Friday, May 29, 2009

中米のともだち #1

たぶん自宅以外の出先かブログを書くという初めての経験だと思う。
中米4カ国からの障害当事者を研修生として迎えて、中米での自立生活運動の促進をすすめるJICAのプログラムで、今週の月曜日から大阪吹田の万博公園の近くにある大阪国際交流センターに宿泊中。
今年は3年の予定の2年目。昨年と同じように、コスタリカ・グァテマラ・ホンジュラス・ニカラグアの4カ国から7人の研修生が来ている。研修生と同じ部屋で寝起きを共にして、ここと東京と西宮での研修でのサポートをする生活が約一月つづく。なかなかヘビーだけれど、とてつもない喜びも感じることも出来る希有な仕事だ。まだ5日目が終わったところだけれど、もうすでにかなりの喜びを感じながら毎日暮らしている。

写真は昨日、雨にもかかわらず梅田まで出掛けた様子。ほぼ全員電車は初めての図。

Monday, May 25, 2009

涼宮ハルヒ

Twitterでフォローしてるコロンビアの女の子経由で知った。
ちゃんとスペイン語字幕版がyoububeにあがってるんですねぇ。

レゲトン

明日からまた中米4カ国から障害当事者の研修生が来るので、ぼくはほぼ一月付きっきりになる。ラティーノだから、やはり音楽が好きで、ちょっとしたパーティにiPodを持参しておくとほんとに便利で、適当にそのへんのテレビとかに繋ぐと即席のDJが出来る。
レゲトンは無敵で、まるで魔法のようにすぐに盛り上がる。ということで、今日の午後はCDからいっぱいiPodにレゲトンを追加しておいた。また楽しみだね。
それで、ジャケ写をつけたりするのにネットで色々探してるとこんなオールドスクールなレゲトンの動画を見つけて、しばし見入っていた。レゲトン創世記の熱気にやられて、久しぶりにレゲトンブログも更新しちゃった。
<BloggerReggaeton>

Thursday, May 21, 2009

葬儀

一昨日、ある葬儀のために枚方へ行ってきた。亡くなったのは友人の父君で、葬儀に出席するかどうかは微妙な関係かと思う。友人とは1982年大学入学以来のつきあいだから、なんともう25年を超えた。友人は大学卒業して新聞社に入社して、その後いくつかの出版社を渡った後、今は誰でも一度は手にしたことのある情報誌の編集に携わっている。福岡や名古屋、東京を転々として昨年春16年ぶりに大阪に帰ってきた。転勤先を訪ねたこともあったけれど、近年はぼく自身も時間が取れなくて、何年も無沙汰をしていた。

昨年の春に転勤の知らせをもらって、これでまたちょくちょく会えるかなって思っていると、父君が癌を患って、予後があまりよくないようで、友人は仕事以外は病院へ通う日々でなかなか会えず、このゴールデンウィークも会えたらいいねって言っていたものの結局そのままになって、明けたらすぐに訃報が届いた。後になってたいへんな時期だったんだなって気づく。

父君とは、友人の家へ遊びに行くと外出から帰ってきた折りに挨拶を交わす程度だったけれど、ぼくにとって友人の父親まで知っているのは珍しいケースで、たしか最後にお会いしたのは、ちかと一緒に6年ほど前の正月に実家へお邪魔したときで、ぼくが買って行った手みやげを、友人が「お父さんこれもらったよ」と言ったときに、何か一言かけたか眼をやっただけだったかしたと思う。もの凄く寒い正月で、震えながら帰ってきたのを覚えている。

葬儀は今のパッケージになったもので、それ自体はとくにどうこう言うものではないけれど、最後に喪主の友人が挨拶をしているのを聞いて、話がとても上手で、ここ数年ずっと編集長をやってる彼のぼくがあまり見たことのない部分を知ったような気になった。自分は不肖の息子で、何年も親元を離れていたと話したとき、彼にも父君に対しての様々な思いがあったんだなと今更ながらに了解した次第だった。

そうした1時間を、やはり昨年癌を切った自分の父親のことや、2年前に胃癌を切ったと、ごくごく最近知った恩師の夫人のこと、昔遊びに行ったときのこと、色々あったけど今やはりぼくはこうしてここにいることなど思って過ごした。辛いこともあるけれど、人生のこうした実感のある手触りは、しかし愛すべきものだ。

Tuesday, May 19, 2009

Saturday, May 9, 2009

Devorame Otra Vez


Lalo Rodríguez Ven devorame otra vez 美しすぎる、この美学。
(コロにはオスバルド・ロマンが入ってる)


HE LLENADO TU TIEMPO VACIO DE AVENTURAS MAS
Y MI MENTE HA PARIDO NOSTALGIAS POR NO VERTE YA
Y HACIENDO EL AMOR TE HE NOMBRADO SIN QUERERLO YO
PORQUE EN TODAS BUSCO EL SALVAJE DE TU SEXO AMOR

HASTA EN SUEÑOS HE CREIDO TENERTE DEVORANDOME
Y HE MOJANDO MIS SABANAS BLANCAS RECORDANDOTE
Y EN MI CAMA NADIE ES COMO TU
NO HE PODIDO ENCONTRAR LA MUJER
QUE DIBUJE MI CUERPO EN CADA RINCON
SIN QUE SOBRE UN PEDAZO DE PIEL AY VEN

DEVORAME OTRA VEZ, VEN DEVORAME OTRA VEZ
VEN CASTIGAME CON TUS DESEOS MAS
QUE MI AMOR LO GUARDE PARA TI
AY VEN DEVORAME OTRA VEZ, VEN DEVORAME OTRA VEZ
QUE LA BOCA ME SABE A TU CUERPO
DESESPERAN MIS GANAS POR TI

HASTA EN SUEÑOS HE CREIDO TENERTE DEVORANDOME
Y HE VUELTO A MOJAR MI CAMA Y DESEANDOTE
Y EN MI CAMA NADIE ES COMO TU
NO HE PODIDO ENCONTRAR LA MUJER
QUE DIBUJE MI CUERPO EN CADA RINCON
SIN QUE SOBRE UN PEDAZO DE PIEL AY VEN

DEVORAME OTRA VEZ, VEN DEVORAME OTRA VEZ
VEN CASTIGAME CON TUS DESEOS MAS
QUE MI AMOR LO GUARDE PARA TI
AY VEN DEVORAME OTRA VEZ, VEN DEVORAME OTRA VEZ
QUE LA BOCA ME SABE A TU CUERPO
DESESPERAN MIS GANAS POR TI


きみのちょっとした時間を、アバンチュールで埋めてやっただけなんだ
もうきみに会えないと、ぼくの心はノスタルジーでいっぱいだよ
愛を交わしていると、知らずにきみの名を呼んでいる、
どんな女にも、きみのセックスのワイルドさを求めてるんだ

きみがぼくを貪っているのを夢にさえ見てしまうよ
きみのことを思い出して枕もぬれる


もう一度ぼくを貪って、来て、もう一度ぼくを貪って、
きみが欲しくて、また枕がぬれた
ぼくのベッドで、もうきみみたいに
肌の隅々までぼくのからだを描き尽くす
ような女はいない だから来て、

もう一度ぼくを貪って、来て、もう一度ぼくを貪って、
来て、もう一度きみの欲望でぼくを罰してほしい
ぼくの愛はきみに取ってあるんだから
もう一度ぼくを貪って、来て、もう一度ぼくを貪って、
ぼくの唇はまだきみの味がしているよ
きみのためにぼくの欲望はまったく萎んでしまってる

Wednesday, May 6, 2009

Rode NTG-3

やっと、ビデオカメラのマイクを純正のあまり役に立たないやつから、もうちょっとましなものに変えて、なんとなく日常を試し撮り。
ソニーのもともと付属してたやつは、もうほんとに子供だましのようなものだと、薄々は気づいてはいたけれど、この業務用ガンマイクの価格破壊と呼ばれている、RODEのNTG-3を試してみると、ちょっと今まで撮った分を全部取り直した気にもなってくる。まったく素晴らしい音が録れていて、撮影自体の楽しみが何倍にもなった感じにすらなる。


読了したばかりのロベール・ブレッソンの『シネマトグラフ覚書』の中のこんな記述。
「天から降ってきた驚嘆すべき機械。わざとらしい作り事を飽きもせずに反芻するためだけにそれらを用いることは、もうあと五十年もたたぬうちに、常軌を逸した愚かしい行為と映るようになるだろう。」

あるいは、
「移植。映像と音は、移植されることでたくましくなる。」

または、
「予見の力、この名を、私が仕事に用いる二つの崇高な機械に結びつけないわけにはいかない。キャメラとテープレコーダーよ、どうか私を連れて行ってくれ、すべてを紛糾させてしまう知性から遠く離れたところへ。」



『ラルジャン』を初めて見たときに強く感じた「倫理的」という言葉を再び思い出すこと。もう二度と忘れないように。