Monday, September 22, 2008

コミックオペラ

久しぶりに詩を作った。何年ぶりっていうくらい。ひょっとして10年とか。コスタリカからパナマへ行ったときの、もわっとした感覚を置いておこうと思って、帰ってからずっと書きたかったんだけれど、やっとできた。久しぶりなので、新しいものが入るかと、自分ではもう少し期待していたけれど、実際は昔仕込んだ芸からあんまり出てないなぁって感じ。がんばってまた違ったスタイルを発明しよう。


     コミックオペラ

ルイースが身体を折りたたんで抱えられ、
そのバンの座席に腰をおろした。
さようなら!また会いましょう!
バンは去って、私たちが見たこともない、彼の、小さな
町へ帰るだろう。街角の雑貨屋の鉄格子の陰から
誰かが私たちを眺めている。San Vito,聖人の町。
Saint Vitus de Lucania:
その守護聖人のために皆狂ったように
踊り明かすのだという。脳性麻痺の、
不随意運動みたい、私の舞踏病
の姉さんみたい、

そしてラリーが運転する車で私たちは、パナマへの
小道(sendero)を行く。砂利道をしばし。それから、
停まった。

ラリーが、ノリエガ顔の国境警備兵と話す声が
漏れてきて、「ここはチリキ県で...」と聞こえる。

長く外国で歌ってきたルベンが、
ようやくパナマへ帰ってきて、これからは
この土地のために歌うだろうと、宣言した曲で、
彼が、「チリキ!」と呼びかけた声が、
ふっと二重になってよぎっていった。
(Chiriqui!)           ああ、私のチリキ、




(そうして私たちは無事にパナマに潜入したのだ。)
私たちの行程はまるで、
旅芸人の記録だ。
町から町へ移って、興行を
打つ。国境を越えるたびに
何度「あなたたちは家族(familia)ですか?」と
訊かれたことか。"¿Quién es papa?"、いったい誰が
お父さんなんですか?
いいえ、私たちは家族なんかじゃ。
私たちは一座 (una compañía)、
町から町へ移って、芸を披露
する。シロッコの吹くあの町で、小銭を集めて回って
いたのも私たち。そう、たしかに私たち。

私たちの小さな音楽つきの芝居。
コミックオペラ。いつものように男と女。
(追っ手はまだ来ない)。
しっかりこっちを見て。嘘はつかないでね。
(なんとたくさんの履行されなかった約束の数々)。
いったいどうしたらいいのかしら。
もう一度あなたを愛したら?
あなたがそうしているように?
愛する?
(行くべきか、戻るべきか...。)
そう、愛してみる。


1950年代に入植したイタリア人たち。
(私たちはふたたびサン・ビートにいる)
そのとき持ち込まれた
ピザ・ハウスのレシピ。
私たちのピザの夕食。
コーヒーを飲みながらお喋りをしていると、
コンザレスさんの家族が、
誕生日用のケーキをたくさん、
車に積んで帰った。
お母さんの後を、子供たちがついてゆく。
ラリーの別れたパナマ人の女房。
カルロスはニカラグア人の女に逃げられた。
ピピッと、ラリーが車を開ける音がした。
さようなら、
またあした。

(so many promises broken....)
人生はすべて、コミックオペラのようだ。






(大好きなKに)

Saturday, September 13, 2008

『パルチザン前史』

ふう。昨日作った焼きそばに、すじこん入れてそばめしにして食ってやった。卵を割って半熟にして。超うまい。しかし食い過ぎだな。

昨日の休日は、JR新長田の駅前にできた神戸映画資料館に小川伸介と土本典昭のドキュメンタリーを観に行った。小川伸介は『牧野物語・峠』。土本は『パルチザン前史』。全共闘運動の末期、京大・同志社・大阪市大での闘争を追っている。機動隊に突入されだんだんエネルギーが消耗する課程を、京大パルチを率いる滝口修を中心にカメラに記録している。(「全共闘を解体せよ!全共闘の既成性、自然発生性を解体せよ!全共闘をソヴィエトへ、労学ソヴィエトへ、革命的に解体せよ!」(滝田修、『パルチザン前史-京大全共闘〈秋〉のレポート』69年12月))。
全共闘運動というのは、余程興味を持って色々知ろうとしないと今では過去のものになっているし、当事者も含め、過去のものにしたい人もたくさんいるだろう。映像もそうで、東大の安田講堂が機動隊に突入されるシーンは何度もテレビの番組で引用されるけれど、それ以外は皆無に近い。ぼくも今回初めて、活動家の間近で、卑近な行動を見たと思う。
ぼくらが大学に入った頃は、学生運動=ダサイって感じで、学生運動やっている人は風呂にも入らず、身なりも気にしないなんて思われていたけれど、今回まず最初に感じたのは、みんな意外にちゃんとしていて、しかもオシャレじゃん、って思った。
たとえば、ゴダールの描く活動家は、彼が引用するからおしゃれに見えるんだって思っていたけれど、じつはゴダールはけっこう、当時の若者のファッションをかっこいいなって思って撮ってたんだと思う。
デモに、女の子も混じっているし、街で買い物してそのまま来ましたって感じの女の子が、活動家が会合をしているのを遠巻きに眺めていたり。その感じは、先年ベルトルッチが『ドリーマーズ』で描いたものとほとんど違いがないと思った。世界中の若者たちが(たとえばビートルズを聴きながら)同時に同じことをしていたんだというのが、いくつかの映像を並べてみてみると実感することができる。

ぼくの母校や、大阪市大にも機動隊が突入してバリケードの封鎖が解かれる。思えばここで書いた表さんは市立大学の全共闘の議長だったから、まさにあのバリケードの内側にいたわけだ。この映画の中心人物の滝口修も映画の中で予備校の講師をしているし、よく知られているように東大の山本義隆もそう。ぼくが駿台で表さんの授業を受けていたのは81~82年頃だからこの敗北から10年ほどの時期。10年くらいで色々な思いがこなれているとは思えず、当時の表さんの心うちというのはどんなものだったんだろうと改めて想像する。

そして、この2年後には『さようならCP』が来る。学生運動崩れの活動家が、障害者運動の支援者になったとも聞く。ここで始まった障害者の運動はまだつづいているし、結局運動は必要なところでは否が応でもつづけなくてはならないということだ。ラテンアメリカで解放の神学や社会主義がずっと必要とされつづけているようにね。

Wednesday, September 10, 2008

チャリで行こう!メキシコ

昨年、メキシコから帰ったときに書いて『Latina』に送ったボツ記事。なんかムカツクからパソコンの奥に放っておいたんですが、もったいないから載っけます。環境とかエコとか最近の話題も盛り込んだ面白い記事だったのになぁ。以下記事です。

 久しぶりにメキシコシティへ行ってきた。じつに14年ぶり。ちょうど前回帰国する頃通貨ペソがデノミする直前で、盛んにそのお知らせがされていたから、現在の紙幣や貨幣は私には初めてで、物を買う度にあらためてこれはいったいいくらなんだろう?と考え直さなければならない始末だった。セントロには、セブンイレブンスタバマクドが当たり前にできており、夜中や日曜日にはすべて店が閉まってしまったかつてとは隔世の感。こうした外資系のチェーン店の他にも、メキシコブランドのファミリーレストランも、通りに一つといった感じで増えていて、昔よく学校の帰りにお昼ご飯を食べたごくごく庶民的な定食屋も、小ぎれいなレストランに変わってしまっていて、少し寂しく思った。
 今回は、"死者の日"に合わせて行った。ちょうど日本のお盆にあたるようなこの日には、骸骨の人形やお菓子を飾って死者を弔う。ソカロには舞台が出てマリアッチの楽団の演奏し、何万という人の波が夜遅くまで押しかけていた。前月の末に見舞われた洪水の被害で、南部にあるタバスコ州にあるビジャエルモサでは、何十万という人々が避難しているというニュースが新聞やテレビで連日報道されているのが、同じ国のこととは思えないような光景だった。
 そうしたお祭りの日々が一段落した日曜日、本紙でもお馴染み、チャリ好きでも知られるメキシコシティ在住のライター長屋美保さんに誘われてサイクリングに行った。事前に長屋さんから話しを聞いていてはいたものの、メキシコシティと自転車というのが、あまり結びつかず、サイクリングというのにさらにピンと来ないまま、早朝の約束の時間にアラメダ公園へと向かった。だんだんと寒さを増していくメキシコシティの朝の空気はとてもきれいで、ベジャスアルテスや、周辺の建物もみな輝いて見える。しかし、空気がきれいなのは当然で、なんとメキシコシティを東西に走る大通りレフォルマが通行止めになって、自転車と、歩行者の専用道路になっている。すでに自転車に乗って気持ちよさそうにその道路を走る人たちがいる。アラメダ公園には、テントが一つ立てられていて、数人の人がそこらへんに座りながら、何を待つともなく、待っていた。「ここで自転車借りれるの?」と高校生くらいの女の子に訊くと、そうだというので、私たちも待つことにする。9時から、自転車が借りられることになっていて、私たちはそれよりずいぶん前から待っているのだけれど、その9時は当たり前のように過ぎ去っている。なんとなく待つ人が増えてきたなって思ったら、あっという間に列になったので、私たちも慌てて列に加わった。
 身分証明の代わりにパスポートを預けて借りた自転車は、マウンテンバイクもどきのメキシコ製自転車で、変速ギアは付いてはいるものの、かなり重いところで固まって動かない。ブレーキも甘いし、空気ももう少し入れたいところだけれど、まぁ仕方ないということで、出発。車の通行が規制されているのは、レフォルマだけではなく、大聖堂や大統領府が並ぶ、ソカロを中心とした歴史地区全体が歩行者と自転車に開放されており、私たちは普段車と人混みと格闘しながら歩いている道を、大統領府の裏側、メルセあたりまで行ってUターンする。アラメダ公園まで帰ってきて、今度はベジャスアルテスの裏手、北側のイダルゴを通ってレフォルマに入った。
 それからは、メキシコ一番の大通りを独り占めにしているような爽快な気分で、地下鉄クアウテモク駅あたりまで。折り返して再びアラメダ公園まで戻ってきた。約1時間半ほどの行程だったが、排気ガスが有名だったこの町が年月とともに変わりつつあることを実感し、これまでとは文字どおり、違った角度でメキシコシティを眺めた時間だった。
 後日、なにげに町をぶらついていると、ソカロの片隅に、「チャリで行こう」と書いたブースがあり、自転車のレンタルとプロモーションをしていたり、NHという高級ホテルの前には、私たちが借りたおんぼろな自転車ではなく、まだ真新しい自転車が並べられているのを見かけたりと、どうも町を挙げて、自転車を推奨する運動中であるらしいことがわかった。
 帰国後さらに調べてみると、この運動は、メキシコ市の環境局が中心に進めており、日曜日にレフォルマへの自動車進入を規制して歩行者天国にするのは、この一連のプログラムの主軸であるらしい。もともと、昨年12月に就任したマルセロ・エブラルド市長の前職で、現在のフェリペ・カルデロン大統領との大統領選に僅差で敗れ、現在でもその正統性をめぐってしばしば市民の抗議行動も見られるロペス・オブラドール氏が市長だった時代に立案された政策で、環境や資源、市民の健康など私たちが抱えているのと同じ問題を持つメキシコ市がその解決策として始めたことだ。前職と同じ左派のPRDに属するエブラルド市長になっても、この政策は継続され、今年3月にこの政策の継続とその目的を新に説明したプログラムを発表している。それにしたがって、メキシコ市は、自転車専用道路を整備し、自転車をレンタルしたり、メンテナンスや水分の補給を目的としたブースを設置しており、バスや地下鉄への持ち込みも実験中で、それらを乗り継いでの通勤も推奨されている。政府の関係者には毎月第1月曜日には自転車の通勤を義務づけて、市長自ら自転車通勤している。この4月から始まったこの規則のことを当時の新聞で調べていると、休暇で逃れようとした議員が後で叩かれたりしていて、最近はどこの国の議員も監視が厳しくたいへんだ。私が、たまたまホテルの前で見つけた自転車も、メキシコ市から市内のホテルに贈られた250台の自転車の何台だったようだ。ホテルには、自転車で市内を廻るスポットを載せたマップもあるようなので、観光で行く予定の方はぜひ試してみてみると興味深いと思う。




今年の<自転車天国>のスケジュールはここに載ってます。去年記事を書くときに見つけた素敵なブログ、"Ciudad en Bicicleta"は、世界中での町で自転車がどう受け入れられつつあるかの情報をスペイン語で提供してくれています。著者はメキシコのグァダラハラの人なので、やはりメキシコの情報が詳しいです。

Monday, September 8, 2008

悪魔たち

泊まり明け。何度となく起こされヘビーな夜だった。お昼ご飯を食べて、横になって起きたらもう夕方だった。なんとなくそこにあったからという理由で、ほんとうに久しぶりにバジェナートをかけながら、週末ばたばたしていてたまっていた洗濯物を洗って干す。Los Diablitos、悪魔たち。夕焼けに、流れてくる風がとても心地よく、バジェナートがぴったり合う。ひょっとして今初めてバジェナートのことを理解したのではないか?などと思う。
晩ご飯は龍園。日が落ちても心地よい風はつづき、ビールをやりながら幸せ感に浸っている。客はぼくだけ。親父さんと息子さんの会話を横目に聞きながら、一日親子で過ごすというのはどんな気分なんだろう?などと想像している。あるいは職人さんの人生であるとか。ずっと鳴りつづけているAMラジオで話している女性が、かつみ・さゆりのさゆりであると、かなりしてから気がついた。和田アキ子や、キャンディーズの古い曲が流れている。ここはいったいどこなんだろう?酔ってふんわりした頭で考える。台湾を感じるとは、台湾へ行くことではなく、その「台湾料理・龍園」と書かれたのれんの向こうを想像することなんだろう、そう思ったら、自転車が一台通り過ぎて行った。
ビールを2本と、手羽の唐揚げ、茄子と豚肉の炒め物、焼きめしが本日のメニュー。甘いものがほしくなって、帰りにビバでアイスクリームを買った。レジの女の子がおつりを渡そうとして、その手がとっても大きい。こんな大きな手をした女の子に出会ったことがあると思い出してみる。ほんとはすぐにわかってはいるんだけれど。

Saturday, September 6, 2008

Hanna


<大きな地図で見る>
グスタフがアメリカ南部に接近したときには、あんなに日本でも騒がれていたのに、その数日後のハリケーンでハイチの人が500人ばかし死んでもそれほどでもない。このアンバランスにちょっと目眩すら感じる。というかぼくがテレビ見てないだけ?
ハリケーンは「ハンナ」という名で、日本時間今日午後にはまたフロリダあたりに上陸するらしい。シーズンとはいえ、さらに「アイク」「ジョセフィーヌ」と予備軍がつづいている。しかし最近災害があると簡単に1000人近い人が死んでしまうのはほんとに怖い。

Wednesday, September 3, 2008

Google Chrome

昨日からから今日にかけてネット上はこの話題で持ちきりだけど、ぼくも早速ダウンロードして試してみた。ぼくはもともとGoogleびいきで、みんななんでYahoo!みたいな馬鹿な検索エンジン使ってるんだろうって?って思っていて、メールからカレンダー、ブログを読むのもGoogleを使ってる。それがブラウザ自体を出すって言うんだからそれは楽しみじゃないわけはない。だからじゃないんけれど、今朝なんとなく早朝に目が覚めてしまって、どうせだから4時くらいと言われていたダウンロード開始を待った。
アクセスしてみるとまだダウンロードは始まっていなかったので、Twitterで世界の人がつぶやくのをなんとなく眺めていたら、「クロームをダウンロードした」とか「クロームから投稿した」っていうのが、混じりだしたので、ぼくも行ってみたらちゃんと始まっていて無事ダウンロード。

で、使い心地ですが、これはとってもいいです。シンプルで、サービスが過剰すぎな最近のブラウザに比べて、 ブラウザ自体が主張することなく、中身に集中できる。よく言われる速度はそれほど速く感じなかったけれど、Gmailとかドキュメントとか、Googleのサービスを使うのはもうこちらがスタンダードになるのは間違いないです。面白いのはアプリケーション・ショートカットという機能がついていて、それをGmailで作るとそのショートカットはメールクライアントのようになるし、Documentで作ると、そのショートカットをクリックして立ち上げると、ブラウザを開くのではなく、まるでワードを立ち上げるような感覚で開くことができる。

ぼくはWindowsでは、Operaを長年使って来たんですが、Googleのサービスとの相性はいいとは言えず、だからといってFirefoxも完全に乗り換えるのには今ひとつって思ってたので、これで理想的なブラウザに出会った感じ。

Monday, September 1, 2008

中井久夫『臨床瑣談』

あと何冊中井久夫先生の著書を読めるのだろう。すでに70台も半ばになり、大病もしている。それでも出版のペースが落ちないのは、彼自身がそれを感じてできるだけ今のうちに書き残しておきたいと考えているからのようにも見える。ぼくが最も敬愛するエッセイストだ。
先月出版されたこの『臨床瑣談』は、いつもとちがって専門の精神医学から離れて、医師として、そして患者として関わった現実の臨床での、本当にすぐに役に立ちそうな実践のいくつかが書かれている。

それほど長くない6編を収めたエッセイではあるけれど、ぼくたちがふだん忘れてしまいそうなことに細かく注意を促してくれている。精神科に来る患者に、どれだけの身体的な不調が隠されているか。専門化しすぎていたり、データに埋もれてしまっているなかから、いかに本質的なものを見つけ出していくか。細菌学者から精神科医になった経歴から、様々な経験を幅広く生かしていく方法などなど。

中井先生自身は、自分の立場を「リアリズム」であるとこの本のどこかに書いてあったが、リアリズムとは、この世界への信頼であり、「愛」なのだと思う。それを取り戻さなくてはならない、と絞り出すように語ったドゥルーズのシネマの一節を思い出す。