『男たちの帝国』でも、かるく触れられていたのでひさしぶりに、ほんとうに何年ぶりかもわからないくらいに、ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども』を見なおしてみた。1969年の制作だった。ぼくはたぶん日曜映画劇場かなにかでみただけで、ノーカットできっちりみるのはじつはこれが最初なのかも知れない。
一見退屈なのは最初に見たときと同じような感想なのだけれど、しかしこの退屈さはこの作品ではなくこの時代の作品に共通するある種の「退屈さ」があるのだろう、というのが、新しい発見。それが何なのかはまだちゃんと言えないけれど。
『男たちの帝国』で言及があった、レームの突撃隊からヒムラーの親衛隊への動きには、レームの同性愛からヒムラーの同性愛恐怖へという流れがあったという指摘は映画でもそのままの形で描かれていたと思う。酔っぱらって裸で寝床で倒れ込んでいる大量の男たちが、一挙に抹殺されてしまう。なかなかないシーンだと思う。ここに出演しているダーク・ボガードとシャーロット・ランプリングは、そのままリリアーナ・カバーニの『愛の嵐』へと移植され、それがJAPANの"Night Porter"をインスパイトするという流れ。20世紀の話だ。高校くらいまで大好きだったヴィスコンティが、それ以降ブームになって誰もが見るようになったのと、カメラがやたら動いてアップになったり、アップから引いてくるような使い方が多かったりするのが、なんだか品がないように感じていつしかあまり見なくなってしまった。おそらくこうしたカメラの使い方は、ヴィスコンティをネオリアリスムの監督として考えないと理解できないのだろうということは見当がつくようになった。
("La Caduta degli dei"で検索して結構来てくれる人がいるので、サービスのためにイメージを追加しました。07/07/07)
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