・アリエガの脚本にぼくらが慣れてきたんだろうか。物語がライフル一本でつながってしまうというのは彼らにしてはシンプルすぎたような気がする。それでも日常が、ちょっとずれただけでどんどん予想外の方向へ転がっていってしまう、この映画の展開は、ぼくらがどんなあやふやなものにのっかって生きているのかを思い出させるにはじゅうぶんに説得力のあるものだった。
イニャリトゥとアリエガの映画がストーリーを複数にして様々な観点である物事を描いていくことを考えていると、最近新しい翻訳で出たロレンス・ダレルの『アレキサンドリア四重奏』を思い出していた。あるストーリーを4人の人物の視点で描いていくこの小説の複雑さに比べればこの映画は、まるでお子様向けだけれど、既成の何かに挑戦してオルタナティブなものを提示しようという姿勢は共通している。ダレルは、視点を分割するのはアインシュタインの相対性理論に基づいたと言っているが、このイニャリトゥの映画は、グローバル化する世界を描くごく当たり前の形式になってしまったと見ることも可能。現実に追いつかれてしまったということか。
この映画の舞台の一つは東京で、そういえば日本の映画やアニメがハリウッドに徐々に浸透していっているのと、彼らのメキシコの映画が進出しているのとは同じ現象なのだと気づく。ラストシーンに流れる深くて、繊細な感情は、アメリカ人には表せないもののひとつなんだと思う。ぼくたちもいい加減サラウンドがぐるぐる回るだけの映画を見るのをやめてもう少し繊細なものをわかるようにならなきゃね。
それにしても、『アモーレス・ペロス』の頃は、ラテンアメリカに興味ある人たちの中での限られたブームだったのに、あっと言う間に世界的な監督になってしまった。ずっと音楽をやっているグスタボ・サンタオラージャにしても、ラテンアメリカ・ロックの優秀なプロデューサーという地位から、どんどん世界に名前を知られるようになってしまった。坂本龍一がアカデミー音楽賞を受賞して一気に世界的な音楽家になったのをふと思い出した。
アリシア役のアドリアーナ・バラサのいかにもメキシコのおばさんといった優しいスペイン語がとても気持ちいい。ぼくはもうちょっと限界かも知れないね。スペイン語が当たり前に話されているところに戻りたい。

Friday, April 27, 2007

不動の身体と息する機械

利用者の方の外出に同行して、ひさしぶりに三田に出かけた。前日までのすっきりしない天気が、この日は朝から日差しがきつく夏を思わせるほどだった。三田に到着するまでの田園風景を見ながら束の間の旅行気分。
外出の内容をよく知らないまま出かけたのだけれど、聞くと6月に兵庫頸損連絡会が主催して行われる人工呼吸器使用者の自立を考える市民公開講座の打ち合わせの会合だという。この講座には行くつもりにしていたし、関西では呼吸器使用者の自立はまだまだ始まったばかりで、この種の催しも珍しくとても興味も持っていたので、そこに同席できて幸運だった。主催者たちがこれを成功させたいと思う意気込みがとても伝わってきて、ぼくらも今、この夏韓国でやるイベントの準備をしているということもあって、何か物事を立ち上げる上での同じところや違うところを感じながら話しを聞いているのが楽しい。いくらか雰囲気にものせられて、ぼくもささやかながらお手伝い。この日の講演者のひとりとしてカナダから来る、バンクーバーで呼吸器ケアのコーディネーターをしているアイリーン・ハンレイさんが送ってきた当日の講演資料の翻訳をさせてもらうことに。

タイトルの「ALS 不動の身体と息する機械」は立岩さんが書いたALSの本の題名。政府が終末期医療の指針を出したので、尊厳死に反対する側の論客としてあちこちにコメントを求められている。この本にもたびたび登場する橋本操さんもどこかの局で取材されていた。彼女のコメント

Friday, April 20, 2007

プロザックを食べたらいいじゃない

ヴァージニア工科大の犯人が、精神が不安定で、カウンセリングの対象だったと報道されている。グーグルのニュースを色々見ていると、シカゴ・トリビューンのブログに、チョー容疑者が抗鬱剤を服用していたという記事が載っていた。記事では、不幸な偶然としながらも、コロンバイン事件や、他の銃殺事件の犯人も抗鬱剤を飲んでいたことが書かれている。ちょうど、みすず書房から出ている『抗うつ薬の功罪』という本を読んでいるものだから、またしてもかと思う。この本でも、1989年に、ケンタッキーで、職場の同僚9人を射殺して自殺した男の事件が取り上げられている。
この本は、プロザックなどの90年代以降に出てきた新種の抗鬱剤が、自殺を誘発する危険がありながら、企業が適切な対応を取らなかったことを告発したもので、原書のタイトルはもっと刺激的な、『プロザックを食べたらいいじゃない』(マリー・アントワネットが、食べるもののない民衆に「ケーキを食べたらいいじゃない」と言ったことをもじったらしい)。企業の研究者や関係者が、献金などで癒着して危険を知りながらなかなかそれを表だって言わないのはタミフルと同じ構造。プロザックを開発したリリー社は、抗鬱剤を飲むような人はもともと自殺をするような傾向を持った人だったと抗弁しつづけていた。著者はそうであるけれども、こういった薬には、それにも増して、危険を助長する傾向があることを明らかにしていく。ちなみに、プロザックは日本では認可されてません。そういえば、プエルトリコで音楽のプロデューサーをしている知人に、この人は本職が薬剤師さんでもあるのですが、「ちょっと最近精神的に落ち込んでて」ってメールに書いたら、「プロザックを飲みなよ」って返ってきたことを思い出します。90年代のことでした。なんだかそんな感じの時代だったんだなって思います。

それにしても、23歳という年齢を思っていると、昨年この年齢を目前にして、同じように自分以外のものに毒づいて死んでいった利用者の男の子のことを思い出していた。理想と現実のバランスが崩れる最初の関門なのか。シナリオを書いて、ある種のカタルシスを得ていたところも似ているね。

Wednesday, April 18, 2007

The Honeymoon Killers


ヴァージニアやら長崎やら色んなところで人がごろごろ殺されて、日記を付けていてそんなことも加えて書いていると、昨日が新月だったことに気づく。ぼくは信仰心が厚いから、大きなものの力を信じている。月のない日の人の不安はどんなだろう。みんな日常の細々したことですっかり忘れてしまっているけれど、おそらくそれは相当なものなんだと思う。月の魔力でおかしくなってしまった人を見ると、昔よく聞いた。エコー&バニーメンのこんな曲を思い出した。
懐メロ連想で、そういえばHoneymoon Killersなんていうバンドもあったな。と、Youtubeを検索してみるとあった。当時夢中だったベルギーのクラムドというレーベルからリリースされたLPは何回聞いたか分からないくらい。当時は、このLPと数少ない雑誌だけが情報源だった。何人かのクラムドのアーティストが来日はしたけれど、こんな映像がこんな簡単に見れてしまうのはやはり隔世の感といっていいだろう。この1983年のライブは、ポスト・パンクの匂いがぷんぷんのめちゃくちゃかっこいいライブ。
ベルギーという、ここにいればほとんどイメージすら湧かない国にしてこの国際的なアーティストたち。しかし、考えたらブリュッセルは、いまやECの本拠地でもある。

Monday, April 16, 2007

あばよ、IMF

ベネズエラが、2012年までの予定だった国際通貨基金世界銀行からの融資を前倒しで完済したと発表しました。これで、利子分800万ドルが、節約されたとのことです。<BBC Mundo>
財務大臣は、この二つの組織に「チャオ」といったあと、「ベネズエラは自由だ。すべてのベネズエラ人もこれから生まれてくる子供たちも、このアメリカのタカ派に牛耳られた組織から一銭の借りもない」と述べました。
さらに、ベネズエラとアルゼンチン、エクアドル、ボリビアが中心になって、南米の発展のために融資する「南米銀行」を創設する準備を進めてもいます。最新のニュースでは、この中にブラジルも入る予定です。
石油を国営にしたあがりで払っちゃったんだと思いますが、逆に考えると民営化を進めること自体が、借金漬けにすることだったということなんでしょうか。南米はどんどん北米依存から自立しています。一時代昔の、「裏庭」と呼ばれた事が嘘のようです。
タカ派と名指しされたのは、世銀総裁のこの人だろうけれど、恋人を厚遇したとして辞任を迫られている。
人生に盛衰があるのは誰でも同じ。

Friday, April 13, 2007

ご友人

芦屋に住むALSの利用者の方の息子さんが、東京の学校に入学することになったので、利用者の方、息子さんとともに入学式に出席してきた。池袋のホテルに一泊し、翌朝西武池袋線の学校まで。学校は、閑静な住宅地の中の、そのまたひっそりした森のような緑に囲まれてあった。着くと、担当の先生が慇懃すぎるくらい丁寧に対応してくれる。かわいらしい高校生が4人アテンドしてくれ、段差で通りにくいところなど手伝ってくれた。こうした諸々を、利用者の方はコミュニケーションが取りにくく、また反対に周りも障害のある人に慣れていないので、自ずとぼくが代わって返事をしたり、その都度対応したりする。この日はまた、途中で交代するはずだったお母さんが、飛行機のトラブルで来られなくなったなどということも重なって、あちこち電話したりしなくてはならず慌ただしかった。
こうしたとき、いったいぼくは誰なんだろう?といつも思う。介助者とは誰なんだろう?って。
前に、呼吸器くんが、児童文学賞を受賞してその授賞式に同行したときもそうだったけれど。ああしたオフィシャルな場面では、「誰か」はっきりさせることを求められる。介助者というのは、利用者との関わり方にもよるけれど、かなり曖昧だと思う。家族でもないし、でもある意味家族以上に生活に密接に関わっていたりもする。でも誰?と訊かれたら、「ただの介助者です」と答えるしかないような存在。
前の授賞式もこの入学式も胸につけるリボンをもらったのだけれど、どちらも「御友人」と書いてあった。うーん、御友人とは便利な言葉だ。この曖昧さをぴったり表してくれるような。そんなことを考えていると、かつての介助者の組織ゴリラが友人グループと称していたことなどをふと思い出したりしていた。

Saturday, April 7, 2007

いただきます。


2月の末に車とぶつかったときに、自転車は大丈夫だったんですか?とよく訊かれたのだけれど、腹が立つくらいに大丈夫。後輪左のフォーク部分に傷がいったくらい。Trekのアルミフレームはビクともしなかった。それでも、もともと冬場はあまり手入れをしないのだけれど、なんだかんだで手入れをサボっていて、チェーンに使うオイルも切らしていたので、三宮まで出て東急ハンズでディグリーザーと購入。昼飯は花車で済ます。帰って部屋を掃除中、ふと日記を繰ってみると、去年の同じ月の同じ週の土曜日に、「自転車のメンテ」と書いたあった。日記をつけているとよくこんなことがある。天体の運行とか天候とか天気とか、そんな大きな力の中に、住んでいるのにぼくらは過ぎず、毎日を自分の意志で生きていると思っているけれど、果たしてそれはどの程度なんだろう。
春らしいものを食べたくて、夕食は有元葉子さんのレシピで焼きたけのこ。あさりの味噌汁と玄米。いただきます。

Wednesday, April 4, 2007

桜と、春の雨、海、船など


寒の戻りで、とんでもなく冷えた一日。西宮マリーナパークにある病院に入院している利用者の人のところへ。窓からは、ヨットハーバーが見えて、もっと向こうには大阪から泉南の方まで見渡せる。写真にとって帰ろうと思ったら、帰りはすっかり日が落ちてしまっていた。
桜は散らずに、しっかりと咲いたままで止まっている。時間が止まって凍ってしまったかのよう。