半年ぶりの東京。呼吸器くんが、ピアカウンセリングの講座を受けに行くのに同行して、もう一人最近入ったFTMの介助者とともに、4日間国立の多摩障害者スポーツセンターの宿泊棟に、まるで缶詰にされたかのように籠もっていた。実際この施設には、門限があって夜9時から朝の8時までは出入りできない。夜も早すぎるし、朝もお腹が減ってコンビニにパンでも買いに行こうと思っても、そこに見えているのに出られない歯がゆさ。まるで幽閉されているようだった。
呼吸器くんが講座を受けている間、新しく買ったipodで音楽を聴きながら、誰もいないプールの水がゆらゆらとする様を、懐かしいような気分で眺めている。交代してぶらりと国立の駅前まで散歩して、雨に降られて慌てて帰ってきたり、部屋では、無理矢理冗談を作り出してはケラケラ笑って過ごしたり、睡眠不足で疲れてしまって、なんとなく黙りこくったりして3泊の予定は終わった。
講座が昼までで終了した昨日、呼吸器くんと一緒に埼玉の与野まで、自立生活センターくれぱすを訪ねた。このセンターの代表と事務局長は、二人とも女性で、埼玉の国立の療養所を出て自立生活を始めている。両人ともなんとも言えない素敵な笑顔ができる人たちで、呼吸器くんが自分の病院での辛い経験を話す間の、人を包み込むような微笑みが忘れられない。
呼吸器くんが、自分の所属するセンターは脳性麻痺の人が中心で、筋ジスはあまりいないから、と言うと「でも、最近筋ジスも増えてますよね」と、彼女たちのどちらかが返したとき、ふとぼくがここのとろずっと考えている「障害者運動の新しい波」というフレーズを思い出した。脳性麻痺の団体だった青い芝から始まって、日本の自立生活センターは、脊頸椎損傷の人たちが主となって牽引されて来たと思う。そしておそらく今は第3の波とも言える、さらに重度の障害を持った人たち、筋ジストロフィーやALSなど筋疾患の人たちが自立へと向かう動きが始まりだしている。
ぼくが、こうした動きが面白いと思うのは、これまで比較的閉鎖的なコミュニティー内で活動してきた障害者運動も、さらに重度になった人たちに重心が移ると、地域でのもっともっと多くのリソースと関わって行かざるを得ない、介助者はもちろん、これまで敬遠されていた医師や看護師ともそうだろうし、あらゆるところで良好なコミュニケーションとネットワークを築かなくては生きていけない、そういう意味で、地域で生きるということが、もっと本当の意味での地域で生きるという意味を持つようになるだろうし、本当の意味でノーマルな生活が始めるだろうと思うから。
彼女たちは昨日まで、神戸でまた他の団体の人たちとピアカウンセリングのサポート講座をやっていたらしく、昨日また新しく出来た、ネットワークの繋ぎ目とともに、こうしてどんどん繋がって行って結び目が増えていくことこそが、ぼくの予感を実証してくれていると思うのだけれど。こうした動きは、これまでの個人のリーダーシップに任せた力による運動ではなく、静かに静かに進んで、気がつけばそこら中に柔らかい網が張り巡らされている。運動はこうしてイメージで実現するのではないか。
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