アルベルト・フゲーが、昨日のワシントンポストに自分が使う、英語とスペイン語の二つの言葉について書いている。彼はもともと、幼い頃両親とともにカリフォルニアで過ごしたから、英語も話せる、それをいかに捨てたか(I worked hard, did my best to erase the English from my head, heart and tongue.)、チリに帰ってスペイン語をいかに獲得して、スペイン語で書く作家になったかなどが書かれている。
ぼくがアルベルト・フゲーという作家を知ったのは、4年前チリに行った(帰った?)とき、サンティアゴの書店で"Se habla español"という、アメリカ国内で住んだり、あるいは留学体験があったりするスペイン語圏の作家たちを集めたコンピレーションを見つけたのが最初だった。フゲーは、その中に短編も収められてもいたが、編者のひとりだった。ぼくは、ずっとラテンアメリカにかかわってきたけれど、興味の中心は、サルサやレゲトンを生みだしたような、アメリカ国内でスペイン語を使って生活する人々、英語とスペイン語がぎりぎりにせめぎ合って、ちょっと奇妙な文化に変形していくところにあった。だから、この本は、そうした文化を文学の面で確認するのにちょうといいと思った。"Se habla español"は、店先などで「スペイン語通じます」と書くときに使う。そして、帰りの空港で時間つぶしにロビーをぶらついていると、書店で電話帳のような厚さの彼のエッセイ集("Primera Parte")をまた見つけ、そのときこっちではかなりよく知られた作家なんだとわかった。
サンティアゴに、アメリカ人が自国の文化を伝える施設があって、そこの中のスペイン語クラスで、スペイン語を勉強していたとき、やはりロサンジェルスで大学行っているという若い男の子が、同じクラスに来たことがあった。医者になりたく、アメリカよりこちらの方が資格を取りやすいということで、大学に入って勉強するのだという。それで、スペイン語も学び直し。このクラスは上級のクラスで、文法もそれなりに複雑になっていた。例題を当てられても、まったく答えられなかったのが不思議でおかしかった。彼の両親はチリ人で、会話は問題なく話せているのに。But before I became a writer, I had to become Chilean, and, to be a Chilean, I had to conquer the language, excel in it. Not just the written one, but the spoken one, too. 彼はすぐにクラスに姿を見せなくなったけれど、果たして彼は医者になれたのだろうか。
「揺れる」シリーズ5回目。(4)はこんな感じだった。
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