Wednesday, February 28, 2007

temblar


まるで、人生が地震のように揺さぶられているようだ。ここ数年充実はしているが、なんだか決まったフォーマットで淡々と日常が進んでいたのが、いつ頃からだろう"y's"ができたときくらいからだろうか、思わぬ方に物事が転び、自分も思わぬ反応を示すことばかし。何かが死んで、何かが生まれる。昨夜は、911のビデオづくりを途中抜けして行ったトライ会議から帰宅するとき、もうすぐ家というところで、路肩に停めた車が急にドアを開き、いつものように自転車で飛ばしていたぼくは、ちょうど肩の部分をきっかけられるような形で吹っ飛び、地面に叩きつけられた。痛みがひどくて夜はほとんど眠れなかった。一夜明けても、ショックで気がつかなかった痛みが体中いたるところにあることがわかり、ただただゆっくりして痛みをやり過ごして一日を過ごした。とりあえず今週いっぱいはお休みをもらった。思わぬ形で転がり込んだバケーション。
することもなく、このあいだ買って放っておいた『風の谷のナウシカ』コミック版をまたとりだして読む。ナウシカがオームと交流するとき、ほとんど涙がこぼれそうになる。ぼくが期待しているのは、なんらかの触れあいではなく、心を開いた触れあいなのだという、あたりまえのことに気づく。昔、毬藻さんの家で、酒を飲みごろ寝で迎えた朝、もうすでに何度も見たナウシカのビデオをまた見ている伊丹くん。何が終わって何が始まったのか?ぼくは何を得て、何を失ったのか。

Monday, February 26, 2007

April come she will

彼女がぼくから影響を受けたと言ったので、ぼくも彼女の影響を受けようと思った。そして部屋に花を飾ってみた。今朝は、とても光の量が多く、もうすぐ春だと感じさせる気候。通りを歩いているとふとびっくりするような植物の香りが飛び込んでくる。窓から差し込む光が、花をとても鮮やかにみせてくれる。店の女の子は、やっぱり男の方が選ぶ花は少し違いますね、と言った。「蘭の花は女の方はなんだか怖いといってあまり選ばれません」。なんでだろう?こんなにセクシーなのに。花があるとなんだか女の子が部屋にいるような気持ちになる。いなくなるとやはり寂しいんだろうな。
活けた花は三種類。オーストラリア原産の野草っぽいコリゼマ。今の季節にぴったりの水仙。ピンクチャームという種類だ。そしてひときわ存在感のある(そして高かった)。欄。パフィオペディラム。こうした名前ひとつひとつを口にしているだけで新鮮で幸せな気分になってくる。

Sunday, February 25, 2007

La Caduta degli dei

『男たちの帝国』でも、かるく触れられていたのでひさしぶりに、ほんとうに何年ぶりかもわからないくらいに、ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども』を見なおしてみた。1969年の制作だった。ぼくはたぶん日曜映画劇場かなにかでみただけで、ノーカットできっちりみるのはじつはこれが最初なのかも知れない。
一見退屈なのは最初に見たときと同じような感想なのだけれど、しかしこの退屈さはこの作品ではなくこの時代の作品に共通するある種の「退屈さ」があるのだろう、というのが、新しい発見。それが何なのかはまだちゃんと言えないけれど。
『男たちの帝国』で言及があった、レームの突撃隊からヒムラーの親衛隊への動きには、レームの同性愛からヒムラーの同性愛恐怖へという流れがあったという指摘は映画でもそのままの形で描かれていたと思う。酔っぱらって裸で寝床で倒れ込んでいる大量の男たちが、一挙に抹殺されてしまう。なかなかないシーンだと思う。ここに出演しているダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングは、そのままリリアーナ・カバーニの『愛の嵐』へと移植され、それがJAPANの"Night Porter"をインスパイトするという流れ。20世紀の話だ。高校くらいまで大好きだったヴィスコンティが、それ以降ブームになって誰もが見るようになったのと、カメラがやたら動いてアップになったり、アップから引いてくるような使い方が多かったりするのが、なんだか品がないように感じていつしかあまり見なくなってしまった。おそらくこうしたカメラの使い方は、ヴィスコンティをネオリアリスムの監督として考えないと理解できないのだろうということは見当がつくようになった。
("La Caduta degli dei"で検索して結構来てくれる人がいるので、サービスのためにイメージを追加しました。07/07/07)

Saturday, February 24, 2007

t.n.#2 taipei blues


Taipei Blues をYouTubeでアップロードしてみました。

横尾忠則


マッキーが風呂からあがったあと、いっしょにNHKでやっていた横尾忠則の番組を見ていた。横尾忠則はぼくの人生にいつでもふいに現れて強烈な印象を残して、また知らない間に去っていく。たぶん学生の頃、当時のジュリアン・シュナーベルのようなニューペインティング風の作品を集めた個展をどこかの美術館へ見に行って、バブル直前の破裂しそうな空気を、もうひとつの毒で浄化してもらうような気持ちで見ていたのを思い出す。
いくつか新しく知った事実。横尾忠則が画家へ転向したのが、彼が今のぼくくらいの年齢だったことなど。強烈な若々しさと個性。こういう生き方をしたいと強く思った。もう生ききるしかない。

Friday, February 23, 2007

カトマンズ、台北、そして


火曜は、夏に韓国でやるイベントの会議、水曜は月一で恒例になった利用者宅食事会、そして昨夜は、ネパールから来た研修生の歓迎会。毎夜日付をこえる集まりがつづいてさすがに少し疲れた。
今日は、夜まで時間があるのでほっと一息。体力が落ちているのかと思ったらそうでもなく、うまく発散できなくて苛々していたところもある。今朝はひさしぶりに海岸沿いを少し走る。水曜日は、長屋さんと予想外の長電話になった。先週から毎日のように誰かと長電話している。恐ろしい額の請求が来るだろう。長屋さんと話した後で、やはり『y's』は、作り直そうと思う。身体障害=モダン、呼吸器系障害者=ポストモダン=ネットワーク、というコンセプト。「さようならCP」にさようなら。女性という項、を付け加える。もともとあった考えに結局戻るということ。
会うことが楽しくもあり苦痛でもあるひとに会うことの愉楽と、そのあとの、いつもの胸が掻きむしられるような気分。ニューオーダー。そしてロキシー・ミュージックばかりが部屋でも車の中でも流れっぱなしの毎日。『マリー・アントワネット』を見たら、ニューウェーブ系のロックのオンパレードだったのが火付け役だったのだけれど、やはりどうにかしてるのではあるだろう(ソフィア・コッポラはいつでも胸の琴線のどこかを微妙に刺激する)。

Wednesday, February 21, 2007

『男たちの帝国』


図書館でたまたま見つけて借りてきて読んだ本。ヴィルヘルム2世からナチスへと副題がついて、19世紀末から現代ドイツで「同性愛者」どういう風に位置づけられ、処遇されてきたかを歴史の立場から描いたものだ。この本が他と違うのは、著者が同性愛者とカムアウトして、内容を「われわれ」を主語として語っていることだ。したがってこの本は、たんに歴史を羅列した無味乾燥なものではなく、ある箇所では、筆が熱く激高して「われわれを抹殺しようとした」と語ってしまう、一種の当事者学の本でもあった。ここでいう同性愛者とは、男性同性愛者のことである。ナチスと優生学の本を読んでいたときも、障害者がいかにそのときに政治や風潮に翻弄されていたかがよくわかったが、おなじような感想を読み終わると感じた。
現代の項で、同性愛者同士の婚姻が認められ出したのは、エイズに怯えた社会が、これ以上「一般社会」に蔓延させないように、同性愛者同士をクローズしてしまおうという意図があったという件は、本当に歴史の皮肉と偶然を思わせる。障害者の自立が、福祉にかける予算のカットから始まったことを思い出させた。

Monday, February 19, 2007

メヒカリ


JRの線路脇になぜかサボテンが。まるで国境を仕切るフェンスのこちらと向こうのよう。

台北憂歌


泊まり明けなのに、ご飯もろくに食べずに夜中まで、先日台湾で撮ってきたテープを素材に、ビデオを一本作った。"taipei blues"と名づけた。というか、台北に行ってすぐに、この言葉は、頭の中を舞っていた。
ニューオーダーの"Leave me alone"をまるまる使って、音声をカットした映像を繋いでみた。ミュージックビデオ風のものが、ほぼ思ったようなイメージで完成。ついこの間、4時間を超えるものを作ったばかしなのに、5分に満たない時間を埋めるのになぜこんなに苦労するのか。ご飯を作るのが面倒になったので、百楽で生ビールを飲んで、焼きめしを鶏唐揚げにガーリックソースをかけたものを食ってきた。

Monday, February 12, 2007

一年


祐樹の一周忌。勝也の介助で氷上へ一緒に帰る。今年は暖冬だけれど、さすがに山の中は寒い。一連の窮屈な行事が終わり、お母さん、お祖母さんだけになった家の外へ出ると、霜が立っていて、それが朝日にとけだして、蒸気となって湧きあがっている。