昼下がりの道を自宅まで歩いていると、風がまるでドライヤーの口から吹いてくるような熱さで顔にあたり、これはまるでシロッコのようだと、体験もしたこともない風の名前がふと口について出た。
今日は、ほんとうなら泊まり明けの月曜なのだけれど、日曜夜のいつもの泊まりが休みとなっているので、お盆休みらしい休みとなって嬉しい。朝から、姪っ子を連れて、父方の墓参り。霊園横の服部緑地で姪っ子を遊ばせて、帰りに伊丹の空港でお昼。飛行機が飛び立つのを眺めながらアイスを食べて帰ってきた。帰りの道路に標示される温度計はずっと35℃。エアコンをがんがん利かせても、室温はあまり下がらなかった。
そうして、実家から歩いて帰っていると、まるでシロッコ。甲子園球場の声援が、どこか次元の違う場所から来るように聞こえる。
おそらく、ぼくがシロッコという言葉を覚えたのは、ヴィスコンティの『ベニスに死す』を観てからなんじゃないかと思う。地中海から吹くシロッコにのって疫病が蔓延しているベネチアで、少年に恋するエッシェンバッハは構わず避難もせず滞在をつづける。流れるマーラーの5番の4楽章。そういえばマーラーを知ったのもヴィスコンティ経由だった。ヴィスコンティは映画を通じて色んなことを教えてくれた。アブノーマルな性愛とか、一見貞淑な女性の恐ろしさとか。
最近手にしたゲオルグ・ショルティの最後の録音であるマーラーの5番はとても素晴らしいと思った。長く在籍したシカゴのオーケストラを退任し、スイスのトーンハレ管弦楽団とやっている。初録音もこの楽団だったらしい。この曲は、誰がやっても曲の持つヒステリックさのようなものに翻弄される部分が出てくるのだけれど、この録音は全編まったく落ちついている。曲の細部をまるで自分の庭を歩くように周遊する。この交響曲はマーラーのキャリアの真ん中くらいに位置しているのだけれど、すべてのキャリアを終えて、最後からまたこの曲を眺め直しているようだと言ったらいいだろうか。まるで昨日生まれた曲のように演奏したドゥダメルの演奏を最近聞いたばかしだったので、この二つのコントラストがまた興味深かった。
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