Friday, October 31, 2008

『小川プロ訪問記』

父親が癌で入院、手術という慌ただしい毎日に、スペイン語講座の講師をしなくてはならなかったり、単発の泊まりの介助が入ったり、嵐のような日々だったけれど、なんとか通常ペースに。なんとなくここから外へ出たくて、神戸に映画を観に行った。新長田の神戸映画資料館で、『小川プロ訪問記』と『帰郷―小川紳介と過ごした日々』の2本立て。平日の昼間とはいえ、前に小川伸介の『峠』を観たときは、38席しかないこの劇場もかなり埋まっていたのだけれど、今日はぼくを含めて2人とやや寂しい。
小川伸介本人には興味があっても、その関連ものにはそれほどということか。『帰郷―小川紳介と過ごした日々』は、2005年の作品で、映画学校の学生の卒業作品だというが、その中でインタビューを受けている当時の助監督飯塚俊男は、そうしたすべて小川伸介のために周囲が献身し尽くしていたかつての状況を、反省と批判めいた口調で答えている。『小川プロ訪問記』では、牧野で大島渚にインタビューを受ける小川伸介の後ろで、微笑みながらそれを聞いているまだ若く初々しい飯塚も一緒に記録されている。そうした姿を思い浮かべながら後年の話しを聞くとまるでユダのようだと思いながらも、飯塚の気持ちもほんとによくわかるとも感じていた。そして、これ自体がもうすでにドラマなんだと思った。他にも小川の映画に出演した牧野の人たちのその後も追っていて、丁寧なとてもいい作品だった。
『小川プロ訪問記』では、大島渚がインタビュアーだったのだが、小川プロの人たちも含めて、みんな百姓で、つまり農作業をする場所でそれなりの作業着を着ている中に、ひとりとってもおしゃれな茶色の革のスーツで現れて、長靴を履いて小川にインタビューしているのが笑えた。しかし、やはり小川伸介の迫力がやはり違った。圧倒的で、今日もまた世の中にはこういう凄い人がいるんだなって身が引き締まる思いで帰ってきた。
それにしても、こんなまったく金にならない映画を収集公開しているこの団体は、貴重だ。敬意を表したいし、潰れないように何かできることがあればやりたいと思う。

せっかく長田に来たんだからと、帰りに「みずはら」で、牡蠣とすじ肉のお好み焼き。ビールを一杯やりながら、焼いてくれた80は超えてるだろうと思われるおばあちゃんと一緒に、さんまのまんまを見ながら、Daigoとの他愛のない会話に笑っていた。おばあちゃんとてもかわいい。至福だ。

Monday, October 13, 2008

『外国語学習の科学』

外国語の学び方を書いていて、手頃なサイズの本だったらつい買ってしまう。今さら手品のように目が覚めたら話せるようになっていたなんてことを信じはしないけれど、せめて無駄な方法はやめておいたり、色々自分が気づかなかっった方法を捜したり、見直したりするのには、やはりたまにこんな本を読んでみるのもいい。岩波新書から新しく出たこの『外国語学習の科学』は、母語以外の言葉を学習することを学問の対象とした、SLA(第二言語習得)という研究をもとに外国語習得について書いた本で、今まで経験でおおざっぱにこうだとか、こうした方が効果的と言われていたことを、検証してもっと妥当だと思えるレベルにまで検討している。
研究の成果に基づいて、色々な方法の外国語学習の方法の変遷が示されているのだけれど、興味深かったのは、この「第二言語習得研究」という分野が、それまでの外国語学習のアプローチが、言語学と心理学の研究に基づいて学習者がそれにどんな反応をするかという検証をすることなく提示されたのに対して、学習者が誤用したらとその誤用は学習者の心理的なプロセスを反映するはずなので、それ自身を研究対象とした1967年のピット・コーダーの論文に始まるという所で、1967年という時代と、学習者という「当事者」へと研究のポイントが移動していくことを考えると、この頃にはほんとうにあらゆる分野で、こうした動きがあったんだとあらためて感じた。

書いたように、これをやればすぐ話せるなんてことは書いてない。インプットとアウトプットでは、インプットが重要だが、アウトプットもそれに適度に加えていかなくてはならないと、当たり前の結論。インターネットで外国語は読み放題で、いろんなニュースなんかも聞ける。ネットの時代になってインプットを確保するのはそれほどむつかしくなくなったけれど、すぐに話せる外国人の友人がいるわけでもないので、アウトプットはずっとぼく自身も課題だと思ってきた。熱心なときは、ボルヘスの短編を丸暗記しようとしていた時もあったけど、最近はニュースなどを聞き流すのがいいとこ。いいきっかけなので、アウトプットのために、この本に書いてあった方法を採用させてもらって、去年スペイン語で書こうと思って作ったまま放ってあったブログをまた取り出して、少しずつでも書いていこうかなって思う。あんまり他人の目を気にする必要もないので、一番本音が書けたりしてね。

Friday, October 3, 2008

『コロッサル・ユース』

なんとかく、最近よくあるパターンで休日の映画。九条のシネ・ヌーヴォでペドロ・コスタの『コロッサル・ユース』を観る。
先月末から上映されていたんだけれど、職員旅行でマカオなど行っていたものだから、一週間たってやっと観れた。『ヴァンダの部屋』で描かれた、リスボンにある移民街が再開発で取り壊される様を、ヴァンダとその周辺の人物を通してさらに追っている。ほとんど劇的な展開はなく、彼ら家族の日常的なシーンが淡々と進む様子を、例によってときおり睡魔に襲われながら観ていた。
ペドロ・コスタの「サーガ」と呼んでいい物語の続編は、よく話題になる、これはフィクションなのかドキュメンタリーなのかという点で言えば、今回は前作よりかなり明確に演出するという意志が明確だったように見えた。事はこれからに関していて、それには、演出という想像力が必要じゃなかったのかと思う。おそらくショットが固定されているからだろうけれど、ペドロ・コスタは、小津との比較がよくされているけれど、「むしろこれは溝口じゃないか!」と叫びたくなるシーンがいくつかあった。
Youtubeにもいくつか動画がアップされてます。

お腹が減ったので、帰りに九条駅近くの「チング」でお好み焼きを食べながらビールを一杯やって帰る。