Sunday, October 25, 2009

介助者たちは、(2)

前トピックでお知らせしたかりん燈イベント昨夜無事終了しました。50人くらいの来場。身内の人が介助者・友人含めて10人近く来てくれていて、とても面白かったと言ってくれたのが何より嬉しかった。
東京の第1回イベントは150人くらい集まったというから、それに比べると少ない気はするけれど、お互いの顔が見えるくらいのちょうどいい規模じゃなかったんじゃないかと思う。前半の山下さんのグループ・ゴリラの話には、生き残り?である障大連細井さんのフォローが入って、話に立体感が出てさらに膨らんでよかった。今の介助者という横の繋がりだけじゃなくて、こうした縦の繋がりっていうのも面白いなぁって思う。

自分の持ち時間は15分、時間はあっという間に過ぎるので慌てて、いつものことだけれど、言おうとしていたことをいくつか言い忘れてた。ここでちょっと補足しておこうと思う。ぼくは、介助者の話となると、仕事がきついとか給料が安いとか悲惨な話になることが多いのであえて逆の話をしようと思った。

話と言っても、自分の介助者としての略歴を話しただけ。介助者になったきっかけ、TRYのイベントに参加して少し自立生活センターというものに少し近づいたこと。それから支援費制度導入にあたって政治の季節がやってきて、障害者運動自体の面白さに目覚めていったこと。さらに職員となって働き出して海外支援に関わりだして、より仕事をするモチベーションが保てるようになっていったこと。ざっとこうしたことを通して、自分の「介助者としてのアイデンティティ」が、登録介助者が抱える不安定さや不安感からだんだん安定していったことを話そうと思っていたのだけど、肝心なところが抜けちゃったような気がする。

繰り返して強調しておきたいのは、「〜のため」という動機では、この仕事だけじゃなく、多くの仕事っていうのはつづかないんじゃないかと思う。とくにこの分野は「恵まれない障害者の人のため」という風な動機で始まりそうなことが多いだろうから、その重点をなんとか自分の中に捉え直していった方がいいんじゃないかということ。ぼくはたぶん幸運なんだと思うけれど、大学時代からずっと読んでいる、ドゥルーズやフーコーの思想や、それ以降のラテンアメリカでの経験がすべて、今の仕事に重ね合わせることができている。こんなことは幸運すぎる例だと思うけれど、運動に介助で関わる人たちがそれぞれ自分のバックボーンを持って、それを運動に反映できればこの運動自体ももっともっと「イケている」ものになるんじゃないかな。(「立岩さんは障害者運動、とりわけ自立生活運動を「社会科学をする人間として、この四十年間の日本社会でいちばんイケてる運動だと思う」と言いきった」こちゅかる子氏Mixi日記より)。

ただ、参加してくれた人たちの多くの意見には、やはり依然としてずっと続いている介助者の経済的な問題や健康のことなどほぼまったく解決できないまま置き去りになっていることが分かった。こうしたことも昔はもっとシンパシーを持って聞けたのに、自分はこうした介助者からかなり遠くに来ちゃってるなぁとも感じた。どうしたらいいんだろう?すぐにはうまく考えられない。もっと実態を知らないと。個人的には、これを介助者の横断的な問題と捉えなくても、それぞれの自立生活センターだったり事業所だったりで解消できるレベルのこともあるんじゃないかと思った。うまく運営できていない事業所をできているところがサポートするだけで、そこに属する介助者の生活は多少ましになるんじゃないかな?って。

ひとまずニーズはあることはわかったので、こうした集まりはまたやった方がいい。今度はもっと介助者のひとたちが直接話をできるような機会を。そこでうまくやれている事業所の話を聞けばそれを自分のところに持って帰ることもあるだろうし。


それでは、そろそろ荷物纏めてコスタリカへ行ってきます。
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