ここ数年のサルサというのは、一枚一枚葉が落ちていく樹のように見えるけれど、また一人。コンフント・リブレのマニー・オケンド亡くなった。(*)一報はエンデル・ドゥェニョがFacebookに載せたメッセージだった。新聞で確認すると、心臓病の治療で入院していたニューヨークの病院でだそうだ。
写真は、左からチャーリー・パルミエリ、オケンド、モンゴ・サンタマリーア、ビセンティコ・バルデス、50年代のサンフランシスコでのもの。これで写真に写っている4人はすべて亡くなったことになる。
忘れないための覚え書き。
もう先週のことだけれど、ニューヨークのサルサ・プロモーターでRMMレーベルの経営者だったラルフ・メルカードが亡くなった(*)。この2年ほど脳腫瘍のため闘病中であったということで、亡くなったのはマンハッタンの病院でだった。娘さんら家族に看取られての死であったということだ。上の写真はGoogleで検索していて出てきたもの。エクトル・ラボーの『Recordando a Felipe pirela』が出た時だから1979年か。いちばん左に映るメルカードは、67歳だったということなので、まだ30代だった。ジェリー・マスッチもいて皆の混じりっけのない笑顔がなんとも幸せそうに見える。改めて彼のバイオグラフィー(*)を読んでみると、ヴィレッジ・バンガードやチーターでのライブなどの仕掛け人として本当に天才的なプロモーターだったんだなと思う。RMMというレーベルで世界中にサルサを持って行ったのは、グローバリズムと足並みを揃えていて、それは90年代にアメリカの株が上昇していくのにもテンポを揃えているようにも見え、ぼくはRMMというサルサの帝国が支配する中で、そうでないサルサを探すというのがぼくがやることだと思ってやっていた。